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人は今を生きる。そして今が未来を創る。しかしそれ以上にこだわり、囚われているのが「過去」という存在。思えば僕の「今」という時間も過去に囚われながらも未来を模索しながら流れ続けている。自分が生きてきた人生の中で犯してしまった過ちや遭遇した不幸な出来事、傷つき、また誰かを傷つけたてしまった悔恨の思い。それはまるで重しのような後悔を心にぶら下げながら生きているのに似ている。やがてそれが肥大して自己嫌悪や無力感というものに姿を変えて己にのしかかってくる。

人はよく、「過去は変えられないから、悩んでも仕方がない」という。また、過去のことで落ち込んでいる者には「過去は、忘れて未来のために生きよう」などとアドバイスをくれる。しかし、その輝かしいはずの未来予想図も日本の経済は崩壊するとか、大地震で何万人も死亡するとか、原発だとか、戦争だとかで不安ばかりで明るい話題は少ない。そして、未来の心配どころか僕自身が「過去」に抑圧されて日々を生きてきた人間のひとりである。

確かに未来も大事なのだが、日々の生活や今の自分に大きく影を落としているのはやはり「過去」という存在だろう。「過去は変えられない」このどうしようもなさが心を苦しめる。「忘れてしまえ」と言われてそうできれば誰も悩まないのだろうが、そんなことはなかなか出来ないのである。僕の友人にもそんな「過去」のことが原因で心を病んでしまった人が大勢いる。実際に親友も自殺している。他人には些細なことに思える過去の小さな出来事が、これほどまでに心を蝕んでしまうのかと愕然とすることも多い。要するに「過去」が「今」を台無しにしているのだ。理屈の上ではこの「今」が「未来」を創るのだから、このような人たちの未来はどうなるのか・・・そう考えるとあまり良い想像が出来ない。

もちろん、過去に囚われている人ばかりではないし、幸運にも心身とも健全な人も大勢いるだろう。しかし、僕たちはこの小さなコミュニティで共に暮らす上でこのような心病む人とも一緒に生きていかなければならないし、隣人として知らないフリも出来ないのである。友人が今現在のことで悩んでいるのなら自分がしてあげられることも見つかるだろうし、未来に悩んでいるのなら僕も同じなんだから共に頑張ろう!などと不安を共有する術も少なからずある。しかし、「過去」については僕たちは無力だ。自分の過去すらもてあましているのに、ましてや他人の「過去」などには関わりようがない。そんなとき僕も同じように、「過去は変えられないから、悩んでも仕方がない」とか、「過去は、忘れて未来のために生きよう」などと、役に立たない慰めしかできないのである。

僕も長いこと固定観念に囚われて、「過去は変えられない」と思い込んでいた。しかしそうではない「過去は変えられる」のだ。そしてその「過去」を変えられるのは他人ではなく「今」の自分なのである。そもそも「過去は変えられない」という固定観念が生きる苦しさの原因なような気がする。僕自身も幼い頃の家庭不和で酷い体験をしてきた。そして過去に思い悩む多くの人と同じように自分の不遇な過去を振り払うことは出来なかった。しかし、そのような行き場のない辛さや後悔や悲しみが僕に詩を書かせたことは間違いない。劣等生で何の取り柄もない僕が今日、大勢の仲間に支えられて生きているのも詩のお陰である。しかし、長年囚われていたあの不遇な「過去」がなければどうなっていただろうか。たぶん今頃橋の下で孤独に暮らしていたのではないだろうか・・・。今、僕は下手な詩を書き続け、稚拙な劇も創り続けている。まあ、秀でた才能は無いにしろ、そこに心の優しい沢山の仲間が集ってくれて楽しくやっていられるのだから有り難い。

「過去は変えられる」しかし、そうはいっても中には「取り返しのつかない過去」もあることは事実だろうし、実際にそんな場合も少なからずある。そう考えると全ての過去を変えられるとは言い難いが、「どんな過去も変えることは出来ない」などと思い込む必要もない。僕のように変えられる過去さえも、変えられないと思い込んで過ごしてきた人も大勢いることだろうと察する。確かに、人が生きることは容易ではないし、今という時間にさえ悩みの種は蒔かれているのだろう。しかし、今の自分の生き方次第では変えられる過去だってあるだろう。「過去は変えられる」そんな小さな希望を胸に生きてゆくのも悪くない。過去の自分に囚われ、今を奪われ、未来が見えないときこそ、変えられるはずの過去に向き合い、立ち向かうべきなのだろう。少なくとも、今日を生きる僕は過去の重荷を少しでも軽くしたいと望んでいる。

そして今日も僕は過去を変える為に努力を続けている。もう、1ヶ月半も豚骨ラーメンを食っていないし、夜中のインスタントラーメンも食っていない。ふしだらな食生活と知りながら炭水化物を過剰摂取していた愚かなメタボオヤジは、実は僕自身に「人は果てしなく太る」ということを教えた素晴らしいオヤジに変わった。「過去は変えられる」しかし、まだ体重はさほど減っていない・・・。しかし今日の自分が未来を創るのだから、近い将来僕はスマートになっているはずなのだが・・・どうなのだろうか・・・。しかし酒と煙草はやめれていない!となると、この文章にも説得力はない・・・所詮、戯言コラムなのだから仕方がないけどね。




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