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孤独という名のBAR

とある港町の路地裏に「孤独」という名前のバーが、一軒だけ隠れ家のように漆黒の闇の中に明かりを灯していた。
男の子のように短く切り揃えられた髪の女が、その店のドアを開け、物語は始まった。
「いらっしゃい」口髭を蓄えた初老の男が、静な低い声で女に挨拶をし、左手で外の看板のスイッチを消した。
「こんばんは。本当に椅子がひとつきりしかないんですね」
「孤独という名前のバーだからな」男はグラスを拭きながら、視線を合わせずに答えた。
「マルガリータをおねがいします」女は正面に掛けてある大きくて古い柱時計の、ガラスの奥の自分の顔を見つめた。
小気味よくシエイカーを振る音が、無垢の一枚板の重厚なカウンターに響き、店内の空気が引き締まったように感じられた。
女は黙って男の手元を見つめていた。
スノースタイルのカクテルグラスの中の液体は曇り空の様にも見えた。男は2本指でグラスの足を押さえて、女の前にそれを静かに滑らせた。女はグラスに口をつけた。
「美味しい。そして、寂しい味がしますね。実は初めて飲んだんです。何処で覚えたのかは忘れたけど、名前だけは知っていたのね」
「寂しい味がするか?」
「ええ、寂しくて何処か懐かしい味がします。なぜマルガリータという名前なんだろう?このカクテル」
「どっかの女性の名でね」
「そうなんですか。美しい名前ですね」
男は女が話し終わる前に口を挟んだ。
「昔、ある男が恋人と2人でハンティングに出掛けたらしい。そしてその男の撃った流れ弾が女性にあたり、その女は死んだそうだ。本当かどうかは知らんがね」
「それで恋人の名前を付けたんですね。その恋人を忘れない為に思い出として」
「思い出ね。この歳になると、あるのは思い出ばっかり。その度にいちいちカクテルなんぞ作ってたらキリがなくなる」男はカウンターに皺だらけの手を置いて、それを眺めながら小さな声で呟いた。女はひとつ大きく息をするとまた、大きくて古い柱時計のガラスに映る自分を見つめて言った。
「私の恋もたった今、思い出になりました」
「どういう訳だい?」
女は短く切り揃えられた髪を指でなぞりながら答えた。
「今夜、12時に恋人と待ち合わせしていたんです。もう時間は過ぎてしまいましたけどね」
「待ち合わせね」男は女を黙って見つめた。女の飲んでいるマルガリータは小さな汗をかいて、塩が涙の結晶の様に流れていた。女は人差し指でそれを撫でた。
「グラスを替えようじゃないか」男は女の前に置いてあるグラスをカウンターの中の流し台にさげると、何も言わずに酒を作り始めた。シェイカーを振る音が店内に響いた。女は黙って、正面に掛けてある大きくて古い柱時計のガラスの中の振り子を見つめていた。やがて出来上がった新しいカクテルが女の前に差し出された。
「とても澄んだ美しい青色ですね」
「思い出に」男は髭を撫でながら照れくさそうに言った。
「名前はなんて言うんですか?このカクテル」
「さあな。名前はあんたが勝手に決めればいい」
それからは、この女もこの男も口を開かなかった。お互いに顔と顔を見合わせて、別れの挨拶を交わしただけだった。
女は外に出ると、オレンジ色の外灯の灯る船着場まで歩いていった。遠く沖には漁をする船の明かりが幾つも連なって浮かんでいる。
女は大きく息をして新しい空気を吸い込んだ。
女は帰り道で立ち止まり、星の輝く夜空を見上げると、あのマスターが作ってくれたカクテルに名前を付けた。
それは「希望」という名前だった。





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