FC2ブログ
月落ち烏(からす)ないて霜天に満つ
江楓(こうふう)漁火愁眠(しゅうみん)に対す
姑蘇(こそ)城外の寒山寺(かんざんじ) 
夜半の鐘声(しょうせい)客船に到る
楓橋夜泊 張継

古都奈良と魔都上海

 
 1月のある日、小雨の降りしきる奈良を出発して一路、中国の上海へと旅立った。
 日本の原点である奈良の都は1300年前と少しも変わらない風格を持っているが、一方お隣の国である中国の上海は年々というよりは毎日のように膨張し巨大化を続ける都市である。
 僕は心の中にひとつの疑問を抱えていた。「古都」は理解できるが、「魔都」とは一体どういう意味なのだろうか?この旅の目的はそんな漠然とした疑問から始まっていた。要するに奈良に住む僕が対照的で爆発的に進化する上海を観たいという衝動的であり、かつ意味不明な旅なのである。
 かつて日本に住んでいた中国人の方の話によると、5年間日本に暮らし上海に帰国したときには、高層ビルが建ち並び自分の家すら探すのに苦労したという話を聞かされて、僕は口を開けたままただ頷いてしまった。
 「魔都」の変容ぶりは半端ではない加速度で天上へと近づこうとしているのだ。その一端を象徴するのが道路である。道に溢れかえる人間を無視したかのように走り去る自転車とバイク。そして車が無秩序に行き交う混沌の街、これが上海だ。
 南京路の煌びやかな繁華街と高層ビル、その傍らでは外国人めがけて走り寄ってくるブランドのコピー商人。「社長さん!ロレックス!オメガ!ルイビトン!モンブラン!」怪しい商品を袖の下からちらつかせ、しつこくまくし立てる。「不用!不用(“ぶよう”とか、“ぶ~よん”とか発音するのだそうだが)」と何百回も答えねば歩けない。前日には僕に声をかけてきたおばさんが、目の前で警察に逮捕されてしまい、後味の悪い思いをしたのだった。いささかげんなりしている所へ、さらに物乞いの老人が手に持った缶をならしながらいつまでもついてくる。進化する世界の中に取り残された人々。どの国でも同じように経済成長の影で広がる貧富の差がネオンの光の傍らに暗い影を落としている。
 魔都上海は輝かしい栄華と底知れぬ闇の彼方に蜃気楼のように浮かぶ都市なのかもしれない。

蘇州の寒山寺で奈良を想う
 
 上海から車で1時間ほど走り、東洋のベニスと呼ばれる蘇州へ向かうことにした。
高速道路の両側に広がる景色は一変し、荒涼たる雰囲気をかもし出した村々の風景が続く。人間の暮らしにまみれた家々がまるで廃墟のように横たわる。道は雨上がりで泥にぬかるみ、空は低く垂れ込めて寒さが骨身にしみる。
 やがて、張継の楓橋夜泊の詩で有名な寒山寺へと到着。この詩は教科書にも出ているのでいまさら説明も要らないだろう。
 梵鐘の音を聞いて張継さんの悩みも消えた事だろうと勝手に想像する。なので僕の悩みも消えるかな?などとあさはかな実験の始まりでもあった。
 寒山寺は歴史も古く、天監年間(502~519年)に建立された禅宗の古刹。再建を繰り返し、現在のものは1860年に建てられた。唐代の僧、寒山が住むようになって寒山寺と呼ばれるようになった。
 面白いことに寒山寺の五重の塔は薬師寺の五重の塔にそっくりである。再建には日本からの多大な寄付があったので、何となく日本の寺社建築に似てしまったらしいのだ。
 寒山寺の山門をくぐると正面には布袋様(七福神の中で唯一の実在の人物で未来仏である)。その背後には、今にも駆け出しそうな韋駄天様がいらっしゃる。
 右手のお堂に入れば正面には三蔵法師、右手には唐招提寺を創建した鑑真和上。鑑真和上は聖武天皇の招聘に応えて来日を決意され、五度の渡海の失敗と度重なる艱難辛苦のすえ両目の光を失いながらも753年、渡航を志してゆうに12年の歳月を経て、来日を果たした偉大な僧である。そして左手には弘法大師空海である。ここで奈良の方ならあれっ?と思うはずである。何故ならこの中でただ一人の日本人の僧が弘法大師空海だから。この寒山寺に外国の僧の像を建てるのには、当時かなりの反感があったらしい。しかし「仏教に国教はない」と説いた空海の言葉に人々は動かされたのかも知れない。実際、空海はこの寒山寺にて修行をしている。帰国後は東大寺や興福寺をはじめとして、奈良の仏教にも深く関わった高僧である。蘇州まで来て三蔵法師・鑑真和上・弘法大師空海というビッグネームに出会えたことをうれしく思った反面、頭の上で「さあ、奈良に帰ったらもっと勉強しなさいね」という声まで聞こえてきた。う~ん。勉強ね・・・。
 さて、肝心の梵鐘を見つけた。さっそく僕もついてみようと列に並ぶ。おお有料!5元(約75円)なのね。お金を支払い階段を上る。まさに時代を感じさせる風雅な梵鐘である。思い切り叩くと何とも言えない有り難い音色が響く。蘇州の街に僕のついた鐘の音が風に運ばれ響き渡る。
 果たして僕の悩みは消えたか?それは読者のご想像におまかせするとしよう。
ご存じの通り、奈良はシルクロードの終着点である。そして、その綿やシルクの一大生産地がここ蘇州なのである。ことに蘇州の刺繍の技術は素晴らしい。陸と海のシルクロード。蘇州のシルク達も海を渡り奈良にやって来たのだろうか。
 そんなことを思いながら水郷である蘇州の水際を散歩する。なめらかな鏡のような水面を小舟が音もなく行きすぎる。遠い異国の霧をまとった水面には、奈良からぶらりとやって来た旅人の顔が映る。
仏教に国境はないように、人と人との間にも国境などない。そこには生きるという現実だけが存在する。僕は蘇州の数え切れない川に人生という脈のようなものを感じていた。
誰もがその川の上を通り過ぎる小舟のように思えた。時に出会い、そして時に別れ、混沌という衣をまとったままそれぞれの水面を生活の場として過ごす。
 詩人の散歩道はぶらりと行ってみた上海や蘇州を経て、改めて奈良を見つめ直す自分だけの心のシルクロードとなった。
 そして上海ガニと紹興酒の魅力が旅のきっかけであったことも僕は否定しない。





スポンサーサイト