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旅立ち

 高校を卒業すると、僕は東京という場所に憧れた。もともと、何処にも居場所がないと感じていた僕は、どうせ、他人だらけなら、世界の何処へ居ても同じだし、家族に振り回されることもなくなるだろうと考えていたのだ。
 情けないことに、全ての貯金をはたいても、手元にはわずか2万円しかなかった。その日の夕方部屋の真ん中に寝転がってこれからの人生のことを考えていた。住み慣れた部屋の天井を見つめていたとき、何かがパチンとはじけた。僕は階段を駆け下りると茶の間のふすまを勢いよく開けた。そこには祖父と祖母が座ってテレビを見ていた。
「俺、明日から東京へ行くから」と告げると、祖父が答えた。
「ほう。お金はあるのか?」
「うん、あるよ。で、いつ帰るか分からないから気にしなくていいよ」
 そして、どんなふうに別れを言って実家を出てきたのか、何故か記憶がないのだが、翌日、僕は東京へ向かうため故郷の駅から列車に乗り込んだ。手持ちはもう数千円しかなかった。そして、唯一の頼りは東京で大学に通う友人の電話番号だけだった。
 窓辺に移る風景に心が躍った。見知らぬ世界で自分が新しく生まれ変われるのではないかという幻想に僕は取り憑かれていた。そして、手持ちのお金が数千円であることも、僕の心を不安にさせるようなことはなかった。
 やがて、列車は上野駅に到着した。初めて見る都会は想像を遙かに超えていた。公衆電話を探し、友人に早速電話をすると
彼は笑いながら僕を歓迎してくれた。そして、その日から僕の東京暮らしが始まった。しかし、その結果は散々だった。
 しばらくの間は友人のアパートへ転がり込んではいたが、いつまでもそうしているわけにもいかず、住み込みのアルバイトを始めた。小さな町工場に働きながら僅かな給料で日々を過ごした。季節はすっかり冬になったが、住み込んだ長屋には、コタツもストーブもないし、冷蔵庫や洗濯機や電話すらない。部屋で布団にくるまって黙っているしかなかった。洗濯物は銭湯や公園で済まし、コーヒーが飲みたければ工場のコーヒーを拝借した。
 そのうち、友人から「3人で一軒家を借りて、折半で一緒に住まないか?」という話が舞い込んだ。愚かな僕はその話しに跳び付き、工場も辞めてしまった。
 結果として僕は更に追い詰められることになった。約束したはずの敷金も家賃も友人から前借りしたまま、一度も支払いをせずに3ヶ月が過ぎてしまったのだ。すっかり居心地が悪くなった僕は仕方なく完全歩合制だという味噌の訪問販売のアルバイトに出掛けた。
 そのアルバイト先は大学生ばかりで、社会人はほとんどいなかった。内容は4~5人のグループでワゴン車に乗り込み、あちらこちらへ出向き、訪問販売するというものだった。完全歩合給ということは、1個も売れなければ日給はゼロということだ。
 案の定、その日懸命の努力にもかかわらずゼロだった。事務所に帰ると、それぞれが1日の稼ぎを現金でもらって誰もが家に帰る。しかし、僕には帰るための電車賃すらなかった。事務所の外で途方に暮れているとオヤジさんが出てきた。
「お疲れさん。今日は残念だったな。どうしたんだ?」
「いや、帰る電車賃がないんです」
「そうか、待ってろ」
オヤジさんは事務所から千円札を持ってきて僕に手渡した。
「一生懸命やっても駄目なときもある。また来いよ!」
オヤジさんはそれだけ言うとニコニコしながら事務所の中へ入っていった。「一生懸命やっても駄目なときもある」僕はその言葉を噛みしめて家に帰った。
 翌日も味噌の訪問販売に出掛けた。オヤジさんはニコニコしながら、「今日は売れよ!」と笑った。
 その日は、運良く数千円の稼ぎをもらった。今の僕には毎日このアルバイトに来る以外なにもやれることはないと、自分に言い聞かせて連日アルバイトへ出掛けた。不思議なことにアルバイト先の連中は毎日変わっていた。2度も顔を合わせることはほとんどなかった。そんな時オヤジさんが言った。
「このアルバイトはきついから、みんな1日で辞めるんだよ。だから、年柄年中募集広告を出すんだ」
 そして、僕がここに来るようになってから数ヶ月が過ぎようとしていたある日、仕事終わりにオヤジさんが居酒屋へ僕を誘ってくれた。
 オヤジさんは、「今日は俺のおごりだからどんどん飲め!」と言った。僕はその言葉に甘えてこれでもかと、飲んで食べた。そんなふうに楽しく馬鹿な話で盛り上がっていたとき、オヤジさんは自分の話を始めた。
「俺は、刑務所上がりなんだ」そう言って僕の顔を見て微笑んだ。僕は思った。不良の若造と刑務所上がりのオヤジが、東京の夜空の下で酒を酌み交わしている。僕はそんな時間を何故か愛おしく思っていた。
 店を出るとき、オヤジさんは最後にこう言った。
「長いことこの商売をやっているが、お前ほど根性のある奴は見たことがない。いいか、良く聞け。お前なら、何処でもやっていける。自分に自信を持てよ」と。
 涙がこぼれた。生まれて初めて褒められた気がした。初めて自分以外の誰かに必要と思われていることを感じた。僕は嬉しかった。18年間の闇が薄らいで光が手の届くところにあるように感じられた。
 僕はその時決心した。そうだ故郷へ帰ろう。今なら、故郷へ帰っても僕は大丈夫だ。そして、僕はオヤジさんと東京の短い生活に別れを告げて故郷へと帰る決心をした。
 愛されたはずの「記憶の欠片」を拾い集めるために。

~FIN~
 



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