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2009.08.17 日本の母は?
日本の母は?

 日本の首都は?という問い掛けには、間違いなく全国民が「東京」と答えるだろう。それなら質問を変えて、日本の母は?と、問い掛けたら、しばし考え中などということになりはしまいか。
 数年前から奈良に住んでいる詩人の身贔屓ではないが、僕なら即座に答えるだろう。今も昔も日本の母は奈良であると。
 四十代のはじめに頭に浮かんだこと、それは「原点回帰」であった。原点回帰とは何か。日本の原点とは何処なのか。日本地図を広げても、それは見えてこない。歴史を辿り、目に止まった場所。それが奈良だった。
 東京の仕事仲間や友人からは「なんで奈良なの?」と、しつこく尋ねられるありさま。「都落ちじゃん!」などと言う人間もいる。確かに東京は首都であり日本の中枢である。しかしそこに母はいない。

母なる万葉の言葉

 万葉集が日本で広く読まれるようになったのは100年ほど前の明治の頃からではないだろうか。それ以前は古今和歌集が広く読まれており、万葉集の影は薄い。百人一首などには万葉の有名な歌人が登場するが、当時まだ誰もが万葉集のその熱を帯びた素肌の歌を評価してはいなかったように思う。
 言葉の道を歩く者は必ず万葉に出会う。それは詩人ならずといえども同じような気がする。
 では何故万葉の言葉に誰しもが衝撃を受けるのだろうか。
 万葉集におさめられている歌は膨大である。持論だが、飛鳥・藤原・平城の時代あたりを万葉集の中心と考えるならば、その動乱の時代の熱を帯びた感情が起伏してくる。それは大和の母なる大地を見守るように鎮座する大和三山、香具山、畝傍山、耳成山の隆起した地の感情の噴出に似てはいまいか。三角関係どころではなく、幾重にも折り重なった時代と人間のシンフォニーが聞こえる場所。それこそが母なる万葉の言葉の聖地、奈良の所以なのではないだろうか。
 歴史家でも、研究者でもない素人の僕は、この土地で古の時代に生きた人々の「素肌の言葉」を探しているに違いない。
 天皇や貴族の歌ばかりではなく防人の歌や東歌などの民衆の歌までもが、万葉集という歌集におさめられている事実にも驚愕する。心を言葉にすることに上下関係はなく、それぞれの生きた人生が等身大の言葉で綴られる。それこそが熱を帯びた「素肌の言葉」なのかもしれない。
 いつだったか“額田王は絶世の美女で才女”であったと書かれた歴史雑誌のタイトルを読んでしまい、別の意味で興味を抱いたのも事実。人物相関図を広げたり、歌を読んでは勝手な想像をめぐらして、ひとりで喜んでいたのは不純な動機だろうか。
 歴史の背景を知ることで万葉の歌は目の前にパノラマのように広がる。万葉に秘められた「熱」の根源を知ることで、新たな言葉の創造力が生まれてくる。
 そこで、言葉とは何か?と、勝手に考えてみる。言葉とは人生である。そして言葉を創造することは人生を創造することであり、人生を開くことである。
 ある時、日本映画学校顧問の武重邦夫先生がこうおっしゃったことがある。
「山吹君、奈良では万葉集の授業なんかもあるんでしょ?世界に誇る文化遺産の残る奈良を筆頭に、全国で万葉集の授業なんかやらないと日本は駄目になるね」
 そんな特別な授業があるかどうかは知らないが、この辺になにかヒントがありそうだと僕は痛感した。

母に感謝

 「奈良に住めるなんていいね」と誰もが言う。県外の人々から言わせれば奈良に住んでいることはとても贅沢な環境にみえるらしい。多くの世界遺産や文化遺産に埋もれながら暮らしている優雅なイメージがあるのだろうと思う。そこでおなじみの質問が来る。「鹿もいるんだよね」と・・・。そう。鹿もいる。よくよく考えてみれば自動車が通り過ぎてゆく傍らで、神の使者が鹿せんべいを食べていらっしゃる。これほどまでにスローライフと自然との共存を果たしている都市があるだろうか。母なる奈良の懐の深さを感じさせられる事実である。そしてその母は煌びやかな装飾品で着飾った厚化粧の母ではない。限りない愛情を秘めた素顔の母である。その温かな笑顔に刻まれた歴史が日本の母たる資格のように思える。そして数千年を経た現在でも、日本の母は素晴らしい文化と言葉を生み出す母である。いまこそ日本の母に感謝したい。




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