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それぞれの散歩道

 「散歩道」というタイトルで読者の方から詩の投稿を頂いたので、途中の文を抜いて、少しだけ紹介してみよう。
 「かけっこした坂道/泥んこになった田んぼ/肝だめしをした猫屋敷/落書きしたトンネル/遠回りして通った好きなあの子の家」
 この詩は小学生の頃に通った道での、様々な出来事を綴った詩だ。いまその道を、大人になった彼女が犬を連れて散歩道している。懐かしい通学路が、自分だけの大切な散歩道になった。という内容の詩だ。何気ない日常のひとコマにこそ、詩の母体がある。改めてそう感じさせたくれた詩でした。皆さんもどんどん投稿して下さい。
 
 ところで、僕がよく行く散歩道のひとつに、生駒山の宝山寺がある。下界を見下ろす雄大な景色を眺めながら、ぼんやりと風に吹かれながら過ごす。
 それから、駐車場の横の静かな休憩所で、海苔弁当を食べるのが趣味。幕の内でもなく、焼肉でもなく、何故かいつも海苔弁当と決まっている。それも「おかあちゃんべんとう」の海苔弁当でなくてはならない。何故かと言うと、唐揚げが一個「おまけ」で付いているからだ。しかし、蓋を開ける前にはいつも不安になる。いつか、唐揚げが入っていない弁当を、開けてしまう日が来るのではないか。そう思うと不安だ。「おまけ」という心理は、人間にとって永遠の魅力なのである。グリコの「おまけ」が、いつしか本体のキャラメルをおまけにしてしまったように・・・。
 そんな例は世間でもよくある事で、好きになった彼氏が、たまたまお金持ちの場合。お金持ちであることは「おまけ」にしか過ぎないが、だんだんと月日が経つにつれ、彼氏の方がおまけになってしまっていたりする。(う~ん。これは笑えない・・・。)
こんなことを書き始めるとキリが無いので、もう止めにする。とにかく宝山寺の休憩所で弁当を食べて いる(一応、お参りもしていますよ)怪しい男がいたら、それは僕です。
 皆さん、くれぐれも真似はしないようにお願いします。

法隆寺の蝉

 冬のある日、僕は一人で法隆寺の東大門の下に座っていた。そして、この夏に出会った一匹の蝉のことを思い出していた。思えばあれから僕はずっとそのことを考えていたのだった。
 その日は夏の盛りで、物凄く暑い日だった。お決まりのコースをひとまわりして、夢殿へ向かって歩いていた。東大門をくぐり抜けようとしたとき、一匹の死んだ蝉を見つけた。柱の足元に天を仰いで転がっている。その一方では仲間たちが、短い一生を惜しむように盛んに鳴いている。時間も季節も静止してしまったかのような夏の午後に孤独な死の場面が印象的だった。
 「もし、七十年の人生が、七日間で過ぎてしまうとしたら?」
 彼はふと、そんな無言の問いかけを僕に投げる。僕は黙ったまま彼を見つめていた。汗が頭皮の上を川のように流れ、しょっぱい涙になって顎から落ちる。それは、やがて陽に照らされて蒸発し、風になって吹きすぎる。ほんのささやかな出会いが、僕に多くのことを教え、そして時に戒めてくれる。
 僕は立ち上がると歩き出して空を見上げた。隣には美しい五重の塔がそびえているが目に入らない。お寺巡りの好きな僕が本当に見たいものはなんだろうか?奈良には沢山の世界遺産があるが、果たしてそれか?それともいま、この足元に転がる一匹の死んだ蝉に宿る仏の言葉か。
 再び訪れた冬の法隆寺に蝉の声は無い。しかしこの大地の下で静粛の時を過ごす偉大なる生命を僕は感じる。そしてあの夏の日に、ふと現れて教えを説いた、仏の言葉を今も考え続けている。

線路のそばにいた蝶

 お昼に自転車で買い物に出掛けた日。いつもの踏み切りで、いつものように止められる。そしていつものように遮断機が、無作法な音を鳴らして下りて来る。その横の線路沿いには、よくある薄緑色の金網が、遠くどこまでも続いている。
 僕が暫くそこで通過待ちをしていると、一匹の蝶が眼の前を通り過ぎて行った。蝶は金網の網目の間を通り抜けて、行ったり来たりして遊んでいた。そんな光景をぼんやりと見ているうちに、ある映像が頭の中に浮かんだ。
 それは、テレビの特集番組で見た映像だった。韓国と北朝鮮の国境を隔てる、北緯三十八度線。幾重にも折り重なる鉄条網を隔てて、お互いの兵士が睨み合いを続ける映像。次に、家族や友人と離れ離れになってしまった人々が、嘆き悲しむ場面を見たのだった。
 こんなに良く晴れた、青空の美しい日なのに、突然、線路の傍らにて、人間の愚かしさと、無力さを改めて思い知らされたのだった。眼の前の金網の間をひらりと飛びまわる一匹の蝶が、僕たち人間の本当のあるべき姿を教えてくれている。そんな気がした。
 僕たちは、碁盤の目のように線引きされた世界の中で、誰かの手によって打たれた白と黒の石のようだ。見えない線に隔てられて、いつの間にか互いの言葉さえ、理解できなくなってしまっているのかもしれない。
 猛烈なスピードで眼の前を走り去ってゆく電車の傍らで、僕の心の目はあの三十八度線の恐ろしい鉄条網の間を、するりと通り抜けて飛んでゆく蝶を見ていた。そして、するりと通り抜けて行けない僕たち人間が、いつか蝶になれる日の為に祈った。
 何の代わり映えも無い日常の暮らしの中に、沢山の邂逅があることを僕は知っている。でも、見ようとしなければ、1+1はいつも2でしかない。しかしひとたび心を世界に向けて解放すれば、沈黙の中に、人間は千の言葉を聞くことが出来る。
 詩人とはある意味、通訳みたいなものだ。しかし、僕は英語が話せない!ここだけの話し、むかし駅前留学のN○Ⅴ○に資料をもらいに行ったのだが、怖くなって逃げてきた過去がある。今から考えればキャラクターのピンクのウサギが、欲しかっただけだったのかも知れない・・・。でも、特技がある。言葉の無い言葉を翻訳し、通訳することだ。しかし悲しいことにその特技は、履歴書に書くことは出来ない。


語られたことは
大事です
しかし
語られなかったことも
同じように
大事です
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