FC2ブログ
伊豆の下田を旅していたときのこと。
駅前から観光客に人気のペリーロードへと向かう道沿いに、
宝福寺という寺を見つけた。
本堂の右手には大きくお吉記念館という看板が掲げられており、
お吉の墓もこの寺にある。
早朝ということもあって、
人影もまばらに静まり返った館内に入ると、
若々しい19歳のお吉さんの写真が、
庭から差し込んでくる陽光に浮かび上がっていた。

唐人お吉は、
開国の頃に日本総領事に任命されたタウンゼント・ハリスの
待妾(じしょう)「身分の高い人の身の回りの世話をする女性」
となったことから以降「唐人」と蔑まれ、
最後には河に身を投げ自殺するという波乱の人生を歩んだ女性である。
お吉の生涯は確かに悲劇であったが、
僕はその悲劇よりも、背景にある悲劇の方が気になった。
人間の中に潜む無邪気で冷酷な差別感や、
権力者が持つ理不尽な特権そのものが、
この世の悲しみの根源であるように思えて、
しみじみと可憐なお吉さんの写真に見入った。

「おまえはどうだ?」
不意に何処からともなくか細い声で僕に問う声が聴こえた。
僕は僕の中に確かに存在する差別と偏見の欠片を拾い集めて、
静かに目を伏せた。
お吉さんを殺したのは僕かもしれないという不安が
胸の奥に確かにあった。

不意に係りの女性が、
お吉さんのお墓へどうぞ。と、声を掛けてくれた。
美しい庭の向かい側にその墓はあった。
小さな墓と大きな墓が並んで建っていた。
大きなほうは後年どこかのスターが寄進したらしい。
この寺の住職が身寄りの無いお吉さんを善意で弔った小さな墓の方が、
お吉さんらしいと僕は勝手に思って、
「2つも墓はいらないよ」と、心の中で呟いた。
小さな墓がみすぼらしくて、大きな墓が立派なんていうことは無い。
問題はそんな風に感じてしまう僕たちの価値観だ。
それが、お吉さんを殺したのだ。
そして、今も変わらずに皆そのままだ。
その中には僕もいる。
今日も小さな世間の隅っこでは
偉い人と、偉くない人がふるいにかけられ、
持つ者と、持たざる者が、表面上だけつくろって生きている。
そこには平等と平和という金色の冠が飾られ、
声にならない蔑みの言葉が互いの無い唇から漏れている。
そして、誰もが「自分だけはそうではない」と、思っている。
自分の中の闇と向き合えば、
人間はもっとやさしくなれる筈だと思う。
ぬけるような青空の下で
僕はお吉さんの墓に手を合わせた。

僕のこの手は愛する人の手を握った手だ
僕のこの手は誰かを殴りつけた手だ

僕のこの手はいつか泥だらけの糞尿にまみれた手だ
僕のこの手は銭湯帰りの石鹸の香りのした手だ

僕のこの手は僕の手なのに
僕のこの手は反省しない

僕のこの手は

一粒の愛の種を蒔く為に

ほんの少し反省しなければならない。
スポンサーサイト