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真冬の四国を訪ねたことがあった。
羽田から飛行機で高知まで飛び、
現地でレンタカーを借りて四国最南端の足摺岬に向かった。

道路は交通量も少なく、たまに出くわす車はのんびり運転。
特に老人のドライバーが多いと感じた。
彼らは何の予告も無く右左折し、平気で道に飛び出してくる。
もちろん「とまれ」の標識などここでは無意味だ。
よく言えば大変おおらかな人々なのだろうが、
そのたびにハラハラさせられた思い出がある。
ここは、言わずと知れた四国八十八ヶ所の巡礼の地だけに、
道すがら多くのお遍路さんとすれ違った。
若い学生らしき人達が、
バックパッキングの延長のような身軽ないでたちで、
明るく楽しげに遍路道を歩いているとおもえば、
たった独り白装束で長いつま先上がりの坂道を修験者のように
無心に黙々と歩いている人もいる。
人の人生が様々であるように、
此処にもそれぞれの遍路道が存在している。
中でも足摺の札所に向かうこの道はかなり過酷な道程であり、
車で走る僕ですら、この道をとても長く感じるほどだった。
こうして僕は足摺に到着した。
足摺岬灯台へ通じる曲がりくねった崖沿いのこの林道は、
時折、広大な海を覗かせながら続き、
やがて眼前に天を突き刺すような白亜の灯台がその姿を現す。
晴れてはいるが、天空には冷たい空気が膨張して
その懐深くには雪を隠しているような雲がどこまでも続いていた。
この岬から遠く太平洋を眺めていると、
この地に漂う人々の祈りの空気が心に重く滲みこんで来るのを感じた。

足摺の札所の門前では熱心に念仏を唱える老人が立っていた。
老夫婦がまだ小学生とも見える子供をつれて
ひたすら長いこと手を合わせる姿が目に止まった。
いつしか僕はそれを黙って見つめながら、勝手な想像をめぐらしていた。
小学生の親にしてはその夫婦は年を取り過ぎているし、
親らしい人物は何処にも見当たらない。
多分、孫でも連れて巡礼に来ているのだろうと思った。
もしかすると親はもう死んでしまったのかもしれない。
八十八ヶ所を巡るのは頑健な人間にとっても容易なことではない。
きっと誰にも言えない事情があるのだろう。
ただ無心に祈るその老夫婦と子供を見ながら、
僕は人生の無常と人間の生きる尊厳を自分に問い直していた。

星も見えず
光もとどかない
深い森の中をおびえながら
海まで歩いて来た

砂塵の中で
乾いた心を引きずって
果てしもない砂漠に迷いながら
海まで歩いて来た

海は千の涙のしずく
こころゆくまで
泣いたらいいさ

思い切り泣いたら
海を渡ってあの虹の足元へ
宝物を探しに行こう
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