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僕の生まれた街

 昭和三九年、日本三大急流の「五月雨を集めてはやし最上川」が日本海にそそぐ東北の小京都、山形県酒田市に生まれる。基本的には浜っ子。
 NHKのドラマ「おしん」の郷里庄内地方と言えば知っている方も多いのでは?最近では山田洋二監督の映画「たそがれ清兵衛」で知られるようになったのだが、市内の何処を探しても「宮沢りえ」らしき女性にお目にかかることはまず無い。
 同郷の有名人には歌手の岸洋子や写真家の土門拳。そして同業と呼ぶには畏れ多い詩人の吉野弘さんがいる。

子供の頃から詩人?
 
 小説家である父の影響を受け、幼少期より詩作を始める。などと書ければ格好もいいのだが、親父は当時牛乳配達人だったので何の影響も受けなかった。しかも祖父も新聞配達人だったので文学や芸術とは縁遠い家柄であることは間違いない。しかし、何かを配達するのが好きな人たちであったのは確かである。
 牛乳や新聞は早朝に配達される。しかも集金のときは専門の集金員がやってきたりするので、どんな人物が配達しているのか何年も知らないでいるという様な事がおきる。知らない人が配達した牛乳を毎朝飲むことも、自分が配達した牛乳を毎日知らない誰かが飲むことも、考えてみれば不思議だ。そんな誰も気にも留めない日常にこそ、詩の母体があるのかもしれないなどと思ったりする。
 とにかく配達の話はどうでもいいことなのだが、こども時代はどんな風だったかと問われれば、単なる馬鹿ガキだった。
 小学校卒業までには3度も骨折し、あげくの果ては呼び出されて知能検査までさせられる始末。当時は5段階評価の成績表だったが、そこには1と2という数字しか発見することが出来なかった。おまけに備考欄には「学校にノートを持って来るように」と「残した給食を机の中に詰め込まないように」と書いてあった。ノートは買うと直ぐに落書き帳に変身したし、給食は残すと先生に叱られるので、毎日机の下の教科書入れのスペースに押し込んだ。     
 ある日先生に発見され、皆の前で机を引っくり返された事があった。ミイラ化した在りし日の冷凍ミカンや多量のパンの欠片、ドロドロになったマーガリンなどが、教室の床の上に哀愁を帯びて転がった瞬間、僕は犯罪者のような情けない表情を浮かべながら、秘書給与詐欺事件がばれた政治家のように無口になった。そんな時でさえ詩人はその光景を凝視する。かつて食べ物であった彼らの中に滅びの美学と変わり果てた姿に人生の無常を感じたりするのであった。 
 勿論、その当時には詩なんか書いてはいなかったが、心の中にはいつも言葉が渦巻いているのを感じていた。
 人間の心の中も引っくり返してみればミイラ化した夢やドロドロになった現実が転がりだすかも知れないので、くれぐれも身辺は清潔に。上着の内ポケットの中のホステスの名刺はちゃんと処分しておかないといけない。女房に机を引っくり返されてもいいように。(僕は独身なので心配なし)

感情が文字になるとき

 詩に限らず短歌でも俳句でも日記でもいいから、感情を言葉にすると不思議なことが心の中で起きる。 
 いい知れぬ不思議な安堵感だ。読者の方で文章を書いたりする趣味のある人には理解できるかもしれないが、なんとなく安心する。
 僕に関していえば、なぜ自分が詩を書くようになったのかに起因する問題かもしれない。
 それぞれの心の中にコップが一個あるとする。一億二千万人がそれぞれの違った境遇や環境の中で生活しているので、素晴らしく幸福な生活の人もいれば、地獄絵図のような不幸に見舞われる人も出てくる。コップの容量はそれぞれ違うが、幸でも不幸でも感情が高まると、コップから感情が溢れ出す。要するに自分の器量では持ちきれなくなるのである。持ちきれなくなった精神は人間を、良い意味でも、悪い意味でも「狂人」に変えてしまう。幸せ過ぎて、度を越え破滅してゆく人間も大勢いるし、不幸すぎて犯罪や自殺にはしる人もいる。その乱れた心のバランスを何でとるのかはそれぞれ違う。それが僕の場合、詩だったのだ。
 簡単に言えば詩人を目指した訳ではないのだ。言い換えれば「そんな風にしか生きられない結果」が詩人だったのだろうと思う。精神病になって自殺する代わりに紙の上に自分の心を置いているに過ぎない。僕が感じる不思議な安堵感は、また一日生き延びられそうな、密かな期待感を持たせてくれる安定剤なのだ。
 詩や短歌や俳句を書く人たちが高尚な趣味を持っているなどと僕は思わない。でも書かずにはいられない人たちが存在するのは確かなことだ。その言葉の根底にはそれぞれの思いが深い河のように流れている。自分の中の矛盾に向き合おうとする正直な人間は挫折もするし、そんな自分自身が嫌になったりもする。しかし、矛盾だらけの人間は豊かな心を持っているともいえるのではないだろうか。今まで自分の中のコップの水が、一度もいっぱいになったことの無い人が読者の方の中にいるとしたら、ぼくはその人の為に般若心経を唱えてあげたいナ。

永遠の青春?

 僕は普段、釣り以外の時は昼まで寝ているのだが、(夜中まで詩を書いたり酒を飲んだりの生活)その日の朝は電話で叩き起こされた。どうせ、コピー機のセールスだろうと、不機嫌に電話に出た。「吉野です」という。まだ寝ぼけている僕は、吉野?と聞き返した。「吉野弘です」名前を聞いて受話器を落としそうになった。日本を代表する詩人のひとり、吉野弘先生だった。「今日は朝から君の詩集を読んでいるんだよ、素晴らしいね」などとおっしゃって、そのまま先生は、やや興奮気味で三十分間も戦争の話や肺結核で死にかけた話、そして最後に、毎度大量に送られてくる本の話をなさった。
「最近の大人の書く詩の多くには、諦めがみえる。悟りきったことばかりで読む気にもならないんだよ」と言って残念がられた。
 七十九歳になられる先生のお言葉には、永遠に老いることのない青春の若々しさと希望が、今も満ち溢れている。
 僕の場合は、頭の中身は少年のまま、身体だけ四十代になってしまった少年オヤジといったところかな。奈良のあちらこちらを歩いては、青春という名の箱の中に残った希望を探しているのかもしれない。よろしかったら一緒に散歩に出掛けましょう。

青春が終わるのは、
自分がそれを捨てるからである。
生きるとは、
永遠の青春を抱えて歩くことである。





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