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100人目の女

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 男はまだ若く、街でも有名な会社の社長であり、有名な遊び人でもあった。
 イタリア製のスーツを着て、ドイツ製の車に乗って街角で声をかければ、女たちは皆この男について来た。しかし、今はそうではない。目の前にいるこの100人目の女は他の女たちとは違っていたからだ。
 この100人目の女に声をかけたのは、男にとっては単なるゲームだった。いつもは品の良さそうな服を着て、鼻を少し上に向けて歩くような女に声をかけていたのだが、どれも同じような女ばかりで飽き飽きしていた。そして今日この男は、あえて自分に相応しいとは思えないこの女に声をかけたのだ。
 この女はお世辞にも高級とはいえない女だった。女の着ている服は制服だった。それも近くの縫製工場の制服。女は通りに面した十字路の南側にある公園のベンチに腰掛けて弁当を食べていた。短い髪にはさっきまでかぶっていた頭巾の跡が窪んだまま残っていた。

「やあ、お昼かい?」

「ええそうよ。あなた誰?」

「僕はこういう者さ」

 男は胸の内ポケットから革の名刺入れを取り出すと、一枚を女に手渡した。

「要らないわ」

 女はその名刺を男に返した。

「ずいぶんとお堅いんだね君は」

 女は男を見上げていった。

「字が読めないの」

 男は意外な返事に少しとまどった。

「あなたが読んで、その名刺には何て書いてあるの?」

「ああ、いや、僕の名前だよ」

「じゃあそれを読んでちょうだい」

「ロバート・ウエールズ」

「そう、ロバートという名前なのね、その後は何が書いてあるの?」

「ロバート・ウエールズ証券会社」

「それから?」

「ああ、社長って、書いてある」

「そう、あなたの名前はロバート・ウエールズで、ロバート・ウエールズ証券会社の社長さんなのね」

「まあ、そうだけど」

「ところで、ロバート・ウエールズ証券会社の社長さんの、ロバートさんが私に何のご用があるのかしら?」

「ああ、もし良かったら仕事が終わった後に食事でもどうかな、と思ってね」

「驚いたわ、私をデートに誘いに来たの?」

「まあ、そんなところかな。ここを車で通ったら君の姿が見えたものだからね」

「そう。でも車で通りかかったところにいる女を、いちいち夕食に招待していたらきりがないんじゃない?」

「まあ、それはそうなんだけどね。僕は一目で君を気に入ってしまったんだよ」

「あなたはロバート・ウエールズ証券会社の社長さんのロバートさんなんだから、私なんかを気に入るはずはないわ」

「そんなことはないよ」

「あるわよ。私はあなたとは違う世界の住人なの。あなたには、あなたに相応しい女性がいるはずよ」

「相応しい、そう、その相応しいというのが僕にとっては問題なんだ」

「何が問題なの?」

「隣に座らせてもらってもいいかな」

「ええどうぞ。でも昼休みはもうじき終わるけど」

「ああ、そうか。そうだったね、ごめん。でも、それまで付き合ってくれるかい?」

「いいわよ」

「本当のことを言うと、実は僕は遊び人なんだ。街に出て女性を口説くのが趣味でね。僕は会社もやっているし、お金もある。でも友達はいないし、恋人もいないんだ」

「あなたには何でもあるのに、不思議ね。」

「君が100人目なんだ」

「何が100人目なの?」

「街で声をかけた女性の中で100人目。それに僕は来月結婚するんだよ」

「恋人はいないんじゃなかった?」

「恋人はいないよ。恋もせず、愛もなくても結婚は出来る。相応しいお嬢さんとね」

「結婚したくないの?」

「僕が欲しいのはお嫁さんじゃない。愛する人さ」

「じゃあ、なぜ結婚するの?」

「さあね。彼女は申し分のない家柄のお嬢さんなんだけど、愛してはいない。ただ僕に彼女は相応しいのさ。その相応しさが嫌なんだ。だからこの半年間、暇があれば街に来て女性たちに声をかけ続けた」

「そういうことね。だったら、あなたは遊び人なんかじゃないわ」

「遊び人さ。もしかしたら、すばらしい女性に出会えるんじゃないかと思ってね。でも無駄だったよ」

「出会えなかったのね」

「出会えるどころか、どの女性も同じだったよ。買い物に連れて行って、レストランで食事をしてホテルに行く。振られたことなんて無いよ。でも、なぜそうなのかは僕が一番知っている」

「何故なの?」

「それはね、僕に地位も名誉もお金もあるからさ。ただそれだけ。僕はありのままの僕だけを愛してくれる女性を探している。そして僕が心から愛せる女性をね」

「それは無理よ」

「何故無理なんだい?」

「私にも私に相応しい男性がいるように、あなたにもあなたに相応しい女性がいる。私はあそこの縫製工場で働いて、終われば自分のアパートへ帰る。ただそれだけ。私は工場で働いている友人の女性たちのようにお金持ちの男性を探したりしない。私はどこにでもいる女の中のひとりにしか過ぎない。だから私はどこにでもいる普通の女として、相応しい男性をやがて見つけるでしょう。それが私の望みであり幸せだと思っているわ」

「どうせなら、お金持ちの男をつかまえて結婚すればいい。そうすれば、君は縫製工場なんかで働かずに済むし、贅沢な暮らしが出来るじゃないか」

「それはあなたが住んでいるあなたの世界の価値観だわ」

「価値観?そんなことないさ、誰だって楽をして幸せになりたいに決まっている」

「じゃあ、幸せって何?」

「何も心配しないで暮らせることさ、他人よりいい服を着て、いい車に乗って・・・。」

「それから?」

「愛する人を見つける」

「そう、でも最後の“愛する人”は、見つけられないかもね」

「それが問題なんだよ」

 女は時計台の方を見ながら言った。

「もう、時間だわ」

「ああ、せっかくのお昼休みに邪魔をしたね」

「いいのよ。さようなら。ロバート・ウエールズ証券会社の社長さんのロバートさん」

 女はそれだけ言うと、縫製工場の方へと歩いていった。その後ろ姿に男は大声で叫んだ。女は青信号の点滅する交差点の真ん中で立ち止まり、男の方を振り返った。男は女に言った。

「名前を教えてくれないか、君の名前を」

「ジュリアよ」

「さようなら、ジュリア」

 女は点滅する青信号を駆け足で渡り、一度も振り返らずに縫製工場の門へと消えていった。
 この男は99人の女を手に入れたが、とうとう100人目のこの女に振られてしまった。そして男の耳には彼女が言った「ロバート・ウエールズ証券会社の社長さんのロバートさん」という言葉だけが何故かいつまでも残っていた。
 男はどこの誰でもない普通のロバートになりたかった。そうなれば、縫製工場で働く普通の女のジュリアに相応しいとも思った。そのとき男はすべてを理解した。「ロバート・ウエールズ証券会社の社長さんのロバートさん」と何故彼女は言い続けたのかを。
 男はとても悔しかった。それは100人目の女を逃したからではなかった。男は普通のロバートではない自分が悔しかった。男は地位や名誉やお金でも手に入れることの出来ないものがあることを初めて知った。そして彼女にどうしてもまた会いたいという気持ちが湧いてきた。あの短い髪の毛についた頭巾の跡も、縫製工場の制服も、そして笑顔で話すあの横顔も、すべてが愛しく思えた。
 男は自慢のイタリア製のスーツの上着を脱いだ。いまやどんなものも自分には価値のないもののように思えた。さっきまで二人が座っていたベンチに上着を投げ捨てようとしたとき、ハンカチに包まれた弁当箱が見えた。それはジュリアが忘れていった弁当箱だった。そのきっちりとして美しいハンカチの結び目を見ながら男は決心した。明日は普通のロバートに戻ってこの忘れ物の弁当箱を届けに行こうと。
そしてこの生まれたばかりの恋心も添えて。
 


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