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2010.08.15 歸國
今日は楽しみにしていた倉本聰さんの「歸國」をテレビで観た。
戦死した英霊と現代日本の対比が秀逸であった。
しかし、これを観て戦争とか英霊とかにこだわって観てはいけない。
それは、自分自身のルーツである命の繋がりのドラマである。
僕は「紡ぐ」という言葉が結構好きだ。
人間がいかにして命を紡いできたのか。
そして戦争という抗いがたい現実の中でどう命を紡いできたのか。
それに尽きるような感じがする。
それは、現代人が初心に帰るための、「歸國」であるのだと思う。
僕は46歳だが、祖父母に育てられたせいか考え方が古い。
恐らくは僕の父親世代と考え方が似ているかも知れない。
幼い頃は戦争の話を祖父からよく聴いた。
始めて買ったカセットテープは「日本の軍歌」であったのを覚えている。
戦争の話をされても平和な時代に生まれた僕はまったく実感がなかった。
それどころか、その実感のない自分に苛立っていた。
あれは、小学生の頃だった。
空襲の話になり、空からいつ爆弾が降るか分からない恐怖を祖父が語った夜だった。
どうも実感のつかめない僕は夜中に起き出して台所へ向かった。
暗闇の台所からずっしりと重い出刃包丁を持ち出し、
ついでに裁縫箱からしつけ糸を拝借して部屋に戻った。
僕は出刃包丁の柄に糸を巻き付け、勉強机のイスを踏み台にして天井の梁にそいつをぶら下げた。
その下に布団を移動して、包丁の真下に枕を置いた。
頼りなげな白い糸に吊されて包丁はゆらゆらと揺れている。
部屋の中は異様な空気に包まれ、僕は既に恐怖を感じていた。
その真下に身体を横たえるまで何十分かかったことだろうか。
僕は出刃包丁の真下にようやく横たわった。
鼻先から30センチの所にまだ包丁が揺れていた。
長く伸ばしてある電灯の紐を引くと真っ暗闇になった。
もう包丁は見えない、しかし、恐怖はそこに確実にある。
数時間、冷や汗をかきながら僕は見えない恐怖と闇の中にいた。
目をつむることも、身じろぎも出来ず、恐怖におののきながら時間は過ぎていった。
と、まあ、ここまで書けば僕がどんなに変わり者の少年だったか想像に難くはないでしょうな。
僕は自分の知らない戦争の詩をよく書くし、戯曲にも書いている。
もしかしたら、そのことは幸せなのかも知れない。
戦争を知らない人間が戦争を語り継ぐ時代がまもなくやってくるだろう。
良き、語り手となるために最大限の努力をしたいと思う。

明後日は大阪に、この「歸國」の舞台を観に行く。
どのように舞台化されているかのか興味深い。
僕は倉本さんには、一度しかお会いしたことはないが目つきの鋭い方だったと記憶している。
時代を見つめる男の目には力が宿る、そして限りなく澄み渡っている。

君たちはどうかな?





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