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子供の頃、戦争ごっこをやった覚えがある。
材木やらトタンの切れ端で秘密の基地を作り、
見えない敵と戦った。
銀弾のおもちゃの鉄砲を
犬やら猫やら人間やら目掛けて、
お構いなしに乱射した。
思えば僕たちは一体誰と戦っていたのだろう。

いまから20年以上も前の話だが、
僕は地元でも有名な、いわゆる「不良だった」
中学を卒業してすぐにヤクザになる仲間もいたが、
僕はそうはならなかった。
小学生時代はいじめられっ子だった僕が、
街一番の不良になるのには、そう時間はかからなかった。
悪くなるのはいたって簡単だ。
やがて噂に尾ひれが付いて、
とんでもない話がでっち上がるのを待つだけ。
数十校ある中学、高校で僕の名前は、恐怖の代名詞となった。
真実が1割、後の9割はただの噂にしか過ぎない。
僕にしてみれば、いじめられなくなっただけでも幸いだったし、
不良にもヤクザにも興味は無かった。

僕が自分の部屋として占領してしまった8畳間の床の間には、
山と積まれた煙草と酒の貢物が並んでおり、
まるでヤクザの詰め所のように、
毎日、数十人の子分がとぐろを巻いていた。
そんな中には、歯止めのきかなくなった奴もいる。
シンナーで歯が全部抜け落ちる奴、隠れて覚せい剤にはまる奴、
皆、やがて消え入るように、街から姿を消していった。
酒を飲んだり、煙草を吸ったり、
(法律で禁じられていますので、絶対にやらないように!)
学生時代の冒険として、笑い飛ばせる程度の遊びの筈だったのに、
洒落では済まない奴らが出てきてしまう。

破滅していった奴らには共通点があった。
どの親も、彼らに無関心だった。
何をしても怒られることの無い彼らは、孤独であった。
僕はそんな不良どもの親方になってしまっていたが、
それは、行く当てのない奴らがいつの間にやら、
自然と集まってきただけに過ぎなかった。
本当は先生や親に頼りたいのに、頼ることも出来ず、
皆、僕の所へ集まっては、ささやかな連帯感の中で
自分の居場所を確認していたのだろうと思う。

そして、起こってはならない事が起きた。
仲間がバイクで事故を起こして死んだ。
葬式の日、彼の母親が僕たちに話したことを、今でもよく覚えている。
どんな不良も皆、襟を正してそれを聴いていた。
一人の大人が、僕たちに裸の言葉をぶつける。
その真剣な眼差しが、不良どもの心に、深く突き刺さった瞬間だった。
僕は暫くして、グループを解散した。
全員、出入り禁止。
笑えるはずの悪戯が、笑えない現実を指差している。
あの頃、何故か皆、孤独を感じていた。
いや、甘えていたのかもしれない。
真剣に向き合ってくれる誰かに。
そして、あの頃、
僕たちが戦っていたのは、
弱すぎる自分自身だったのかもしれない。

裸の言葉を下さい

裸の心をあげるから

裸の心を下さい

裸の僕をあげるから
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