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2011.06.28 世代の智慧
僕は昭和生まれの両親とは別に暮らしてきたせいもあって、大正生まれの祖父母に家庭での教育を受けてきた。振り返って考えてみれば、大正、昭和と時代は進み、今は平成生まれの親の時代でもある。なにか伝言ゲームのような話になってしまうが、時代が進むにつれその年代が共有していた価値観や道徳観、人生観も過ぎ去った時と共に当然のごとく色あせ、変化を遂げてきたことだろう。その中で変化を遂げてはならないものはなかったのだろうか?と最近考えるようになった。

祖父母は僕に「勉強せよ」とは言わなかったように記憶している。その代わり、「人に迷惑をかけるな」とか、「偉くなくてもいいから、優しい人間になれ」とか、しつこく言われたことを思い出す。それが原因かは分からないが、昭和30年代の終わりに生まれた僕は家庭での祖父母の教えと学校での教えにギャップを感じていたのも確かだ。なので同級生が塾通いを始めた頃にもただ遊びほうけていた。やがて、結果は歴然として表れ、授業にもついて行けなくなった。あまりの馬鹿さ加減に知能検査を受けさせられたりもしたが、勉強の大切さを説く教師に「僕は将来、頭を使う仕事はしません!」と言い放ち彼らを唖然とさせたのだった。それ以来、教師は僕を完全に諦め、何も言わなくなったし、目を合わせることも避けるのだった。

高校生になったある日、同級生の女の子から電話で告白され、始めてデートをすることになったが、デートとは何をするのかよく分からなかった。とりあえず何処かで待ち合わせをして、喫茶店にでも行こうという話になった。当時は喫茶店には学生が入ってはいけない校則になっており、これまたよく分からない「純喫茶」という喫茶店なら規則違反にはならなかった。今でも、「純喫茶」とは、どんな意味なのかは知らないし、もう、そんな店はあるのだろうか?まあ、とにかくその純喫茶に行くことになり道を歩いていたのだが、彼女は僕と平行して歩くどころか、一歩前を歩き始めた。僕は反射的に阿呆なことを口走ってしまった「女は三歩下がって歩け!」と、怒鳴ったのである。すると彼女の目は点になり、「頭がおかしいんじゃないの!」と言って、怒って帰ってしまった。それ以来、彼女の顔を見たことがない。これが、人生で初めてのデートの顛末であった。そんな感覚を誰に教えられたのかも分からないし、祖父母から特に教えられた覚えもないが、残念ながらそんな愚かな16才であった。

同級生と過ごしていても何か言い知れない違和感があった。気がつくと「今の若造は・・・」などと、年寄りの戯言のように心の中で繰り返す自分がいることに気がつき、同級生であることなどすっかり忘れてしまっている自分を異常だと感じることもあった。やがて80年代に入りバブル期に青年時代を過ごすこととなるのだが、その時代の華やかな記憶は僕の中に微塵もない。同年代の友人たちが夢中になるものにも興味を持てず、釣りだの山登りだのに独りで熱中した。僕にはバブルという記憶はない。世間に何ら貢献も出来ず、何らの恩恵も受けず、暢気に過ごしていたように思う。

そして今、平成という時代に生きている訳なのだが、未だにこの時代の現実を理解するに至っていない。日々、白昼夢を見ているような気分になる。あらゆることが現実のようであり、仮想現実のように感じられる。何処まで便利になれば気が済むのか、何処まで飼い慣らされることを容認すればいいのか、混乱しているのである。それはある意味恐怖を増幅させる機会ともなっている。例えば大震災が起こる3ヶ月前には日本のテレビで放射能数値が発表されることが日常的になるとは、誰が予想したであろうか?日々の消費電力のパーセンテージが発表されるなどと、誰が想像したであろうか?しかしこれらは現実であり、既に日常的なものとなりつつある。大正、昭和、平成と、時代は移り変わって、無用な価値観は消え去っても、消え去ってはならないものがあるはずだ。「これから人類はどのように生きてゆくべきなのか?」という問いは重要なのだが、「これまで人類は何を忘れてきたか?」と言う問いは更に重要であるし、それは早急さをともなって突きつけられている課題なのかも知れない。時変と事変が繰り返される時、得たものは何で、失ったものは何だったのか?進歩という名前で覆い隠された「大切な智慧」とは何だったのか?昭和生まれの親の教育を飛び越えて、大正生まれの祖父母に教えられたことは、今もそんな視点を僕に与えてくれている。デートに彼女に愛想を尽かされる失態はあったが、それ以外は概ね感謝している。

今年のお盆も故郷に帰って墓参りが出来そうもない。
なので、バチがあたらないように祖父母を少しだけ褒めておきたい。

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