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僕の尊敬する作家アーネスト・ヘミングウェイの言葉に「二人の人間が愛し合えば、ハッピーエンドはあり得ない 」というのがある。これは闘牛をテーマにした彼の著作"Death in the Afternoon"「午後の死」に出てくる一文である。失恋の名言としても知られている言葉だが、「愛し合う二人にも、やがて哀しい別れが必ず訪れる」という意味なのだろう。

では何故「ハッピーエンド」ではなくなるのだろうか?単純に考えられることは次の通り。「何らかの原因で、恋が終わる」「別れを余儀なくされる」「相手が死んでしまう」など?かもしれない。例え最後まで恋をまっとうしたとしてもやはり「死」からは誰も逃れられない。何らかの原因か故意で同時に死に直面する場合を除いては、普通は別々に死がやってくる。要するにどちらかが見送り、どちらかが見送られるのだ。

この、「二人の人間が愛し合えば、ハッピーエンドはあり得ない 」という言葉の真意は分からないが、この言葉を肯定してしまうと、人生に於いてのハッピーエンドをも同時に否定してしまうことになる気がする。換言すれば「人生にハッピーエンドはない」ということになる。そしてこれは「恋」に限った話しではなくなる。

人生の途中で得たものを失うというのは珍しくないし、最後まで持ち続けるというのも珍しくない。しかし、やはり結果的に手放さざるを得ない「死」が訪れる。「二人の人間が愛し合えば、ハッピーエンドはあり得ない 」という言葉は、二人の人間が愛し合った結末がどうなるか?という究極的な答えであるのだが、その「ハッピーエンド」という概念が「結末」という視点に重きを置かれていることを考えなくてはならないだろう。「結末」というものに人間は非常に執着する訳なのだが、恋愛も人生も結末は「死」である。と、考えてしまうと何ともやるせない。

僕も同じだがやはり「結末や結果」には執着してしまう。「終わりよければ、すべてよし」という言葉もあるが、これもやはり「結末や結果」に左右されたものでしかない。近頃、オヤジになってしまったせいかそんなことをよく考える。どんなことを考えても結局、人は死ぬのだから・・・。というところでいつも思考停止に陥る。「二人の人間が愛し合えば、ハッピーエンドはあり得ない 」確かにそんな気もする。しかし、「恋愛も人生も過程を楽しむもの」と定義してしまえば、「結末」そのものに一喜一憂することもなくなる。「生きることは過程を楽しむこと」そんなふうに考えると、難問である「何故生きるのか?」ということににも答えが出せそうな気がする。

考えてみればヘミングウェイは4度も結婚しているし、50代の頃にはアドリアーナ・イヴァンチックという17歳の女の子に熱烈な片思いもしていた。またヘミングウェイは「どんな話でも、十分に語り伝えようとすれば、死で終わる。死から目をそらすようでは真の語り手とはいえない」と、同じ「午後の死」の中で述べている。確かに「死」は究極の結末である。しかしそんな彼が生涯に於いて「熱烈な恋」の中に身を置いていたことは想像に難くないだろう。逆に考えれば「ハッピーエンドはない」という彼の人生観がその情熱を持続させていたのだろう。

僕はヘミングウェイが、「二人の人間が愛し合えば、ハッピーエンドはあり得ない 」という言葉を単純な自分の主観的立場から書いたとは思っていない。それは、「死」を強く意識し、「死」と向き合い、どうあがいてもやってくる「結末」に対する彼の闘う意志の表れであったのかも知れない。

「ハッピーエンドはあり得ない」しかし、僕たちは人生を楽しむことが出来るし、生きる過程に於いて充分に「ハッピーである」ことを感じることが出来るだろう。そしてまた、反対に悲しみや苦しみの中から希望を見いだすという過酷な人生をも同時に体験するであろう。「どんな人生をも受け入れて楽しむ」なんてことは簡単に出来ることではないが、どうあれそこを生きていくしかないのが人生なのだ。

アーネスト・ヘミングウェイは1961年自宅で猟銃自殺した。彼はやがて来るべき最後の日を待たずに、自分で自分の人生にエンドマークを記した。それを見つけたのは妻のメアリだった。「二人の人間が愛し合えば、ハッピーエンドはあり得ない 」それが彼の言う悲劇だったのか、それとも違うのか?傍観者からすればそれは悲劇でしかないだろうが、どうあれ「結末」だけで彼の真意を断定することは出来ないし、「結末」だけで、彼の幸せだったであろう時間を否定することもできない。

もしも結末である「死」が人間に起こりえる最大の不幸であり悲しみであるなら、幸せは生きている「過程」に於いてしか存在しないことになる。そうであるなら、その過程の中にあるはずの「小さな幸せ」を見逃すわけにはいかないな。今日は雨で釣りに行けずに部屋で泥のように怠惰に過ごしたが、夜には酒が飲めるのだし、カレーも食えるのだから、小さな幸せは確かにあるのである。しかし酒と夕食にしか「小さな幸せ」を見つけられないのは情けない気がするのだが・・・まあ、いいか。


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