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2010.12.29 路上にて
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クリスマスが過ぎ、もうすぐ正月を迎える。
思えば誰にでも季節は巡ってくる。
しかし、この冬という季節が運命の分かれ目になってしまう人たちもいる。
それは失業してホームレスになってしまった人たちである。
この豊かな国日本の片隅には、更に片隅に追いやられている人々がいる。
何を着ようか?何を食べようか?初詣は何処にしよう?
などと考えている豊かな人もいれば、
日々の不安と闘いながら死という現実を突きつけられて生きる人々もいる。
そんなことが気になりだした僕は、電車に乗り大阪に向かった。

ここは大阪のとある公園なのだが、
青いビニールシートを張ったテントがずらりと並んでいる。
その横の広場では白ご飯とキャベツの入った温かいうどんが振る舞われている。
野宿者を支援する団体のボランティア達が忙しく食事を手渡す傍らで、
列をなすホームレスの人たちの姿が見える。
小さなたき火を囲んで語り合う人たちがみえる。
行政にも見捨てられた小さな世界には、何故か世間にはない一体感があった。

僕は彼らと一緒に公園でゲームをして遊んだ。
ボランティアの学生さんもいれば、かなりお年のホームレスの方もいる。
何とも風変わりな集団が無邪気に公園で遊んでいる姿は、
僕の住んでいる街の風景とはまったく異質なものであったが、
誰もがにこやかに遊びに興じる様子を見て少し硬くなっていた心が和むのを感じた。

予報では明日から大荒れの天気になるらしいから、その為の準備もした。
テントの余った骨組みで、すでに建っているテントの周りを囲んでロープで固定する作業。
毎年のことなのか作業は手早く進んで行く。
そうしている間にも別の班は買い出しに、また別の班は布団の搬入作業をする。
僕も駅前での街頭募金チームとして募金箱とメガホンを持って駅へと向かった。
大阪の街角には強風が吹き荒れ、寒さが足元から全身に染み込んでくる。
ビラを手にメガホンで叫びながらの募金。
無関心な人々が通り過ぎるのを見ながら、確かにある見えない壁を感じていた。
そして、街行く人の温かさも同時に感じていた。
行政の方針がどうであろうと、同胞の困窮する姿に同情してくれる人たちだ。
僕はこの寒風吹きすさむ駅前の路上に壁を越えるための接点を見たような気がした。
段ボールで出来た募金箱の小さな穴には愛の通路がある。
他人を思いやる優しさがこの路上にはある。
一見無関心と見える人々も本当はそうではなく、
恥ずかしかったり、一歩踏み出せないでいるだけなのだと思えるようになっていた。
そして、国や行政が出来ないことでも、小さな事なら自分でも出来るのだと実感した。

僕が出会って話しをしたホームレスの方は誰もが明るく元気だったし、
想像していたよりも憂鬱そうではなかった。
まあ、憂鬱にふさぎ込んでいる余裕などないとも言えるのだが。
今、彼らには仕事も家もお金もないが、かつては日本の国を支える働き手であっただろう。
考えてみれば、役にも立たない詩人などよりはよっぽど立派な人たちである。
そして彼らは決して差別されるような特殊な人間達ではない。
僕たちと何も変わらない普通の人たちである。
近頃は「自己責任」という言葉が一人歩きしているが、
彼らにもその強引で一方的な自己責任を押しつけて良いかは疑問がある。
難しいことは僕には分からないが、横に置いてほったらかして済む問題ではないことは確かだろう。

僕たちが暮らす街の片隅には
僕たちが生み出した悲しみがある

僕たちが暮らす街の片隅には
僕たちと同じ仲間が見捨てられている

僕たちが暮らす街の片隅には
僕たちの知らない世界がある

僕たちが暮らす街の片隅には
誰も知らない笑顔がある

僕たちが暮らす街の片隅には
小さな愛を必要とする友人がいる




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