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2012.03.31 五文字の花
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役所の食堂で
老婆がひとり
日替わり定食を食べ終える

三角巾にエプロン姿の店員が
遠くからそれを見ている
そして静かに近づいて
その老婆の横に立つ

食べ終わりましたか
そんなふうに声をかけたのか
老婆は何度も頭を下げて礼を言った
ありがとう
不意に聞こえた五文字の言葉

僕は向かいのテーブルで
黙ってそれを見ていた
箸の先にトンカツをつまんだまま
だまってそれを見つめていた
ありがとう
閑散とした昼の食堂に
静かに響いた五文字の言葉

店員は老婆の目線までかがんで
短い会話をすると
食べ終わった食器を運んでいった
その後ろ姿にも老婆は何度も礼を言った
ありがとう
穏やかに響いた五文字の言葉

店員はセルフサービスの流し場で
食べ終えた食器の汚れを落としている
そして一枚ずつ洗い場の水槽へ入れてゆく
優しい音を響かせて
冷たいシステムさえも洗い流すように

老婆はやがて立ち上がり
小さな手提げ袋を持って歩き出す
出口とは逆の方向へと

老婆は心得ている
他人の優しさに報いる術を
ありがとう
心を込めた五文字の言葉

店員は少し恥ずかしそうに
老婆に向かって頭を下げた
ありがとうございました
そう言いながら食器を洗い流している

僕はトンカツをつまんだまま
ありがとうという言葉を見ていた
殺風景な食堂に咲いた五文字の花を

人はありがとうという言葉の中に生きられる
ありがとうの中には
誰かの咲き誇る優しさがある
そしてそれは見えない場所に咲く
美しい五文字の花になる

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