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2009.08.20 いのちの作法
いのちの作法
 
 ここに一本の記念すべきドキュメンタリー映画が出来た。岩手県の旧沢内村(現西和賀町)を舞台にした「いのちの作法」という映画だ。
 なぜ岩手県が舞台の映画をこのコラムで取り上げるのか、読者の方は疑問に思うかも知れないが答えは単純だ。ずばり、今の日本人が観るべき映画だと思うからである。
 岩手県の旧沢内村といわれても、奈良に住んでいる僕たちにとっては、何の接点もない東北の村の映画であるように思えるだろう。しかし、人間というキーワードを根底において考えれば、日本に暮らす同胞としてこの作品に触れることは自然なことだ。
 この作品のプロデューサーはなんと、都鳥拓也と都鳥伸也という20代の若者だ。彼らが自ら東奔西走して資金を集め、村人や多くの人々に支えられて完成させた映画、それがいのちの作法。監督はドキュメンタリー映画界の重鎮である小池征人監督だ。
 岩手県の沢内村にひとりの男がいた。名前は深沢晟雄(ふかざわまさお)。昭和32年に沢内村の村長となった人である。深沢村長は豪雪と貧困の中で多病多死の不幸な悪循環の地にあった沢内村に於いて「生命尊重の理念」をいち早く唱えた慈愛に満ちた人だった。老人医療費を無料にしたり、乳児の死亡率ゼロを達成させた生命行政とそれを継ぐ者が物語の主役である。
「地域格差や経済格差を言う前に、人間の命に格差があってはならない」映画の冒頭の深沢村長のこの言葉に僕は愕然とした。
 「人間の命に格差があってはならない」その言葉を聞けば、至極当然のことなのだが、僕にはとても新鮮に感じられた。命の格差とは何か?テレビでも新聞でも話題にならないが、もっとも根源的なこと。どのような運命を背負って生まれた人間でも人間の尊厳をもって生きる事の出来る社会とでも言えば説明になるだろうか。
 この映画は劇映画ではなくドキュメンタリーなので、登場人物も役者ではなく本物の地元の人々である。ドキュメンタリー映画を見慣れていない人の方が多いかも知れないが、飾らず素のままの人間を目の当たりにすると泥臭い反面、何処か温かみのある真実を感じることが出来る。そのことがとても新鮮な力強さを表現しているように思える。劇映画でも素晴らしい作品は沢山あるが、監督の作品に対する思いこみが激しすぎて興ざめすることもあるし、抜擢された役者の役者魂が逆効果になることも少なくない。そのような面からこの映画を観たとき監督もスタッフも存在感を感じさせない。それはなぜだろう?それは真実のかもしだす説得力が制作者の意図など簡単に飲み込んでしまった結果のように思える。登場する地元の方々の一言一句が本物の輝きを放っている。汗も涙も本物なのだ。
 商業映画ではないこのタイプの映画は資金繰りも厳しく、お金が出来るまで次の撮影に入れないこともしばしばある。等身大で生きる人々を、等身大の時間をかけて撮影する根気強さと深い愛情が求められる職人魂がそこにはある。軽薄短小で何もかもがスピード化された時代に逆行するような映画制作。
 思えば老若男女の枠組みをさらりと超えて、人間同士が同じ時間を同じスピードで歩むことを僕たちはいつしか忘れてしまった。誰かが先に行きすぎることも、誰かがとても遅れてしまって泣いていることにも気が付かず、日々を疾走するように生きているように思えてならない。
 劇場で公開されないこの映画を是非、奈良の方にも観てもらいたいと感じた僕は、「いのちの作法」をここで取り上げた。未だに借金だらけの若い兄弟を応援してあげたいという気持ちもあるし、映画が僕の心を動かしたとも言える。「いのちの作法」とは、次世代へ人間の愛と命の大切さを繋ぐことである。こんなに素晴らしい映画を命がけで制作した若者を支えることも、大切な日本の心を未来へ繋ぐことも、ひとりの大人として当たり前のことだと思う。そんな忘れものを改めて感じさせてくれたこの映画に感謝したい。





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