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2010.05.12 川の声
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あれは20年ほど前の話だ。
渓流釣りを始めてから2年ほど経った春のこと、
すっかりベテランの渓流釣り師になっていた僕は、
久しぶりに懐かしい川を訪れた。

1年も来ていなかった川は以前とはまったく姿を変えていた。
コンクリートの護岸工事がこんな山奥の田舎の川まで侵攻していたとは・・・。
1年前まで山女や岩魚が隠れ住んでいた大きな岩も、美しい瀬も淵も消えて、
ただ真っ直ぐで無愛想な川が流れているだけだった。
僕はいつもの場所からの入渓を諦めて工事されていない上流へと足を運んだ。
あの懐かしい川がいつの間にか死んだ事に僕は狼狽していた。

手つかずの上流を釣り上る。
春の陽光があの日の懐かしい空気を運んでは来たが、何かが違っていた。
岩の上に立って大きな淵にルアーを投げ込むと美しい山女が釣れた。
思えば昔はずぶ濡れになりながら、がむしゃらに釣ったものだ。
しかし、すっかりベテランになった今では川に入らず岩の上から釣ることが多くなっていた。
ふとその時、僕は体勢を崩してしまった。
そして、そのまま川の中にドボン!直ぐに靴とズボンの中に冷たい水が入り込んできた。
腰の深さまで一気に落ちたが、怪我はしなかった。
僕は空を見上げて笑った。昔はいつもこうやって釣っていた。
そのことが妙に懐かしくて嬉しくて、そして少し悲しかった。
その時だ、川の声を聞いたのは。
「ずいぶんとご無沙汰じゃないか。岩の上ですましてないで昔のように俺と遊んでくれよ」と。
そして川はこう言った。
「上流にダムが出来る。もう俺の命は長くない。だから今日はお前と遊べる最後の日なんだ」と、呟いた。
僕は、胸にポッカリと穴が空いた気分になってまた空を見上げた。
お別れの言葉を聞くには似つかわしくない穏やかな日だった。

僕はその日、日が暮れるまでずぶ濡れのまま釣りをつづけた。
夕暮れが近づくにつれ、悲しくなってきた。そして悔しくなってきた。
自分の愛した川はもう思い出の中にしか無い。
そう考えただけで泣けてきた。
そして、川から上がり、とぼとぼとジープに乗り込んだ。
タバコをくわえ、バックミラーで闇に消えてゆく川を黙って見ていた。
僕はエンジンをかけるとギアをシフトし、言った。

「さようなら、ありがとう」と。

それ以来、あの川には行っていない。
しかし、あの川は僕の心の中に永遠に流れつづけている。


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