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いい男といい女が誕生するまで
 
 近頃は何故か男がカッコ悪い。少年たちが憧れるような男はどうも少なくなってしまった。自分のことを棚に上げて書いていることにはいささか矛盾も感じるのだが、そう思えるのだから仕方がない。
僕が学生だった頃の日本の映画で、こんなキャッチコピーがあったのを憶えている。「男は強くなければ生きられない。優しくなければ生きる資格はない」当時はかなりこのセリフに感化されたが、社会に出ると現実とのギャップを痛感させられた。時代は変わり「男は稼ぎがなければ生きられない。家庭の中にもいる場所がない」といったようなキャッチフレーズが似合うような世の中になった。
 テレビのコマーシャルをみても、昔の日本と比べて男女の力関係が明らかに逆転したことが感じられる。「オヤジは臭い」からはじまって、男がピシャリとやられる映像が増えた。女をピシャリとやるコマーシャルを作ればたちまち女性団体から抗議が入り、放送中止などという羽目になるから制作する方も女性への配慮は欠かせない(笑)
 更に、男性の女性化もかなり問題である。見た目の価値観も変化した。「着物の似合う恰幅のいい男」などという褒め言葉は死語だ。現代ではそれを「メタボオヤジ」というのだ。要するにスリムで女のように美しい顔でなければ価値がないという風潮が蔓延している。ましてや男性エステなど書かれた看板に違和感を憶えるのが僕だけだとしたらかなり恐い。ついでに、夏祭りなどで見かける浴衣姿の男がマッチ棒のように見えるのも僕だけだろうか。着物を着るときに多少腹が出ているくらいでないと、なんか海苔巻きみたいでカッコ悪いだろう。それなら最初から多少メタボな方がいいのではないかとさえ思える。話が脱線してメタボの話になってしまったのは、近頃自分自身が少々メタボ気味なのでその言い訳をしているともいえる(笑)どちらにしてもこじつけ過ぎた気がしてきたのでこの話はやめよう。
 実際の男性の生活環境とはどんな感じなのだろうか。やはり、家に帰れば女房に邪険にされ、こどもには尊敬されず「ウザイ」と一喝されてしまったりしているのだろうか。こども達は母親から「お父さんのようになるわよ!」と悪い見本の代名詞に使われる父親をどう感じているのだろうか。家庭で唯一役に立てる事と言えばゴミ出しぐらいだとすると、かなり男としては悲しい。
 結局は居場所がないのでスナックや居酒屋に逃げ込むのだが、お小遣いが少ないので公園のベンチで缶コーヒーを飲んでは溜息をつくのが日常。たまに出張の経費で飲めるとなれば、羽目を外してキャバクラで若い女の子とお話しできるのだが、最終的には昔の「モテ話」をして苦笑されて帰るのがオチだろう。寂しく路地裏に消えてゆく後ろ姿を想像すると思わず合掌したくなる。挙げ句の果ては糖尿病になって、酒も煙草も取り上げられ、自宅で病院食のような食事をしなければならない羽目になったらどうしよう。などと考えると夜も眠れないのではないだろうか。
 持論だが僕はこう考えている。「いい男」を育てるのは「いい女」だし、「いい女」を育てるのは「いい男」であると。ということは、「いい男」の減少に比例して「いい女」も減少したということになる。
テレビに離婚した女性が引っ張りだこで出演しているのをよくみかける、不幸な現実をお笑いに変えて逞しく芸能界を生き抜いているのはいいのだが、かつてパートートナーだった男をこき下ろす品のなさには閉口する。その逆で、男が女の悪口を言うのは更に醜い。どうも僕は楽しめない。要するに笑えない。男も女も自分の主義主張だけがあって、結婚そのものが何かの投資のようにさえ思えるのだ。だからアテがはずれれば離婚という結果になる。勿論これは一般論ではない。家庭内暴力や様々な深刻な問題で離婚に至ることも多いのも悲しい現実だ。
 歴史の影に「女」あり。というが、それは本当だ。世の中で華々しく活躍する男の影には必ず「いい女」の存在がある。自分が幸せな結婚をしたいと考えるなら、彼氏そのものを育てる必要があるし、いい旦那と幸せに暮らしたいなら「いいオヤジ」を育てる必要がある。その逆も真なりで、「いい男」だから「いい女」が育つともいえるだろう。
 以前にある教会で牧師さんが言った言葉を思い出す。「相手に文句を言っても何も変えることは出来ないんです。直してもらいたい事があったら、ほんの些細なところでもいいから、相手の良いところを褒めてあげなさい。人間って、褒められて期待されるとそれを維持するために頑張るものですから。相手を変えるのは文句でも脅しでもなく、愛ですよ」この言葉を聴いて感銘を受けたのを今でも憶えている。
 どちらが上か下かなどという力関係に執着する価値観を捨てて「お互いを思いやる心」を取り戻す時代が来ている。そんな忘れものに気が付く春であってほしいものだ。





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