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詩人という名の何でも屋

 ある日、東北のとある町から凄い厚みの郵便物が届いた。封を切ると中身は振興基本計画書。つまりは町のこれからのビジョンを記した冊子だ。
 この町は今流行の市町村合併やらで統合された新しい町であり、大自然の他にはこれといった特徴のない地域であった。町おこしを願って大勢の有識者や住民や役場の方が苦労して絞り出した知恵の結晶がこの一冊らしい。
 読んだら意見を聞かせて欲しいと、役場の担当者が奈良の詩人に送ってくれたものなのだ。
詩人の意見など聞いても仕方なさそうだが、近頃は多種多様な相談が舞い込んでくる。何でも引き受けてしまうたちなので仕方がないのだが、時には深入りしすぎて、いつの間にやら自分の本業を見失いそうになるのが悲しい。
 思えば僕は“何でも屋”のようなものなのかもしれない。
 過去の実例を挙げると、その相談内容には、ありとあらゆるものあった。
 中学生の女の子を持つ母親は、寝起きに電話してきた。もちろん知らない人だ。電話に出るなり、
「先生にどうしても相談がありまして」などといきなり切迫した様子。
「僕は先生ではありません」などといっても相手はお構いなし。
「部活動の担当の先生が娘の前向きな取り組みに向き合ってくれない。このままでは娘がかわいそうだから、先生の所で指導を受けたいんです」などという。僕は先生でもないし、そのような教室などもないので、丁重にお断りするが、母親の相談は二時間に及んだ。
 また、ある女性は、近所の喫茶店まで行きますのでご相談に乗って欲しいと電話をかけてきた。仕方がないので喫茶店で話を聞いた。
「学生時代からクラシックを歌っていています。一応、プロなのですが、この年になって自分の人生に疑問を持ってしまったんです。型にはめられないと何も出来ない自分が嫌で仕方ありません」という。今にも泣き出しそうな気配に僕は周りを見渡して狼狽していた。それから三時間は話した。どうすれば個性的になれるか?辛い時間だった。
 町おこし、村おこし、イベントの相談、教育相談、人生相談、エトセトラ・・・。
 
人間の不在
 
 どの相談を聞いても不思議なことに同じ回答しているような気がする。それは「人間の不在」である。
 個人的な相談に関しては相談相手が人間なので「人間の不在」というより、「生命感の不在」といった方が正しいかも知れない。
 これも今流行のことだが、「自分探し」というのがある。自分はここにいるはずなのに、自分を探すのだからこれは大変だ。一見するともっともらしい言葉に聞こえるが、「自分探し」とは、「探す」のではなく「認識する」ことに他ならない、換言すれば、「生命」を知ることである。僕は相談者に必ず同じ質問をする。それはたとえばこうだ。
「音楽をやる為の最低条件は何ですか?」。すると大多数の人は「楽譜が読めること」などと答える。それは確かにそうかも知れないが、僕の答えはシンプルだ。それは、“生きていること”であるはずだ。そんな答えを僕が言うと全員口を開けて、次には「そ、そうです!」と元気になる。全員が根源的なことから目を背け、忘れている。人生の幸、不幸なんておまけにしか過ぎないと考えれば気が楽だ。生きているだけでも価値があることを、みんなが忘れている時代になってしまったのかもしれない。
 町おこしや村おこしについても同じことが言える。数多くの方々と出会い、真剣に悩む重い雰囲気の座の中に何度いたことか。
 遊歩道をつくれば観光客が来る。古い温泉を大理石風呂にすれば観光客が来る。美味い草団子で町おこし。イベントに演歌歌手を呼んだら人が来る。出される案は豊富だ。しかし、どれも成功しない。なぜだろう。つまり発想そのものが逆転してしまっているのだ。
 そこには“物”ばかりがあって、“人間”が不在なのだ。
 それなら奈良はどうだろうか?日本でも有数の観光地ながら、宿泊滞在は少ない。観光して素通りするのが現状。この状況を打破するキーワードが“人”にあることを再確認したい。
 八年ほど前に神奈川に住んでいた頃、奈良の旅で柳生の里を訪ねたことがある。のんびりと酒蔵で日本酒を頂いてぼんやりしていた僕は、帰りのバスが無いことに気がついた。地元の民宿に電話するが、現在は休業中の所が多かった。日が暮れかけた頃、ようやく一軒だけ泊めてもらえる民宿が見つかった。
 民宿の方にまるで家族のような笑顔で迎えられ、夕食は広間で頂いた。何故かお膳がふたつ。しばらくすると若い学生さんが入ってきた。聞けば東京からひとり旅に来た大学生の青年だった。旅先での出会い。民宿での豪華ではないけれど温かいもてなし。僕はその民宿の部屋は忘れたが、温かな人々と、奈良好きの学生さんの顔を今でも思い出す。
 そこには観光以上に素晴らしいものがあった。それは“人間”である。人間こそがその土地の魅力なのであって、いわば、世界遺産は奈良の人々が守り続けた良心と生命の結晶だ。そう考えると奈良人そのものを世界遺産に登録するべきではないか?とさえ思えてくる。
 今日も奈良の何処かで笑顔がふれあい、心に残る物語がたくさん生まれることだろう。





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