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2009.12.29 人生の付録
僕は付録つきの人生が嫌いだ。
その本人の実体よりも付録は過剰に評価されるからだ。
「記憶の欠片」を発表してからというもの、
「幼い頃は苦労したのですね・・。」などと、よく言われる。
なので、「ああ、あれは全部フィクションなんで、ただの作品ですよ」と、言うことにしている。
事実に基づいた作品を書くのには時間がかかる。
要する歳月の慈悲を待たなければ書けないのだ。
ましてや自身のことは中々書く気になれない。

僕は付録付きの人生が嫌いだ。
苦労など誰にでもあるし、不幸なことは誰にでも起きる。
傍観者はそれに感動するが、当事者には感動している暇はない。
苦労など珍しくもなく、褒められるようなことは何もない。

しかし、悲しいかな世の中は全てこの商法で成り立っているのも事実。
嘘っぱちのエコ商売。
にわかナチュラリスト商売。
泣きたい症候群相手の感動物語商売。
偽まちおこし商売。
戦争誘致商売。
と、まあ、きりがいない・・・。
これらの不幸を付録にした商売には本質的な価値が欠落している。
価値のないものに何故人は群がり消費したり涙を流したりしているのか?
「不幸な人々は、さらに不幸な人々によって慰められる」とは、誰の言葉だったかな?
忘れてしまったが当を得ていると僕は思う。
不幸を堪え忍ぶ勇気とは実体に同一化されたものであり、
決して商売になるようなたぐいのものではない。
不幸を付録にした商売は、やがてその気高い勇気までも陵辱するだろう。

付録はいらない。
それは本来、その人間からにじみ出る魅力のことだから。
チョコレートの付録のシールが、いつの間にか主役になってしまうような人生は、
人生ではなく商売である。





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