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エコとエゴの微妙な関係

 近頃の日本には「エコ」という言葉が氾濫し過ぎているように思える。
テレビ番組やCM、その他のマスメディアや企業の製品まで全部「エコ」という言葉でひとくくり。まるでエコロジーの大安売りのように感じる。勿論、環境を考えることは大切なことだが、心配なのは言葉が慣用され過ぎてしまい本来の意味を失ってしまうことだ。
 エコバッグで買い物するのは良いことだが、皮肉な問題も浮上している。「何処に行ってもエコバッグを貰うから、家には何十枚と使わないエコバッグが溢れている」と言って苦笑いする主婦の方もいるくらいだ。読者の方の中にも苦笑いしている方も多いのではないだろうか?使用もしない製品が「エコ」という名のもとに押しつけられ、過剰で無駄な生産の元凶になっているとも言える現象だ。
 現在の地球環境の変化をみれば「エコ」という考え方には誰もが賛同できるだろう。しかし、資本主義経済の中に落とし込まれた「エコ」には注意しなければならない。その代表が次々と発覚する「エコ偽装」だ。この問題は環境破壊やCO2の問題にもまして深刻である。人の善意や気持ちにつけこんで、それを踏みにじって商売をするのだから悪質極まりない。しかし、この様な事件の多発は僕たち消費者の価値観や危機感のなさも同時に露呈させる結果となった。
 もしかして、僕たち消費者の心理には「リサイクル=良いこと」「エコ商品=良い物」と捉えてしまう安易で短絡的な思いこみがあるのかもしれない。
 そして、エコ偽装をした企業側の会見の中にも真実が見え隠れしていることに気が付く。「普通に製造した方がコストも安い。エコ商品としてリサイクルするにはコストがかかり過ぎる。しかし、最近はリサイクルが流行だから偽装してもそれをやらないと売れない」と、偽装の言い訳を泪ながらにする責任者もいる。こうなってくると本末転倒も甚だしい。
 こうなると消費者側も企業ばかりを責めることは出来ない。「リサイクル=安い」という思いこみ自体を考え直さなければならない段階にきているのかもしれない。例えば、普通に生産されたコピー用紙が500円で、再生紙が1000円だったらどちらを買うだろう?「エコ」という言葉に安易に流される前に、生活者であり消費者である僕たちそれぞれにも、エコロジーを実践するための覚悟が求められているのではないかと感じる。
 テレビ番組やニュースなどで環境破壊の問題がクローズアップされ、この地球が危機的状況であるのは誰もが周知の事実なのだろうが、ひとつ疑問に思うことがある。「地球にやさしい」とか「環境にやさしい」というキャッチフレーズは良く耳にするが、「人にやさしい」とか、「心にやさしい」というキャッチフレーズはあまり見かけない。個人的な見解だが、地球環境の破壊と人間関係の崩壊とは因果関係はないのだろうか。つまり、ソフトの部分とハードの部分のバランスの問題である。環境問題と人間関係や心の問題は同時に議論されなければならないと思う。ハードの部分だけが「エコ」という言葉で象徴さてはいるのだが、「人の心」はどのように豊かにすればよいのだろうか。「ストップ!温暖化」これは絶対に必要なのだが、「ストップ!自分勝手」とは、誰も言い出さない。CO2も削減しつつ、自分勝手も削減しなければならないと思う。折角の「エコ」の精神が「エゴ」になってはいけない。環境問題と同じくらい、家族や友人に優しく接することは大事なことだ。身近にはじめられる「エコ」と、身近にはじめられる「優しさ」を今から実践したいものだ。
 むかし、二宮尊徳が「道徳なき経済は悪であり、経済なき道徳は寝言である」と言ったとか。そこで新たなスローガンを発表したい。「道徳なきエコは悪であり、エコなき道徳は傲慢である」というのはどうだろう?しかもそれを自分勝手な詩人が書いたとなればかなり笑えるはずだ。
 ここで話を戻すが、言葉という生き物は慣用されることで死に至る。僕個人の好みなのだが、自動販売機が言う「イラッシャイマセ」も、自動ドアが言う「アリガトウゴザイマシタ」も僕は聞きたくない。世間には、慣用され死んでしまった言葉が何と多いのだろうか。これから先もますます「エコ」という言葉は氾濫するであろう。しかし、それに慣らされず自らの意識をはっきり持って行動したいものだ。
蛇足だが、本当かどうかはさておき。これもよく耳にすることだが、日本人は相手に対して「愛している」とはあまり言わないらしい。しかし僕は、それでいいと思う。毎日ステーキばかり食べていたらその美味しさも色あせてしまうだろう。あなたの言葉も誰かの言葉も、そして語られなかった言葉も、同じように大切なのである。
 今を生きる僕たちも、未来を生きるこどもたちも自分の言葉をしっかり持って生きてゆかねばならない。使い慣らされた言葉ほど危険なものはない。あなたの言葉はあなた自身であり、生命そのものなのである。そんな忘れものを思い出しながら今年の秋を過ごしたい。






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