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今から28年前、僕は18歳だった。
今は馬鹿な詩人をやっているが、昔はただの馬鹿だった。

ある日僕は、それまでの人生で経験したこともないほど叱られた。
そしてそれはあまりにも衝撃的すぎた。
その方の名は「ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ」である。
飲まず食わずのふしだらな生活を送っていた僕はその日、東京の古本屋に入った。
そこに彼はいたのである。
彼は、僕が絶対手に取らないであろう本にメッセージを込めておいてくれたのだった。
何故その本を手にしたのか?それは今でも分からない。
ただし、その当時の僕が絶対に興味を抱くような本ではなかったのは確かだ。
そのタイトルは「ゲーテの言葉」だった。

甘ったれた若造の心にゲーテの言葉は痛かった。
いや、痛すぎた。
僕はいつから自分が人間になったのかを覚えている。
それは、ゲーテに叱られたあの日からだ。
もしかしたら、古本屋に行かなかったら今の僕は存在していないかも知れない。

「生活はすべて次の二つから成り立っている。したいけど出来ない。できるけどしたくない」
中でもこの言葉に僕は立ち上がれないほどショックを受けた。
世間知らずの馬鹿な若造が、突然叱られたのだ。
しかも、ゲーテに・・・。
心構えも、予備知識もなく、突然に。
幼い頃から父や母に見捨てられて育ってきた馬鹿は18歳でようやく父に出会った。
今でも28年前のゲーテの言葉はいつも僕の傍にある。
本は、日に焼けてボロボロになったが、その言葉は輝きを増すばかりだ。
あれから長い年月、僕はこれを教科書としてきた。いや、聖書かな?

この本を手にしてから僕は大切なことに気が付いた。
それは、本の中には書かれていないことだ。
「人間は時空を超えて誰とでも友情を結べるし、家族にもなれるのだ」ということ。
僕は詩を書いているとき大勢の友人を感じている。
死んだ人間もいれば、生きている人間もいる。
しかし、僕には生死などどうでもいいし、何も隔たりを感じない。
頭がおかしいと思われるかも知れないが、誰とでも酒を酌み交わすことができる。
そして、友情を深め合うこともできる。

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しかし、この偉大な父であるゲーテとは席を供に出来ないでいる。
28年経った今でもそうなのである。
父は書斎でひとりコニャックを飲んでいる。
少し開いた扉から彼の威厳に満ちた後ろ姿が見えるのだ。
しかし、「おじゃまします」とは言えない。
何故なら、僕が手にしているグラスの中身はスコッチだから。
ウイスキーのコーラ割りは卒業したものの、コニャックが似合うほどの人間でもない。
いつか、一緒に飲める日は来るのだろうか・・・。

さて、今日も叱られないように部屋の片隅で酒をすするか。




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