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2009.08.18 天使の羽根
天使の羽根

雨の路上に膝から血を流したセーラー服の少女が転がっていた。その傍らにはバキュームカーが停車ランプを点滅させて停まっている。作業員はそれに気づかず長いホースにしがみついたまま汲み取りを続けていた。少女の横には倒れた自転車と透明なビニール傘が雨に打たれて濡れていた。少女は少し顔をあげ、そして悔しそうに泣いた。

そしてその光景をひとりの天使が黙って見ていた。
少女は自転車で坂道を下り、曲がり角に停車していたバキュームカーに接触して転んだのだった。膝から血を流して転がっているこの少女を助け起こす者は誰一人としていなかった。そしてこの少女は美しくなかった。学校では容姿の事を毎日のように馬鹿にされ、本人も自分の顔がとても嫌いだった。
誰が見てもこの光景はとても残酷な一場面であった。激しい雨、壊れた傘、ハンドルの曲がってしまった自転車、そしてセーラー服を着た美しくない少女、誰も助け起こそうという人影もない見捨てられたような世間の片隅、そして辺りには汲み取りの臭いが漂っているだけであったからだ。

天使はそれを見かねて地上に降り立ってみた。少し小太りでにきび顔の青年に姿を変えた天使は、少女の傍に歩み寄って声を掛けた。
「さあ、立って。足は大丈夫?」
少女は泣きながら頷いて立ち上がった。少女の唇と下あごが小刻みに震え、鼻水が口角からあごを伝って雨の路上に落ちていった。少女は顔をクシャクシャにしてまだ泣いていた。
ようやく作業員達が作業を終えて戻ってきて、少女とこの青年に気づいた。
「どうした。転んだのか?」
「この子が坂道からこの角を曲がって、その車にぶつかったんですよ。いくらなんでも曲がり角に駐車するなんて危険です」
「こっちは仕事でやってんだ。何処に停めようと知ったことか。どうせ、そのウスノロの不細工が勝手にぶつかったんだろう?そっちこそ気をつけるんだな」
作業員は相方と大笑いしながらそそくさと車に乗り込んで走り去っていった。
少女は身体をガタガタと震わせて、歯をくいしばってその走り去っていく車のテールランプを見つめていた。また、大粒の悔し涙が少女の目からこぼれ落ちた。
「ひどい奴らだな。さあ、僕が自転車をひいてあげるから雨宿り出来る公園まで歩いて行こう」
「ありがとう」
少女は小声で礼を言うとよろめきながら歩いた。
しばらく行くと屋根のかかったベンチのある公園に着いた。公園の入り口に自転車を停めて2人はベンチに腰を下ろした。少女は少し落ち着いた様子に見えた。そして天使は少女に話しかけてみた。
「大丈夫?足は痛むかい?」
「もう大丈夫。擦り傷よ」
「そうか。よかった」
「ひどい奴らだったね」
「私が不細工だから、誰も助けないのね。きっと」
「そんなことないよ。不細工なんかじゃないよ」
「いいのよ。それは自分が一番わかっているから」
「実はね、僕は天使なんだよ」
「天使は美女の所にしか現れないわ。それから王子様もね。不細工が主人公の昔話って聞いたことある?」
「そうだな。アヒルの子が白鳥になる話は?」
「あれは鳥の話よ。人間じゃないわ」
「不幸な主人公は幾らでもいたよ」
「そうね。貧乏とかいじめられっ子とか魔法にかけられたりね」
「そうそう」
「でも、不細工だったとは何処にも書いてないわ。そんなことしたら本が売れないに決まっているもの。それに映画にもならないしね」
「美女と野獣っていうのがあったね」
「野獣は男性で、女性はやっぱり“美女”ね」
「それは役柄の話だから」
「“美男子と野獣女”だったら、誰も観ないわ」
「少し元気がでたみたいだね。安心したよ」
「助けてもらったのに、ごめんなさい。私こんな風に毎日、他人をやっかんでばかりいるの。心も不細工になりそうで怖いわ」
「心が美しいのが一番いいよ」
「ありがとう。でもね、その慰めは一番惨めになる慰めの言葉なのよ。不細工な人に不細工じゃない人が、ほんの些細な優越感を言葉に乗せて言うセリフなんだわ」
「そもそも、何を基準に不細工なんて言うんだい?」
「大勢の人の価値観かしら」
「価値観ね」
「多数の意見で決まるんだね」
「そうよ」
「僕が天使だという事は信じない?」
少女は青年の顔をしげしげと見た。
「信じないわ」
「どうして」
「天使は小太りでにきび顔の青年になんか化けないわ」
「言ってくれるね。君の価値観も君を不細工と呼ぶ人間の価値観と一緒じゃないか。君が凄い美人だったら、世界中で一番のいじめっ子になったかもしれないね」
少女は何かを思いつめたような顔で答えた。
「私、いつからこんな風になってしまったんだろう」
大粒の涙が目じりに溢れ、次第に膨らんで頬を流れた。
「神様はみんなを平等に愛してくれているのかな。まだ16年しか生きていないけど、どうしても平等だとは思えないのよ私」
「平等だよ」
「とても平等だとは思えないのよ」
「そうか、それじゃあ君にいいものを見せてあげよう」
天使はそう言うと少女の手を握り締め、空高く舞い上がった。
「僕が天使だということを信じるかい?」
少女は目を丸くして震えながら答えた。
「ええ、信じるわ」
天使は少女を毎日いじめる3人の同級生の家へと向かった。
庭の高いポプラの木の梢で2人は最初の同級生の住む家の中を白い文様の入った豪華な窓から覗いてみた。
「あの子だわ」
そこには何かしらを言い争う夫婦の姿が見えた。男はダイニングテーブルの上の食事を皿ごと床にぶちまけ、何かを叫んでいる。
隣の部屋から同級生の女の子が男に走り寄ると、その男はその少女の頬を平手で殴りつけた。女はその場へ駆け寄って少女をかばった。男はなおも大声で何かを叫んでいる。その手にはウイスキーの瓶が握られていて、したたかに酔っ払っているようだった。
「彼女はお金持ちのお嬢さんなの。こんなことあるはずないわ」
少女は自分の目を疑った。そういえばいつか、あの子の額に青いアザを見たことがある。少女は青ざめた顔をして目をそむけた。
「天使さん。もういいわ」
「まだだ」
天使はそう言うと2番目の同級生の家へと向かった。
2番目の同級生はベッドに腰を掛けていた。
「眠る所だわ」
天使は少女を窓の傍に近づけて言った。
「手元を見てごらん」
2番目の同級生は手のひらに数十種類の薬をのせて、半分べそをかきながら一粒口に放り込んでは水を飲んで、それを繰り返していた。
「なんの病気かわかるかい」
「いいえ」
「そのうちに分る日が来る」
天使はそう言うとまた天高く舞い上がり3番目の同級生の家に向かった。しかし、そこに同級生はいなかった。天使はゆっくりと少女の手を引いて街の繁華街の上へとやってきた。
「あれをごらん」
そこには3番目の同級生が、丸裸になってベッドに腰を下ろし、数枚の札を数えている姿があった。中年の男らしい人間が振り返りもせずに部屋のドアを開けて出て行く所だった。
少女はその光景が見える部屋の窓から視線を上げた。そこは街で一番安いホテルの一室だった。
「なんてことを」
少女は狼狽してガタガタと震えだした。
「信じられないわ。あの子達がこんな風だなんて」
「現実だよ」
天使は少し憂鬱そうな顔をしながら黙って飛んだ。そしてやがてもといた公園のベンチの上に少女を降ろした。
「どうだい。君の価値観とやらは当たっていたかい?」
「いいえ。私はいつの間にか心まで不細工になっていたんだわ。私の知らない所であの子達にこんな事が起きているなんて」
優しく天使は言った。
「朝、目が覚めると太陽は空にあるかい?」
「ええ」
「希望も闇に消えそうになる真夜中に月と星は君の上にある?」
「ええ」
「それでもまだ、平等だとは信じられない?」
「いいえ。信じるわ」
「よかった。目に見える事だけが現実ではない。そして目に見える事だけが全てでもない。幸か不幸かは誰にも決められないし、誰も決めることは出来ないんだよ」
少女は目にいっぱい涙をためて天使の言葉を聞いていた。しかしその涙を少女は手で拭い、天使に向かってこう言った。
「私、明日はあの3人の友達に声を掛けてみるわ。考えてみたら、私から話をしたことないの。そして、精一杯優しい気持ちで笑ってみるのよ。こんな気持ちになれたのはあなたのお陰よ“天使さん”
本当にありがとう」
「本当の事を白状するが、僕は天使なんかじゃないんだ」
「何故?」
「僕は君の美しい心の分身さ。そう君自身なんだ。もし君が道に迷う時きっと僕を探して」
天使はそれだけ言うと幻のようにベンチから消え去った。天使が消えたベンチの上には真っ白な羽根が1枚落ちているだけだった。





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