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2009.08.18 砂時計
砂時計

その女は鏡の前で化粧をしながら少し微笑んだ。誕生日のプレゼントの中身は既に分っている。欲しかったあの高価な時計だ。好きでもないあの男に付き合って半年。無駄に時間を費やしたわけではない。女はいつものように長い付けまつ毛を付け終ると部屋中を見回した。そこには高級ブランド品のバッグに洋服、サングラスに靴。その部屋はまるで質屋の物置のようでもあった。そしてその品々を女は「戦利品」と呼んでいた。

女は同じ女友達の前では自分の彼氏の事を「あいつ」と呼んだ。そして彼氏の前では男を名前で呼び捨てた。何故ならその方が相手が喜ぶからだった。男も女を名前で呼び捨てた。女の名を口に出して言う度に男は、この女が自分の物であるという優越感を覚えた。そしてそれはこの男の錯覚でもあった。そして女は名前で呼ばれるたびに、自分の計画が進行している事を確かに感じた。若いうちは派手に遊んで精々いい思いをしたほうが得だと考えていた。そして最終的には、背が高くて優しい何処かのエリートでも捉まえて結婚でもしてしまえばいいと思っていた。

ある日、女がいつもの様に鏡の前で化粧をしていると、目の前の鏡の中から声が聞こえた。
「おい、お前」
女は驚いてマスカラを床に落としてしまった。するとまた声が聞こえた。
「お前は人間じゃなくて、ただの商品にしか過ぎない」
「誰なの?」
女は身を震わせながら聞き返した。
「誰でもいいじゃないか。お前こそ自分が誰なのかも知らないくせに、聞いてどうする」
「自分が誰かも分らない?私は私よ。あんたは誰なの」
「俺はお前じゃないか。忘れたのか」
「どういう意味?」
「お前は欲しがるだけで何も与えない」
「与えてるわ」
「何を与えた。お前が誰かに与えたものなど何も無い」
「愛を与えたわ」
「お前の心に愛は無い。無いものは与えられないだろう?」
「無いってどういうことよ。冗談じゃない」
「そう、冗談じゃないのは、お前の彼氏だった男の方さ」
「私の様な娘が時間を割いてやってるんだから、それだけで充分じゃない?私にはそれだけの価値があるから。相手にもそれをカタチで返してもらわなきゃ、こっちが損ってもんよ」
「愛の意味も知らない、悲しい女よ」
「私だって、いつかは結婚して幸せになるわ。ダサい男ばっかりなのが悪いとは思わない?私のせいじゃないわ」
「要するに、自分を高く買ってもらいたいんだろう?」
「当然の権利だわ。まあ、元が悪ければどっちにしろ売れないけどね。私にはその価値がある」
「そうか、それなら私がお前を高く売ってやろうじゃないか」
「結構よ。その気になれば簡単なことだもの」
「そうかな?」
「そうよ」
「利口な男なら、お前が足を広げて見せた所で見向きもしないとおもうがな?」
「誰もがみんな私と居る事に優越感を覚える。そして私に指を触れる度に戦利品が増えるのよ」
「ひとつ、いいことを教えてやろう」
「何よ?」
「お前は自分自身の身体を売る商品と同じだ。そしてその売ってしまった心と体と時間はもう残り少ない」
「何が少ない?」
「お前はもう直ぐ死ぬことになるだろう」
「まさか。ありえないわ」
「売れば減るのが当たり前だろう?そんな事も知らないのか」
「減るものと減らないものがあるんじゃないの?何を言っているのかさっぱり分らないわ」
「減らないと思っていたんだろう?正直に言えよ」
「少なくても心と身体は減らないわ。時間は確かに減るけどね」
「だから、そんな生き方しか出来ないんだなお前は。いいか、この鏡の中をよく覗いてみろ」
女は恐る恐る鏡の中を覗き込んだ。すると、その鏡の中には無数の砂時計があった。
「砂時計じゃない」
「もっとよく見ろ。お前の家族の砂時計を」
「あっ!家族の名前が書いてあるわ」
「おまえ自身の砂時計を見てみろ。もうほとんど砂が無い」
「だからどうなのよ」
そのとき一本の砂時計が女の目に留まった。その空っぽの砂時計には小さな日付が書いてあった。それは12年前のある日の日付であった。女はその名前を見て思い出した。それは小学校の時に交通事故で死んだ仲の良かった女の子の名前だった。女は怯えた顔をして鏡から目をそらした。
「冗談じゃないわ。何が砂時計よ」
「これで分っただろう?」
「分らないわ。お願いだから砂を元に戻して頂戴。どうしてこんなことになってしまったの」
女は眉間に皺をよせて狼狽した。
「自分のしたことだ。どうにもならない。お前の時間はその部屋中の戦利品とやらと交換されたんだ。満足だろう?」
「こんなもの要らないから時間を元に戻して頂戴!ただの遊びよ。私には夢がある。いつか本当に愛せる人と結婚して幸せになりたいのよ。でもそんな男には出会えなかった。私だってある意味被害者なんだわ。だからお願いよ元に戻して」
「残念だが、俺にはそんな権限は無い。俺はお前なんだから」
「そんなのひど過ぎるわ」
女がその言葉を口にした瞬間、女は自分の行いも、この砂時計の理不尽な運命も同じに感じられた。女は初めて通り過ぎてきた男達の悲しみを理解した。その男達は自分に何一つ自信を持つ事の出来ない寂しい男達であった。その男達に借金をさせてまで愛をカタチにさせることを教えたのはこの女だった。
「さあ、残り時間をどう生きるか、考えるがいい」
それだけ言うと声は鏡の中から消えた。

女は今にも泣き出しそうな顔をしていた。鏡の中のお気に入りの顔も自慢のスタイルも今は価値の無いもののように思えた。途中になってしまっていた化粧を全部落として、また女は鏡の前に座った。そこには大人の女には程遠い、まだ幼さの残る顔をした自分がいた。女は何故かしら自分の顔に、言い様のない懐かしさを感じていた。
死を宣告された心はなぜか今は落ち着きを取り戻していた。マンションの出窓から見える秋の高い空を見つめて、女は大きく深いため息をつくと、立ち上がった。クローゼットの奥にしまい込んだままの足首まであるロングスカートをはき、白いブラウスに若草色のカーディガンを羽織った。いつもの様なミニスカートの女はそこにはいなかった。

女は外に出掛けた。すると街の景色がいつもとは違って見えた。全てが鮮やかにくっきりと輝いて見える。いつもは早足で通り過ぎる普段の道の風景を女は目に焼き付けておこうと思った。自分の時間があとわずかと聞かされても特別何かしておかなければならない事など思いつかなかった。女は近くの河原まで歩いた。傍らのベンチに腰をおろしながら、目の前を流れてゆく河の流れをぼんやりと見つめては終わろうとする自分の人生を思った。
「あれ?こんな所で何してんの?」
見上げるとそこには男が立っていた。その男は女の幼馴染の男だった。小学生の頃はよく一緒に学校に通った仲だった。
「久しぶりね。ちょっと、散歩よ」
「散歩か。それにしても随分久しぶりだね。まだこの辺に住んでいたんだ。君は都会が好きだから東京にでも行って暮らしてるんじゃないかって皆で噂していたんだよ」
「いいえ、ずっとここに住んでるわ。仕事帰り?」
「ああ、喫茶店でアルバイトをしててね」
「就職はしなかったんだ」
「うん。やりたい仕事がなくてね」
「そうなんだ」
「いつか、海外でボランティアの仕事をするのが夢なんだ。だから就職しないで少しずつお金を貯めてる」
「そうなんだ」
「なんか、元気がないね」
「そんな事ないわよ。元気よ。それより何処の喫茶店で働いているの?」
「青山のカフェだよ。名前はオラシオン。知らないとおもうけど」
「え。知ってるわ。私、そこのカフェにいつも行くもの」
「だって、俺は毎日そこで働いているよ。違う店じゃない?」
「多分、私だって事が分らなかったのよ。全然今とは違う感じだったから」
「でも、俺の顔を見たら君が気づくと思うけどな」
「気づかなかったわ」
「不思議な偶然だね。いつも見かけていたのにどっちも気が付かないなんてね」
「そんな女だったのよ」
「何が?」
「カフェの店員なんか、目に入らない」
「そりゃそうだ」
「ごめんなさい。そんな意味じゃないの。私がそんな女だったって事よ。自分の問題」
「そう言えばさ。覚えてるかな、中学の時に俺が君に好きだ。って告白したこと。もう忘れた?」
女はその時思い出した。この河原の同じ場所で、幼馴染のこの男に告白されたあの日の事を。
「あ。思い出した。そんな事が確かにあった」
二人はお互いの顔を見合わせて笑った。
「今度さ、休みの日に何処かへ一緒に出かけないか?」
「え。私と?」
「目の前には君しかいないじゃないか。相変わらず天然ボケかい?」
「私、昔と随分変わったかしら?」
「全然!あはは。まったく変わってないね。進歩なし!」
二人はまた顔を見合わせて笑った。
「ひどいわね。でも、いいわよ」
「よかった」
「明日じゃ駄目かしら」
女は懇願するような顔をして言った。男は女の中に見えるか細くて頼りなげな心を感じていた。
「明日か。いいよ」
「大丈夫?」
「もちろんさ。昔からそれが夢だったんだから。まあ、あのとき振られちゃったことは水に流してさ。恋人同士になれなくてもいいんだ。幼馴染としてでも僕は嬉しいよ。君にまた会えたんだから」
「まだ、恋人いないの?」
「ああ、いないよ。就職もせずにアルバイトの身分だからな。誰も相手にしないよ。もしかして俺みたいなのを世間ではニートって言うのかな。どうでもいいことだけどね」
「そうなんだ」
「君のことを今でも想っているから、恋人をつくらないんだ!なんて言ったらビックリするかい?」
「えっ」
「あはは、ごめんごめん。冗談だよ」
「振られた仕返しでしょ?」
女は男を見つめて笑った。しかし男は笑わずに黙って女を優しく見つめていた。二人は何か忘れかけていた感情が、お互いの心の中で雲のように湧き上がってゆくのを感じていた。
「送ろうか?」
「いいえ、いいの」
二人は明日の約束をして別れた。
いつしか遠い空には美しい夕焼けが広がり、その色が川面に反射して、女の顔を茜色に染めていた。女はしばらくの間そこに佇んでそれを見ていた。その時、秋の悪戯な突風が女の長い髪を吹き過ぎ、瞼に溜まった泪の粒を女の肩に散らした。

女は部屋に戻ると鏡の前に座って想っていた。それは鏡の中の言葉の死の宣告のことではなかった。あの幼馴染の男のことだった。女は初めて自分の心の中の恋心を理解した。そして考えた。明日男に会えばきっと楽しい時間を過ごせるだろうと。しかし、ようやくそんな気持ちになれたのに自分には時間がない。後から訪れる絶望と男を悲しませるのではないか。という思いが心に重かった。女は鏡に向かって向き直ると、その中を覗いてみた。鏡の中には無数の砂時計があった。女は男の名前の書いてある砂時計を探した。そして見つけ当てたその砂時計は他の誰の砂時計より大きく、ガラスの内側には満々と砂を湛えていた。女はその砂時計を見て安心した。「きっと彼は将来幸せになる」そう確信したのだった。よくみると男砂時計の隣に今にも終わりそうな小さな砂時計が見えた。女はその砂時計に自分の名前を発見したのだった。女は泣いた。声をあげて泣いた。女は小さな声で言った。
「さようなら」
すると、みるみる女の砂時計に砂が注がれていく。女は驚いてそれを見ていた。そしてとうとう女の砂時計は、いっぱいの砂で満たされた。
「どういうこと?」
するとまた、あの声が聞こえた。
「どういうこととは?」
「砂がいっぱいになったわ」
「そうさ。かつてお前は商品だった。しかし、今は人間の心を取り戻したではないか。当たり前のことさ」
「そうなの?」
「ああ。言っただろう、俺はお前だって。お前は自分自身で自分の心に愛を取り戻したのさ。だからもう何も心配はいらない」
女はそのとき、全てを理解した。そして鏡の前で泣きながら笑った。その女の顔は、どんな化粧も及ばないほど美しかった。
「最後に言っておくが、お前の幼馴染の男の砂時計を見てみろ」
鏡の中の声はそれきり聞こえなくなった。
女はまた鏡の中の砂時計に目をやった。よく見ると女の砂時計のてっぺんには小さな穴が開いていた。そして隣にある男の大きな砂時計からは砂がとめどもなく流れ落ち、女の砂時計に砂を降らせているのだった。
「あなたが私に命を分けてくれたのね」
そして女は、自分の命が誰かの命に支えられて要る事を知った。
「私もいつかあなたを支える命になりたい」
女は心の中でそう呟いた。





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