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悲しい手紙

 高校生の頃、父が家を新築した。どう考えてもそんなことが出来るような身分ではなかったのに、何故か家は完成した。どうやら、父としては祖父母の実家を売却して全員が一緒に住む計画を立てていたらしいのだ。もちろんその売却したお金も当てにしての家の新築であった。しかし、祖父母はそれに反対した。特に祖母は継母と一緒に暮らすことをかたくなに拒んだ。
「あいつに、追い出されたら何処へ行くんだ。実家を売って一緒に住むなんて恐ろしいことだ」と、祖父と僕に吐き捨てるように言ったのを今でもはっきり覚えている。
 しばらくして、「父が新築の家に遊びに来なさい」と言ってきた。その場所は川向こうの新興住宅地にあり、実家からはかなり遠かったが、ある日、僕は懲りもせず、自転車でその家に出掛けることにした。
 こぢんまりとしてはいるが玄関に吹き抜けのある綺麗な家だった。もちろん、祖父母の部屋もあった。しかし、僕の部屋らしきものはそこにはなかった。
 人間というものは、どんな悲しい環境であろうが、それに慣らされてしまえば、それが普通になって鈍感になってしまうものだと、自分自身を振り返ってそう思った。
 それにしても不思議なことは、家族の親子関係は崩壊していても、兄弟というのはまた別の感覚だということだ。小学生の高学年となった腹違いの妹も弟も僕にはいつもなついてくれていた。そして、すっかり大人の体格になってしまった僕には、継母も昔のように一方的に優位な態度をとることが出来なくなっていたのだと思う。彼女は昔よりもかなり穏やかになったように見えた。
 久しぶりに兄弟達と一緒に過ごす時間はとても楽しいものだった。その時ばかりは家族が事実上崩壊していることや、過去の様々な出来事も無関係なことのように思えた。
ある日の夕方、新築の家で遅くまで遊んでいたら夕食の時間になってしまった。帰ろうとする僕に継母が声を掛けた。
「食事が出来ているから食べて帰ればいい」
 珍しくそんな言葉を聞いて少し戸惑ったが、僕は兄弟達と一緒に夕食を囲んだ。すっかりひねくれた僕の心のどこかにも、家族的な雰囲気への憧れはいつもあったのだろう。僕は、何も考えずにその場を楽しもうとしていた。そして、兄弟達と明日も遊ぶ約束を交わして新築の家を後にした。
 僕のこの行動は3日間続いた。僕は心のどこかで家族の繋がりが復活することを望んでいたのだ。どれだけ痛めつけられても人間は淡い希望を抱くものなのだと、自分でも可笑しくなった。
 しかし、3日目に新築の家に行くと兄弟達はいなかった。約束したはずなのに何処に出掛けたのだろうと思っていた。そして、薄暗い茶の間に電気もテレビも付けずに継母だけが座っていた。継母はぼんやりとしながら口を開いた。
「お父ちゃんが、お前に手紙を置いていったよ」
それだけ言うと継母は、小さな紙切れを僕に手渡した。そこにはこう書かれてあった。
「家にご飯を食べに来ないでください」
 一行だけの短い手紙だった。僕はその手紙を受け取ると黙って玄関を出た。そして、何度も何度も落とされた奈落の底へ僕はまた帰らなければならなかった。他人行儀な文字が現実を教えてくれた。そして、別々に暮らしてはいるが、れっきとした血のつながりのある父がこんな手紙を書くはずがないとも感じていた。父は豪快な性格で、まわりくどい言い方などしない。それに、父は夜遅くまで働いているから、僕が遊びに来ているときに会うことはなかったのだ。
 奈落の底へ帰るのは仕方のないことだが、どうしてもその手紙を父が書いたとは信じられなかった。いや、信じたくなかったのかも知れない。奈落の底からも光は見える。ただ、いつもそこには行けないだけなのだ。その光とは「希望」だ。最後に残るもの、それが希望だと僕は思っていたから、その手の届かない、見ているだけの光だけでも、僕は失いたくなかった。
 それ以来、僕は全ての希望を封印した。もう、何事にも期待しない人間になった。世界に光がないのなら、自分の内なる光を探さねばならなかった。
 しかしその時は、その内なる光が何であるのかさえ分からなかった。そして、そんなものがあるのかさえも信じられずにいた。






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