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2010.05.26 命の時間
雨なので家でぼんやりしていた。
何もしない贅沢とは実に素晴らしい。

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家で猫を飼っているのだが、もう5年以上になる。
川崎から引っ越しの時に拾ってきた猫だ。
名前は「凶暴」という。
子猫の時には大人の猫と餌を争い、かなり凶暴だったからそう名付けたのだが、
今は凶暴どころがのんびり猫になった。
ふと、猫は何年生きるのかを考えた。
恐らく15年ぐらいが平均だろうか。
人間が80歳まで生きるとしたらかなり猫も犬もその生涯は短い。
そこで、何故そんなに寿命が違うのかを考えた。
猫は、生後1年で約15歳、2年で約24歳、その後は猫の1年は人間の約4年分になるらしい。
ということは、猫の1日は人間の4日分なのだ。
道理でよく寝るはずだ。
人間の1年が猫の4年分だとしたら、15年生きれば大往生である。

見方を変えればこうも言える。
人間は生まれながらにして不完全であり、かなり面倒くさい生き物である。
それに比べ猫をはじめ動物は完全である。
それは何故かというと、猫は自分の人生に疑問を抱かないからだ。
猫には猫以上になりたいという欲はないから、何も目指す必要がない。
神をも恐れぬ傲慢さを進歩と呼んでいるのは人間だけである。
そして、猫は自分が誰で、人生は何たるものか?などと考えなくても済む。
何しろ生まれたときから完全なのだから。

人間は健康であれば80年ぐらいは平気で生きる。
あまりに不完全なので80年も生きねばならないのだと考えるのも間違いではない。
しかも、80年生きても何の疑問も晴れないまま不完全なまま死んでゆくのだ。
一方、猫は完全であるから、15年も生きれば充分なのであろう。
そしてその15年の多くを寝ることと、食べることに費やし、たまには人間と遊んで暇を潰して過ごすのだ。
何でもかんでも人間が一番尊いような固定観念があるがそうだろうか?
人間は神にすがり、悟りを求めて修行をする。
しかし、猫は神も悟りも必要としない。
もしかすると人間が求めても得られないような境地で猫は生きているのかも知れない。
猫は、明日のことも、将来のことも心配しない。
例え死にそうな野良猫であろうと、心配など一片もない。
なんと豊かで平穏な日々を過ごしているのだろう。
猫の一生は短いから可哀想などと人間は言う。
しかし反対に猫は人間を可哀想な生き物だと感じているに違いない。
無いものを理想として信じ込み、分相応の幸せも知らず、80年も考え込んで生きる。
自由気ままに与えられた分だけの時間を生きて猫のように平和に暮らしたい。
などと考えているうちに、猫の1日のような僕の1日が暮れてゆく。

さあ、猫に餌をあげて、スコッチを飲む時間だ。











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