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プロンポン駅からスクムビット通りに下る階段に
数人の物乞いが座っている。
両足の無い車椅子の男や
民族楽器らしき物を吹いている目の見えない男、
そして乳飲み子を胸に抱いて、行きかう人々に視線を投げる母親。
プラスチックのジュースの空き容器に
投げ入れられるお金だけが生活の糧となる人々。
僕は次々にその空き容器にお金を入れて行く度に憂鬱になっていった。
何故だろう?
微笑みながら彼らが頭を下げたり
手を合わせたりするのを見たくなかった。
何故なんだろうか?
この、罪悪感は何処から来るのだろうか。
僕は僕のこの行為が良いことなのか悪いことなのかも判断出来ないでいた。
持参したカメラを向けることも出来ず、
自分がカメラマンで生計を立てている人間でないことに安堵した。
同時にこの現実を写真に撮りたいと言う願望も確かに存在した。
でも、撮らなかった。
何故?

バンコクの路上はまるでレース場のようであり、
うつむきながら携帯電話でメールなどをやりながら歩くような
日本の若者などは1日も生き延びられないような状況である。
そんな状態の路上では小さな子供たちが止まっている車に駆け寄っていく。
両手にいっぱいの編んだ花飾りを持って駆け寄ってくる。
車の窓越しに少女を見ると、
少女は僕と視線が合うたびに無言でただひたすらうなずくのだ。
少女は3度うなずいた後、去っていった。
その花がいくらなのかも知らず、
窓を下ろす勇気も無く、
その澄んだ黒いつぶらな瞳に圧倒されていた。

ある日、犬と一緒に座っている物乞いがいた。
彼は犬のまねをして膝を折り曲げて座り、
犬の前にも空き缶が置いてある。
究極のジョークか、または悟りの境地なのか。
奇妙な光景と無表情な男の横顔が印象的だった。

なぜかこの国には野良犬が非常に多い。
3匹4匹と徒党を組んでうろつきまわる犬たちに出会うと
噛みつかれないだろうかと不安になる。
不思議なことにどの犬も同じ表情をしている。
眉尻が垂れ下がり、申し訳なさそうな気弱な顔をしている。
ゴミをあさり、たまに屋台のおやじに余り物を恵んでもらう。
そのせいか、猫は少ない。
たまに見かけても路上ではなく高い場所にいる。
そしてその猫たちも皆、痩せて肋骨が目立っている。

大都市バンコクの光と闇は果てしなく
そこに暮らす人々は又、たくましくもある。
僕はこの街で日本流の固定観念を
ゴミ箱に投げ捨てなければならない。
僕は物乞い達の空き缶に
10日間小銭を入れ続けた。
しかし、最後までその憂鬱と後味の悪さは消えなかった。

物乞いが差し出す
空き缶には
銭を入れよ

目に見える
貧しさは
救いようもある

心の空なる者には
愛をもって
静かに語れ

目に見えぬ
貧しさこそ
真の不幸である
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