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僕の生まれた酒田市は山形と秋田の県境にある
日本海の眺めの美しい港町だ。
何も無い田舎の子供らしく、
小学校の授業が終われば行く先は神社と決まっていた。
カン蹴りや鬼ごっこをしながら夕方まで走り回るのが日課で、
誰もが全身すり傷だらけだった。
たまに紙芝居屋さんがカッチンカッチンと
拍子木を打ちながらそこにやって来るのだ。
するとたちまち、おじさんは子供たちに囲まれてしまう。
そして、おじさんはのんびりとした仕草で、
怪しげな箱から水飴やらイカの酢漬けやらを取り出す。
まあ、これが入場料の代わりになるのだが、
どれも10円位の値段だった。
いかがわしい代物であることは間違いないのだが、
駄菓子屋にも合成着色料まみれの菓子が山と積まれている時代だったので、
僕たちは喜んでそれを食べたものだ。

ある日いつものように紙芝居屋さんが来た。
しかし運悪く僕はそのときお金を持っていなかったのだ。
飴を買わない僕におじさんは気付いていたが、
僕の顔も見ずに「買わない子は見られないよ」と言って、
そそくさと紙芝居の黄金バットを始めた。
僕は平静をよそおいながら神社の方へ歩き去った。
縁の下にもぐりこんで蜘蛛の巣だらけになりながら、
紙芝居の見える場所へ潜んでこっそり覗き見をした。
クライマックスにさしかかったとき、
おじさんと目が合ってしまった。
すると、おじさんは「みんな、ちょっと向きを変えようね」といって、
おもむろに後ろを向いてしまった。
くやしさのあまり僕は縁の下で蜘蛛の巣だらけになりながら泣いた。
おまけに、埃と鼻水でドロドロになっていた。
次第に黄金バットのクライマックスと、
おじさんのダミ声が遠ざかっていくのを感じた。
僕はまるで犯罪者のような気分で
夕焼けの美しい町並みをとぼとぼと家に帰った。

そして、その日を境におじさんと僕の関係は崩壊した。
たった10円を持たない為に、世界は僕を村八分にしたのだった。
それまで、おじさんはとてもやさしい人だと思っていた僕には、
あの時のおじさんの冷たい目が忘れられない。
やさしさ=愛情から、
やさしさ=お金。と、いう場合もあることを知った日だった。
大人になる為には痛い思いをするものなのだ。
その痛みが、思いやりに変わる時に豊かな心が育つ。
現代の子供たちに足りないものがあるとすれば、
それは、紙芝居屋のおじさんの冷たい目と、現実の厳しさかもしれない。
大人になる為の痛みを知らずに育つと
他人の痛みを知らない大人になってしまう。
もっとも、温室育ちの現代っ子に必要なのは
過剰包装された現実味の無い情報と
醒めることの無い白昼夢かもしれない。
ちなみに、あまりにも痛みが多すぎると、
僕のようにひねくれ者になってしまいます。
悪しからず。

日も暮れかけた夏の夕暮れ時

涙が溢れた神社の縁の下

埃と鼻水にまみれた

飴を持たない

僕の小さな手よ

お前は不幸で

そして誰よりも幸せだ
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