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小学校の3年生ぐらいだったろうか。
ある日授業中に保健室に一人だけ呼び出されたことがあった。
なぜか保健室。
白衣を着たおっさんと助手の女が立っていた。
話すと長くなるから状況はこうだ。
その当時、学年ではなにか騒ぎが起きると、
全部僕のせいにして事を済まそうとする
教師たちの暗黙の了解があった。
そのおかげですっかり変人というレッテルを、
ありがたいことに僕は小学生にして頂いていた。

そのおっさんは本を開いては僕に質問を繰り返した。
「このシミは何に見えますか?」とか、
「線路に石が置いてあります、あなたはどうしますか?」とかだ。
僕は直ぐに「こいつら、僕を知能検査する気だな」と分かった。
だから、「小学生だから何も分からないだろう」
と、いう大人の思い込みは危険であることを皆さんに忠告したい。
僕はわざと、おやじをからかってみた。「何にもみえません」
おやじも、助手も怪訝そうな顔をして僕を見た。
口元に馬鹿にしたような嫌らしい微笑を浮かべながら。
僕は逆にはおやじと助手を知能検査したいとおもった。
同時に、自分を変人扱いにして、
始末してしまおうとする担任の教師の知能も。
こんな風にほんの少し個性的なだけの子供たちが、
どれぐらい「処分」されてきたことか。
そのような扱いは無実の人間を投獄するようなものだ。
冤罪そのものだ。
しかし、そこには、裁判官も弁護人もいない。
検察側の意見だけが素通りする無法地帯にかわりない。
これは、つくり話でもなんでもない事実である。
教師は教育の根本理念を放棄して、
一人の狂人をつくりあげようとしたのである。
それは故意であり、計画的であり、悪意に満ちている。
世間はこれを、犯罪と呼んでいるが、
このような閉鎖的な世界ではそれが「道徳」となるらしい。
教師は面倒くさい馬鹿を一束にくくっては暖炉に投げ込む。
目に入らない事実は彼らにとって事実ではないから、
罪の意識もない。
「お前見たいな知恵遅れは、行く学校が違うんだよ」
薄ら笑いを浮かべた教師の言葉を今でも僕は覚えている。
このことは僕の芝居の「最後の晩餐」のシーンにも登場する。
それを見た現役の教師から、「最初は腹が立って帰ろうと思ったが、
感じるものがあった。こんな教師になりたくない。もしかしたら、
気づかないうちに自分も同じことをしていたかもしれない。
観て良かった。」というアンケートを頂いた。
彼はきっと良い教師になるだろう。

もちろん教師とは大変な仕事だし、
その心労も並大抵ではないのも事実である。
ある会議の席で現役の教師がこう漏らした。
「なんでもかんでも学校や教師のせいにするが、
現場の教師には何も権限なんか無いんです、どうしようもない。」
理想という言葉が泥の中にゆっくりと沈んでゆくように
出口の無い議論が沈黙した瞬間であった。
そしてその現実の前に僕も自身の無力さを感じていた。
せめていつか、傷ついた子供たちに
僕の話をしようと思う。

みんなが笑っていたから
僕も笑った

更にみんなが笑ったとき
笑われている自分に気が付いた

みんなが笑うとき
僕は目に涙を浮かべる
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