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幼い頃から釣り好きだった僕は、
大人になってからも毎日のように川釣りに出掛けた。
実家のすぐ近くには日本三大急流の最上川が流れ、
自動車で20分も走れば、
山間に無数の美しい渓流があった。

渓流の釣りの解禁日には、
まだ夜が明けきらない薄明かりの下で、
春の雪解け水に腰まで浸かって無心で釣糸を垂らした。
普通は腰や胸まであるウエーダーと呼ばれる胴長靴を履いて川に入るのだが、
僕は普段着のままスニーカーで川に入る。
この行為は魚たちが住んでいる川と同化する為に、
僕が勝手にあみだした釣りの秘儀なのだが、
寒いとか、痛いとかを超えた過酷なものだった。
頭はアイスクリームの冷たさが脳天に突き刺さるあの感じが持続し、
下半身はもう何も感じない。
今から考えればあれは、釣ではなく修行に近い行為だった。
その修行のおかげで野生の感覚が磨かれたのかは知らないが、
10年もそんな事をやっていると、川の声を聴く事が出来るようになる。
無数の川を渡り歩き、山の奥深くまで何時間も釣り歩く。
孤独だが孤独ではない不思議な空間に心が満たされ、
言葉の無い長い対話の中で、
地球はほんの少しだけ秘密を教えてくれる。
下界で無数の悩みと疑問符を抱えて生きる僕に、
自然はいとも簡単に答えを出す。
日本人は古くから八百万の神を信じて大事にしてきた民族だし、
その神とはすなわち自然であり森羅万象の総称なのだ。
頭で理解するのではなく、
五感で物事を理解するとき、
その答えはいつもシンプルに心に届く。
忘れてはいけない大切なことだと思う。
数年前のことだったがある雑誌をめくっていたとき、
「最後の清流、四万十川」と言う見出しが目にとまった。
最後の清流だから、もう他には清流は無いと言うことなのだ。
僕は早速、四万十川に出掛けた。
今回は釣竿を持たずに「最後の清流」と対話する為だけに向かった。
美しい川だった。
四万十川に架かる沈下橋には手摺も何も無い。
その真ん中に立つと午後の太陽に照らされた自分の影が
美しい水面にゆらめいて、泳いでいるように見えた。
近くには、名物の鮎の塩焼きが売られていて、
匂いに誘われて暖簾をくぐった。
四万十川の天然鮎とただの鮎の2種類が売られていて、
値段に随分と差があったのを覚えている。
四万十川の鮎はエリート鮎であり、
最後の清流で捕れる最後の鮎なのだ。
なんとなく現実に引き戻されたような気になった。
凡人の僕はエリート鮎をどうしても食べる気になれなかった。

夕日に染まる
四万十川

さようなら

彼は言った

またね
とは
言わなかった

美しい川が
いつまでも美しくありますように
僕はそっと祈りの言葉を呟いて

砂漠の村に
帰って行く
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