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駐車場係の誤算

この男はバスの停留所の脇の駐車場の係員であった。
その交差点には直進と左折とほとんど見捨てられた右折、そしてその直進から更に直進と右折を示す車線が、消えそうな主張をしている。そして頭上にかかる歩道橋には誰もが間違えてぶつかりそうになる曖昧な路線案内図があった。
この男の突っ立っている駐車場の向い側には酒屋があって、その間口いっぱいに酒、タバコ、ジュースの自動販売機が並んでいた。
そしてその酒屋の横にもバスの停留所があった。
なので人々は皆、この男の目の前を横切り、申し訳程度に青色を点滅させる横断歩道を足早に渡るのであった。
そしてこの男は「想像する人」であった。
男は1日中駐車場の入り口に立って辺りを眺めてはそこを通り過ぎる人間について勝手な想像をめぐらしていた。
そしてこの男の想像したことが正解であるか不正解であるかは、誰にも確かめようのない事であった。

あるとき1人の女が駐車場の前でハイヒールを下水溝の網目に引っかけて転んだ。この女は毎日その場所を通る女だったが、男とは挨拶を交わすような間柄ではなかった。
「大丈夫ですか?怪我はない?」
「すみません。大丈夫です」
毎日通るこの女の笑顔を、このとき男は初めて見たのだった。そして女は礼を言うと少し足を引きずりながら通りの角へ消えていった。いつも無表情で歩き去るこの女の中に美しい笑顔を見つけて以来、男はこの女が気になりだした。
夕方になるとその女は毎日、バスから降りてきた。そしていつものように男の前を通り過ぎる。しかしあれ以来、女は男と目が合うたびににこやかに笑って挨拶をするようになった。
そして男はいつものように、この女について想像した。この女はとても美人だが、世間の男達の視線を浴びることのない何処か忘れ去られた存在で、20代も後半というのに独身の女。おそらく地方から就職でここにやってきたのだろう。それか、大学に通うためにこの街に住み着いて、そのまま適当な働き口を得たのだろう。現在の仕事はおそらく歯科助手か何か。仕事場では冗談の通じない年寄りの歯医者に馬鹿にされたような視線を浴びていて、そろそろ転職も考えてはいるが、何か新しい事を始める為のきっかけがないため仕方なしに現状に甘んじているのだろう。この女の年代になると新しい事など滅多に起きるものではない。新しい変化と言えば世間では結婚ぐらいのものである。しかしこの女にはそのような当てもない。帰宅途中の駅前のスーパーのビニール袋を手にさげてバスを降りてくるこの女は、近頃の女性にしては家庭的な感じがする。朝には自分の弁当を作り、夜には疲れた体で夕食の支度をする。食器棚には対の物はなく、全て単品の安物の食器が置いてある。唯一自分以外の誰かと対になっている食器と言えば、あまり仲の良くなかった友人に、義理で招待された結婚式でもらった花柄の品のないティーカップぐらいのものだ。しかしそれも箱に入ったまま押入れの隅にしまい込んでしまっており、その箱の上には故郷の両親が上京の際に持たせてくれた不必要なコーヒーメーカーが置いてある。
昔は付き合っていた男もいたがそれも中学生の時代の話であり、よくありがちな曖昧な関係を、本人は恋愛関係と勝手に決め込んでいたにしか過ぎなかった。中学を卒業して高校に進学したがそこは女子高であった為、またしても恋愛には恵まれなかった。その女子高で唯一経験したことといえば、男性に対する恋愛感情の他にもまた別の恋愛の形が存在しているという事だったが、彼女には理解できなかった。やがて上京し東京の大学に入学したがそこはお嬢さん学校として有名な所であった。それほど裕福ではないこの女の家庭環境では同級生の女たちのする享楽的な遊びや、金を湯水のように浪費させる買い物趣味には到底ついていけなかった。いつしか周りからは空気のように扱われ、友人も出来なかった。大学を卒業してもこれといった就職も出来ないまま1年が過ぎようとしていた頃、街で声を掛けてきた男に誘われて喫茶店に付き合ったことがあったが、夏に仲間と一緒に海へ行こうという誘いが最後で、それっきり連絡は来なかった。その年、この女は何十年もかけていた眼鏡をコンタクトレンズに変えた。その顔は自分が思っているほど不細工ではなかった。この女は、男が自分の顔をどう感じるかについてまったく理解していなかった。この女は色白の美人であったが、本人は自分に自信がもてなかった。そしてこの女の内気さを物語るもうひとつの品物は箸であった。高校1年のときに家族で能登に旅行に行った際に買い求めた家族おそろいの輪島塗の比較的安い箸だった。上京の際にもこの箸を持っていくように母に言われた。女がこれから始めようとしている心ときめく新生活に、どこか水をさされたような気分がしばらく続いたものだったが、今となってはそんなことは思い出しもしなかった。このようにこの女の人生は顔に似合わず人並みの幸せ以下のぼんやりとしたものだった。歯科助手になってから出会いはますますなくなった。たまに声を掛けてくる若くてハンサムな患者もいたが、口の中を覗くと現実に戻ってしまう。
と、ここまではこの男の勝手な想像だ。

そんな事をいつも想像しながら男は毎日女を見ていたのだったが、珍しく日曜出勤した男はふと横断歩道で信号待ちをしているカップルの後姿を見た。あの女だった。隣には男が立っている。男はぼさぼさの頭をして横縞模様のポロシャツを着ている。手にはスポーツ新聞を広げ、立ちながらそれを読んでいた。女は浮かない表情をして信号の変わるのを黙って見つめていた。会話はない。そして不自然に開いた立ち位置の微妙な距離。駐車場の男はその光景を見て直ぐにそれが夫婦であることを察した。
「へぇ、結婚してんだ」
男は声に出して言った。
そして信号が青に変わり、カップルは横断歩道を渡った。ふたりは向いのバスの停留所に並んで立った。女は右手から来るであろうバスを目で探し、駐車場の男と目が合うと少しはにかみながら笑って挨拶をしたが、直ぐに目をそらした。その女の姿は男が今まで勝手に想像していた独身の女のそれとはかけ離れていた。何処か生臭い生活感の漂う表情であった。いつも1人でバスから降りて来るあの女の孤独感はなんだったのだろうと、男は想像した。多分この夫婦はうまくいってないだろうと考えたのだった。旦那は平凡なサラリーマンか何かで、野球の試合の結果にしか興味のない男だろう。家にいても会話はなく、子供もいない。お互いにこんなはずではなかったと思いながらも、惰性だけで生活し、日々をやり過ごしているような何処にでも居そうな夫婦だろう。そんな想像をしている間にバスがやって来て、夫婦はいってしまった。

男は胸の奥で何かがしぼんでいくのを感じていた。
「そのうちに、離婚だろうな」
男はまた言葉に出して言った。あの女がたとえ独身でも自分にチャンスがあったとは思いたくなかった。そしてあの女が今後、離婚するようなことになったとしても自分にチャンスがあるなんて思いたくもなかった。全ては想像の産物であることを男は改めて知った。この駐車場の男は自分の孤独と向き合うことは決してしようとしなかった。毎日、目の前を通り過ぎていく人間の中に孤独と不幸を見いだして、想像するだけの人生だった。

ふと、目の前を通り過ぎた女子高校生がしばらく行き過ぎてから大声で笑い、お互いに身体を叩き合ってふざけている姿が目に入った。
「平和だな」
男はぼんやりと呟いて、無邪気な学生の生活を想像して苦笑した。女子高生は通りの向い側で、また男を振り返って笑った。
「何がそんなにおかしいんだ。そのうち社会に出て、痛い目にあうんだ。のん気に笑っているがいい。」
男はまるで自分の過去を振り返るように言った。
この男は「想像する人」であったが、「孤独な人」でもあった。
今日、この男のズボンのチャックが開きっぱなしになっている事を、教えてくれる人は誰もいなかった。
遠くから聞える女子高生の笑い声が、まだ駐車場の男の耳にとどいていたが、自分自身の今現在の状況については、この男は想像しようとも思ってはいなかった。





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