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2010.09.17 明暗
意外と暗い詩が多いですね。と、言われることがある。
人生にそれほど毎日のように明るい話しも、
面白おかしいことも起こらないと僕は思っているのだがどうだろう?
ある意味、暗い印象は真剣さから生まれてきているのかも知れない。
真剣に書けば書くほど上面の明るさは消えてゆくのだ。
しかし、その闇の中にある本当の明るさを中々見つけられないのが現実だろう。
僕自身は自分の書く詩を暗いとも、明るいとも思わない。

本屋では明るく希望に満ちた言葉を集めた本が流行している。
その現実味のない甘い言葉を読んで勇気づけられるというのだから詩も地に落ちた。
実に面白いのが「頑張らなくていいんだよ」などと書いてある詩集だ。
そう書く前に、頑張らなくても生きていける砂糖菓子のような世の中を創るのが先だろう(笑)
真理と言葉、言葉と人を繋げるのが詩人の仕事であるはずなのだが、
言葉と売り上げを繋ぐだけが近頃のやり方らしい。

ゲーテによれば、「詩人は誰もがつまずくであろう石のありかを教える」とある。
しかし、「無責任に甘い言葉をばらまいて金儲けをしろ」とは書いていない。
誰かが言葉をただの玩具にしたら、詩人はその言葉を救済しなければならない。
言葉はいつも実用品であるべきであり、装飾品ではない。
使えないものを並べ立てて喜んでいるようでは仕方がないのである。
ルームランナーで何時間走ろうが、何処にも辿り着かないのと同じだ。
まあ、合理主義的に「走れば同じである」ということも言えるのだが、
僕にはそれがとてつもなく不毛に思える。
言葉だけでなくそのような形だけの行為でこの世は溢れかえり、
誰もがそれに慣らされる中で鈍感になってしまっているのだろう。

そもそも生きるということはその過程を体験する行為であり、
現代のような「形至上主義」をそのまま受け入れるとすれば、
どうせ死ぬのだから、生きても無駄ということになりはしないだろうか?

ネガティブだ、ポジティブだ、と何でもかんでもうわべで判断する前に、
もう少し真剣に生きることや言葉を考えてみたらどうだろうか。






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