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書くためには心を整理しなければならない。
そして覚悟を決めなければならない。
中でも「記憶の欠片」を書くのは辛かった。
悲しく辛い過去の出来事が、今日の出来事のように押し寄せてくる。
僕はこの手の話を書くことを拒んできた。
不幸を売り物にしたくないという姿勢にこだわったからだ。
書けば世間の見る目が変わるのではないかと不安を感じたのも事実だ。
読者からの沢山の感想やメールももらった。
実際問題、僕は感想など聞きたくない気分になっていたし、
同情されることに強い拒否反応を示す自分のことも考えたくなかった。
その反面、書き手としてはいつか書かざるおえないテーマであるとは認識していた。
この機会が来るまで40数年の月日を費やした。
書こうと決心するまで膨大な時間が必要だったのだ。
そして、書き終わった感想はどうか?
書いてスッキリした!と言いたいところだがそうではない。
その反対に、自分の抱えている消えざる傷を思い知らされた。
僕は「家族」というものに希望と絶望を同時に見いだす自分の矛盾に気が付いている。
時として家族の希望を語り、時として絶望を語る。
矛盾だらけの自分が同じ身体の中に存在している不安定さに恐怖を感じることもある。
信じたいけど、信じる根拠を持っていない自分の経験を残念に思う。
僕は今年、「家族」という舞台用の戯曲を書いた。
これは、TPNという演劇創作集団によって10月に上演される予定の作品だ。
ここに登場する「家族」は、実に美しい。
美しくない「家族」という世界を生きた作家が書く美しい作品。
僕は信じられる根拠を探し続けているのだろう。
また、「記憶の欠片」は生まれてから18歳になるまでを描いた作品であるが、
20代からの事は書かれていない。
何故なら、それ以上に辛い時期を書く気になれないのである。
想像すると、そのことを書く過程で僕は廃人のようになってしまうような気がするのだ。
思い出したくもない現実をひとつずつ書くには心も身体も耐えられそうにない。
もしかすると、一生書かないかも知れない。
こんな風にブログを書いている間にも、
泥沼に静かに沈んでゆくような気分になる。
やがて、息が出来なくなり、目の前にシャッターが下ろされるような恐怖だ。
しかしながら、この頂きを超えなければ次がないような気がする。
登ることも、超えることも出来ない大きな絶壁が目の前にある。
それをひととき忘れさせてくれるのが酒だ。
今夜はもう一杯やることにしよう。




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