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書斎に一冊の本がある。それは「マザー・テレサ日々のことば」である。
数年前に買った本だが折に触れ今でも手に取る機会が多い。

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マザー・テレサは18歳で修道女となった。
本名は、アグネス・ゴンジャ・ボヤジュ(Agnesë Gonxhe Bojaxhiu)という。
戦争という憎しみの連鎖の中で父を失い、信仰に救いを求めたのである。
中でも1冊本との出会いは彼女の人生を一変させた。
それはアッシジの聖フランチェスコの本であった。
それ以降、彼女は「聖フランチェスコ平和の祈り」を最も愛した。
そして当時、彼女が所属する教会の修道士達が活動していた場所それがインドであった。
インドで聖フランチェスコのように貧しい人々に奉仕したい。
マザー・テレサの聖なる活動はこうして始まったのであった。

その祈りの言葉をここに紹介しよう。

<平和の祈り> アッシジの聖フランチェスコ

ああ主よ、わたしをあなたの平和の道具にしてください。
憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように。
争いのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑いのあるところに信仰を、
誤りのあるところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
悲しみのあるところに喜びを、
闇のあるところに光をもたらすことができますように。
ああ主よ、わたしに、
慰められるよりも、慰めることを、
理解されるよりも、理解することを、
愛されるよりも、愛することを求めさせてください。
わたしたちは与えるので受け、
ゆるすのでゆるされ、
自分自身を捨てることによって、永遠の命に生きるからです。

この祈りは彼女の生涯の活動をそのまま言葉にしたような見事な祈りである。

ちなみに僕の好きな映画「マディソン郡の橋」に登場する主人公の女性の名は、
以前も書いたが「フランチェスカ・ジョンソン」である。
この主人公は映画の中でイタリア出身ということになっているが、
イタリアでも聖フランチェスコは人気の聖人である。
洗礼名のフランチェスコが男性名ならフランチェスカは女性に付けられる名前である。
映画の中でフランチェスカは、ロバートへペンダントを差し出す。
その時彼女は「これはアッシジで作られたものです」と言ってそれを手渡している。
その裏には「フランチェスカ」という名前が刻まれていてた。
終盤の路上での別れのシーンでは前の車を運転するロバートが、
そのペンダントをバックミラーに掛けるシーンが印象的だった。
ロバートの死後フランチェスカに贈られた遺品の中にもこのペンダントが登場する。
映画を観るときある程度の知識を備えておくともっと楽しめる。
僕にはこのフランチェスカという女性が背負うことになる苦悩や、永遠の愛。
家族への責任をまっとうしながらも、ロバートとの恋を永遠のものに昇華させた彼女の生き様にも、聖フランチェスコの痛々しいまでの神への献身の姿がダブって象徴されているような気がしてならない。
更に蛇足だが、フランチェスカとロバートが町を出て黒人のパブで酒を飲むシーンがある。スポンサーの関係で飲んでいるビールの銘柄がカメラに背を向けたカタチになっているが、僕の研究ではあのビールは「レッド・ストライプ」というジャマイカのビールだろうと思うが、まあ、そんなことはどうでもいいか(笑)

さて、マザー・テレサから話がそれてしまったが、
この本はとても良くできている。
項目が1月1日から、12月31日までに分けられ、短い彼女の言葉を毎日読めるようになっている。
ちなみに、この本の発行は「女子パウロ会」である。
しかし僕は、なにもこの体裁に感心しているわけではなく、何故この様な体裁にしたのかということの方が気になっていたのだ。
僕が考えるに、マザー・テレサという人はシステム的に人々を救済した人物ではない。
彼女はひとつのことにこだわっていたそれは「一人ひとりとのふれあい」である。
彼女は数え切れないほどの人々に愛を持って接し、貧しい中でも最も貧しい人々を救うために人生を捧げたのだが、いつもちゃんと「一人ひとり」をしっかりと見ていた人でもある。
彼女は「貧しき者」という名前で彼らをひとくくりにしていない。
そこが、マザー・テレサの素晴らしい所であると僕は勝手に思っている。
人間の尊厳を大切にするには、ひとりとひとりの関係を誠実に構築する必要があるのだ。
僕はマザー・テレサのことを熟知しているわけでも詳しいわけでもないが、
僕自身は彼女からそのことを学んだような気がする。

これだけ沢山の人から孤独な死という悲しみを取り払い、人々の命を救い、人間としての尊厳を教えた人物は希有だろう。
そして1997年9月5日、世界が見守る中、彼女は87年の生涯を終えた。
理想の愛ではなく彼女は現実の愛をみせてくれた偉大な人物であった。
それほどまでに自分の全てを捧げた彼女はこんな言葉を言っている。
「私はけっして助けた人の数をかぞえたりしません。だだひとり、そしてまたひとり」と。
僕はこの一冊の本の中に毎日少しずつでもいいから誰かに愛を与えなさいという彼女の思いを感じた。
それが、365日という項目に分かれている理由ではないかと思っている。

1日1日、一歩ずつ、一人ひとりを大切に生きる。
マザー・テレサ、彼女は世界の母であり、僕にとっても偉大な母である。


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