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2012.02.26 永遠の少年
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先日、僕が芸術監督を務めるTPNという演劇創作集団の稽古場で、パントマイムの清水きよしさんを招いてのワークショップが行われた。まあ、自分が清水さんにお願いして来ていただいたのだが、これには経緯がある。

清水きよしさんのステージをはじめて観たのは十数年前、確か大阪のカレー屋さんでのライヴだった。その頃の僕は創作活動のために山形から大阪にで出てきてばかりで、演劇を始めた頃でもあった。僕がそのライヴに行った本当の目的は知り合いの音楽家が出演することを聞いたからであり、コラボレーションしている清水さんのこともパントマイムについても無知であった。やがてライヴが始まり美しい音楽が流れると清水さんのパントマイムが始まり、音楽目当てで会場まで来たはずの僕の目は、清水さんの圧倒的なパフォーマンスに釘付けになったのだった。

僕が家財道具を売り払って、山形から大阪に鞄ひとつで出てきた理由は以前にもいろんなところに書いたが、自分の詩を劇というカタチで表現するためだった。当時僕は31歳になっており、家財道具を売り払った!などと書いたが、手元にある全財産は12万円ほどであったから、日雇いをしながらの創作活動であった。時にはコンクリートにまみれてドロドロになって朝から夜中まで働いた。ドラム缶の焚き火を囲んで様々な年代の労働者と共に体を温め、夜空の星を眺めていると、「せっかく田舎から出てきたのに俺は何をやっているのだろう」と、虚しい気持ちになることも多かった。そんな頃に清水さんのパントマイムに出会ったのだった。そのステージを観た瞬間、これこそ劇になった「詩」なのだと痛感した。しかし、そのレベルの高いステージから得たものを自分のものとして積み重ねるには、当時の僕はあまりに未熟であった。それ以降、数十年もの間、清水さんのあのステージがいつも心のどこかにあった。

清水きよしさんが「空間の詩人」と呼ばれ、日本のパントマイム界の重鎮であることは後で知った。ここで僕がその魅力について語る資格があるかどうかは別にして、個人的な意見を述べてみたい。

清水さんが「空間の詩人」と称されていることはそのステージを観れば納得がいくだろう。しかし僕が思う清水さんは「永遠の少年」である。清水さんの魅力を根底で支えているものは、少年だけが持つ「無垢な眼差し」であるような気がする。普通はこのような眼差しは大人になるにつれて弱くなりやがて消え失せるのだが、清水さんの場合はその逆であり、更に輝きを増しているように感じる。そしてそれを支えてきたのは清水さんの「他者を慈しむ愛情」であろう。限りなく優しいその空間の演技、吸い込まれそうな瞳の輝き。それを目の当たりにすると、大自然の持つ生命の息吹さえ感じられる。実際にお会いした清水さんの印象も同じだった。限りない優しさと、求道者としての鋭い感性を備えている方だった。

清水さんのワークショップにはお仲間のフルート奏者のうえの善巳さんと、清水さんのお弟子で将来有望な片岡さんが同行された。お二方とも気さくでおおらかな方だった。ワークショップの内容は、事前に僕が清水さんに要望したものを遙かに超えた実り多いものだった。清水さんのワークショップの進め方や、ユーモア溢れる話術には学ぶものが多かった。これを観ていると自分はまだまだ未熟だと感じる。一途にひとつのことを40年以上も探求してきた方なのだから、僕など及びもない。

清水さんのパントマイムに出会って数十年、やっと念願が叶った。あのカレー屋さんのステージを観て以来、僕もずっと同じ道を歩み続けてきた。これはそんな自分への褒美でもある。そして、「天と人、人と人を結ぶ」という詩人の本来の仕事が少しだけ出来た。清水さんを知らなかった仲間たちにも出会いの場を提供できたことはとても意義のあることだと思う。清水さんは時間の許す限り、惜しげもなくその智慧と技術を僕たちに教えてくださった。仲間に最高のものを知って欲しいという僕の願いも同時に成就した。

清水さんは僕たちに沢山の「種」をくださった。その種を育てるのはそれぞれの精進によるだろうし、花が咲くかどうかは誰にも分からない。「花の一生を想うとき、人は美しく咲いた花を想像するが、その多くの種から生まれた芽が全て順調に育つわけではない。中には咲く前に枯れて朽ちる花もある。そう考えると花の一生とは見かけの美しさ以上に過酷なのだろう」そんな意味のことを清水さんは仰った。その言葉の中に清水きよしという表現者の全てが凝縮されているように感じた。

ワークショップが終了した後に、清水さんは僕たちに作品を見せてくださった。フルートのうえのさんの生演奏と、片岡さんの入念な照明の仕込みのお陰で、稽古場は一瞬にして劇場になった。これも事前に僕がお願いしたワガママを清水さんが叶えてくださった。作品は僕の大好きな「ひまわり」そして「秋の日の想い出」&「風船」&「つばさ」の4作品を目の前で観ることが出来た。フルートの情感溢れる音色がそのステージを鮮やかにし、お弟子さんが照明を照らす。感動した。このような場合は詩人も言葉を失わなければならない。

その後、予約してあったお店で清水さんご一行と酒席を共にさせていただいた。憧れの方を目の前にして話しは尽きず、夢中になっているうちに僕だけ随分と食事を残してしまった。しかし、酒はやはり忘れずに飲んでいた。その席で清水さんは「KAMEN]という作品の額入りの舞台写真をくださった。僕もゴソゴソと自分の本を取り出して、皆さんに差し上げた。この「KAMEN]の写真はリビングの一番イイ場所に飾ってある。今晩からこれを眺めながらスコッチをやる寸法である。

楽しい一日の終わり。清水さんご一行にお別れをしてタクシーをひろうために道を歩いた。その時僕の脳裏に浮かんだのはやはり十数年前のあのカレー屋さんだった。清水さんのステージを観ても感動することしかできなかった当時の未熟な自分のことを想った。そして今、清水さんと再会できたことを自分の中に積み重ねることが出来るようになった自分を感じた。それを積み重ねることが出来る自分になれるまで十数年が必要だった。考えてみれば、今だからこそ学ぶことが出来るのだろう。当時の未熟な自分(今でもそうだが多少は進歩した?)だったら、恐らくまだ積み重ねられる段階ではなかった。やっと「種」をいただいても良い頃になった。創作活動とは自分を練り込む時間を必要とする。数年どころではなく、数十年という時間が必要な場合もある。この「種」をこれからまた時間をかけて大切に育てようと思う。これが次に清水さんにお会いするまでに科せられた僕の責任でもある。



清水きよし様&うえの善巳様&片岡様に感謝!



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