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2009.08.18 恋の忘れもの
恋の忘れもの

私の名前はアドリアーナ。
幼い頃の私は裕福な家で何ひとつ不自由なく暮らしていました。
そりゃあ、声をかけてくる男性は大勢いましたよ。
その頃の私は、自分で言うのも何なのですが、美貌と若さと富を持っていましたから。
父や母や友人達も男達が何を目当てに私に近づいて来るのか知っていましたし、
私もそんなに馬鹿ではありませんから、私に見合う立派な男性が現れるまでは誰ともお付き合いする気にはなれませんでした。
ところが事もあろうに、私が大学生の頃。
父の経営する造船所の仕事が急に破綻してしまったのです。
そして家族は大変な借金を抱えてしまいました。
やがて父と母は離婚し、あの港町から逃げ出したのでした。
「お父さん、お母さん、元気で・・・」
そう、私も自分の荷物を持って遠い街へと当てもなく移り住んだのです。

華やかに過ごした学生時代も終わりを告げ、その日暮らしの日当を稼ぐために、私は働きに出なければなりませんでした。しかし、遊んでばかりのお気楽な生活に、どっぷりと浸かってしまっていた私に何が出来るでしょう。
ある日、仕事を探してふらふらと街をさまよい歩いているとパン屋の軒先に店員募集の張り紙を見つけました。
「これだ。これなら私にも出来る」

パン屋の仕事はとても忙しいものでした。自慢じゃないけど、まだ若い私に声をかけてくるお客も沢山いました。
「どうだい、アドリアーナ。今晩僕と付き合わないかい?」
「駄目よ」
そう、私は誰ともお付き合いはしませんでした。素性がばれるのが怖かったのです。何故なら船会社の仕事をして裕福になった父は、貯金が増えるのに比例して、人から恨まれることも多かったのです。他人を利用し、他人から巻き上げたお金は、また、他の誰かから奪い取られるものだということを、その時、私たち家族は知らなかったのです。

もうとっくに大学をやめてしまっていた私にも、やがて友人が出来ました。この街の大学に通う同じ年頃の娘達です。彼女たちは事あるごとに私をパーティへと誘いました。家族が離散してしまい暗い気分でいた私にとってそれは、学生時代の華やかさを思い出させるそれは、楽しい時間だったのです。
そのパーティにはお金持ちの男達も沢山来ていました。男達は出会う女性、すれ違う女性にそれぞれ声をかけ、名刺を渡してウインクをします。もちろんそこに集まる女達も、もったいをつけながら目の前を通り過ぎ、かぐわしい香りを漂わせ思わせぶりにターンしたり、時にはじっと相手の目を見つめたりします。まあ、男は女を、女は男を、そう、恋人候補を探したり、運が良ければ玉の輿にのろうと考えたりしているのです。
「あなた、あの、青い目の紳士に名刺を頂いた?これは!と思う素晴らしい職業についている男性には、必ず翌日には手紙を書くのが常識よ。運が良ければ向こうから幸せが転がり込んでくるわ。あなたも書かなきゃ駄目よ」
「そんな、何を書けばいいのかしら・・・」
パーティが終わると彼女達はそれぞれにパートナーを見つけ、ネオンのきらめく通りの向こう側へと三々五々と消えてゆきます。さあ、それからが私にとっての寂しい時間の始まりです。

私はアパートに帰ると大きなため息をひとつついて、拾ってきたソファーに腰掛け、拾ってきたテーブルに、古い財布の中にしまい込んだはずの、今日出会った男性の名刺を広げました。
「医者・弁護士・レストランのオーナー・・・」
すると、その中に一枚だけ、肩書きのない名刺がありました。
「あれ、この方は誰だったかしら?この・・・住所は、私が昔住んでいた街だわ」
私はどうしてもその名刺の男性の顔も会話も思い出せませんでした。そうだわ。この方に手紙を書いてみよう。恋文じゃなくお礼のお手紙を。そうしたら、もしかしてお返事が来るかもしれない。そうなればこの男性が誰だったのか思い出せるかしら。
私は自分の住所と名前を書いて、短いお礼の文を書き添えました。
“出会えて光栄です。またお会いできるのを楽しみにしております”
「そうだ。向こうが私を分からないことだってあるわね」
私はそう思って知恵を絞りました。
「そうだ。このコサージュ。私が手作りしたこの黄色いバラのコサージュは誰もしていなかった。それを目印に書きましょう」
私は手紙の一番最後に黄色いバラの花の絵を描きました。この手紙を受け取った男性は私のことを覚えているでしょうか。

それから数日間というもの、パン屋は売り出しで、それはもう大忙しでした。そんな忙しいさなかのことで私は手紙のことなどすっかり忘れていたのです。
「あら、手紙だわ」今まで一枚たりとも配達されたことのない私のアパートの郵便受けにバラの型押しの付いた白い封筒の手紙が届いていたのです。私は手紙を裏返して差出人の名前を見ました。
「あの人だわ」
私はアパートの鍵を開け、抱えていたカバンと買い物袋を放り投げ、夢中で封筒を開けました。
「運河の傍のレストランで明日の夜7時にお待ちしています」
私は興奮しました。あの悲しい出来事以来、私にこんなチャンスが巡ってこようとは思ってもいませんでしたから、私の胸はときめきで溢れてしまったのです。
「でも、どうしよう。私は彼の顔を覚えていない。もし、1人でテーブルに座っている男性が5人もいたらどうしよう。いいえ、10人いたらどうしましょう。困ったわ。自分から手紙を出しておいて、どうしたらいいのかしら」
とにかく、私は次の日、運河の傍のレストランへ出掛けました。そして唯一彼が私を思い出してくれそうな目印、そう、あの黄色いバラのコサージュを髪飾って出掛けたのです。私がレストランに入ると、テーブルにひとりで腰を掛けている男性は1人だけでした。
「あの方かもしれない」
彼は運河がよく見える窓際の席に座って、小さな手こぎの船が通ってゆくのを見つめていました。私が近づくと彼は振り返り、私に微笑みかけました。
「良く来てくれましたねお嬢さん。どうぞ、座ってください」
給仕が早足で近づいてきて私の椅子を引いてくれました。私はその椅子に腰掛けると彼の顔をまじまじと見ました。実を言うと、彼の顔を見た後でさえパーティでの彼のことは思い出せなかったのですが、そんなことはもうどうでもいいことなのです。そんなことより彼はとてもハンサムな顔立ちで、育ちの良さそうな身なりをしていましたから、私は彼のことを一瞬で好きになってしまいました。こんな衝撃的な出会いは初めてだったのです。私の胸は鳩の心臓のようにときめいて、小刻みに震えている自分の指先を、自分で見ているだけでも恥ずかしいほどでした。
すると彼は静かに話し出しました。私は彼が何をこれから言うのかと気になって、彼の顔をまともに見ることも出来ないままうつむいていました。
「手紙をありがとう」
「いいえ、そんなこと」
「ずいぶんと長いこと僕のことを考えていてくれたんだね」
「長いって、そうね、一週間は考えていたかしら、パーティでお会いした夜から」
「パーティって、何のことだい?」
「1週間前のパーティの」
「君は冗談が好きなんだね。あれは、もう2年も前の港の煉瓦倉庫でのパーティだったね」
「大学って、私、あ、そうね。あの、私」
私は、なんだかもう頭がこんがらがってしまい、何が何だか訳が分からなくなってしまっていました。確かにあの頃はしょっちゅう港の傍の煉瓦倉庫でパーティをやっていた。でも、なぜ、この人そんなことを知っているのかしら。
「いつ、この街に引っ越してきたんだい」
「ああ、2年ほど前になるかしら、いろいろと事情があって」
「知っているよ。大学を急にやめたんだって、その後の煉瓦倉庫でのパーティで君の友達が教えてくれたんだ」
「そう・・・」
「あの当時、僕は造船所で働いていたんだ」
「造・・・船・・・所・・・」
「ああ、でもその造船所はあとで倒産したよ」
「そう」
「パーティに行くにも着ていけるような服が無くてね。安い賃金でしかも仕事はきつかった。だから、友達にスーツを借りて出掛けたんだよそのパーティへ。でも、見るからに体に合っていないスーツを女の子達に笑われた。手作りした名刺を持って行ったんだけど、誰にも渡すことが出来なかったのを覚えているよ。そんな時、君に出会った」
「私に?」
「僕は君のことを一瞬で好きになった。どうしても名刺を渡したくて勇気を振り絞って君の目の前に歩み出たとき、みんなに笑われたよ。君は僕の名刺を受け取って恥ずかしそうに出て行ったね。大勢の仲間にからかわれながら」
「きっと・・・彼方の言うとおりだわ・・・」
「あれから、僕はこの街に来た。造船所が倒産して仕事が無くなったから、仕事を探しにね。そして、少しばかり成功した。実は、このレストランも僕のものなんだ。だけど、少し遅かった。僕はもう結婚している。」
「そ、そう」
「僕は君に渡した名刺の裏に、付き合って欲しいと書いた。しかし、その答えを2年後にもらうとは想像していなかったんだ」
私はようやく自分のしたことを理解しました。そう、そうなんだわ。私は昔も今も、何も見ていなかった。もしかすると、私は自分以外の何事にも無関心だったのかもしれない。2年前、あの煉瓦倉庫でのパーティに、こんな素敵な男性がいたことすら私は見ていなかった。なんてことかしら。幸せに酔っていた。いいえ、父も、母も、家族全員が誰のことにも無関心だった。なんてことかしら・・・。
それから彼は私に深々と頭を下げて謝った。
「なにも、謝ることなんかないのに」
やっと、見つけたはずの素晴らしい出会いは、私の傲慢さのせいで始まりもしなければ、ただ、終わっただけ。

あれから、20年。私はろくでもない男と結婚し、娘がひとり。でも、いまはそのろくでもない亭主もいない。
「他に女を作って出て行ってしまったのさ」
亭主が私に残してくれたのはこの酒場だけ。まあ、ろくでなしにしては立派なもんだよ。これがあるおかげで、娘と2人で暮らしていけるんだからさあ。ああ、そう言えば娘もあの頃の私と同じ年頃になって、自分の母親の店だっていうのに今夜もここでパーティをやっている。でも、私は娘に言うんだ。
「自分を好きになってくれる男と結婚しろってね。ああだ、こうだと、えり好みなんかするんじゃないよ。女はね、自分の好きになる男を選ぶより、あんたを好いて、心から大事に優しくしてくれる男と結婚するべきなんだよ。金や地位なんて2の次、3の次だってね。まあ、私の娘だから、分かっているんだか、分かっていないんだか、私もさっぱり分からないけどね」

「私が人生でつかみ損ねたものは純粋で純潔な男の心。そうあの煉瓦倉庫の名刺のあのひとの心」
あの人は、黄色いバラの意味を知ってか、知らずか、この20年一度も欠かさず私の誕生日には、この黄色いバラの花束を贈ってくれるんだよ。そんな人に愛されたことだけが私の自慢さ。ありがとう。こんな女に愛をくれて、ありがとう・・・。

「さあ、今夜も飲みな!わたしのおごりだよ。みんな、素晴らしい恋を手に入れるんだよ」





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