僕の生まれた街

 昭和三九年、日本三大急流の「五月雨を集めてはやし最上川」が日本海にそそぐ東北の小京都、山形県酒田市に生まれる。基本的には浜っ子。
 NHKのドラマ「おしん」の郷里庄内地方と言えば知っている方も多いのでは?最近では山田洋二監督の映画「たそがれ清兵衛」で知られるようになったのだが、市内の何処を探しても「宮沢りえ」らしき女性にお目にかかることはまず無い。
 同郷の有名人には歌手の岸洋子や写真家の土門拳。そして同業と呼ぶには畏れ多い詩人の吉野弘さんがいる。

子供の頃から詩人?
 
 小説家である父の影響を受け、幼少期より詩作を始める。などと書ければ格好もいいのだが、親父は当時牛乳配達人だったので何の影響も受けなかった。しかも祖父も新聞配達人だったので文学や芸術とは縁遠い家柄であることは間違いない。しかし、何かを配達するのが好きな人たちであったのは確かである。
 牛乳や新聞は早朝に配達される。しかも集金のときは専門の集金員がやってきたりするので、どんな人物が配達しているのか何年も知らないでいるという様な事がおきる。知らない人が配達した牛乳を毎朝飲むことも、自分が配達した牛乳を毎日知らない誰かが飲むことも、考えてみれば不思議だ。そんな誰も気にも留めない日常にこそ、詩の母体があるのかもしれないなどと思ったりする。
 とにかく配達の話はどうでもいいことなのだが、こども時代はどんな風だったかと問われれば、単なる馬鹿ガキだった。
 小学校卒業までには3度も骨折し、あげくの果ては呼び出されて知能検査までさせられる始末。当時は5段階評価の成績表だったが、そこには1と2という数字しか発見することが出来なかった。おまけに備考欄には「学校にノートを持って来るように」と「残した給食を机の中に詰め込まないように」と書いてあった。ノートは買うと直ぐに落書き帳に変身したし、給食は残すと先生に叱られるので、毎日机の下の教科書入れのスペースに押し込んだ。     
 ある日先生に発見され、皆の前で机を引っくり返された事があった。ミイラ化した在りし日の冷凍ミカンや多量のパンの欠片、ドロドロになったマーガリンなどが、教室の床の上に哀愁を帯びて転がった瞬間、僕は犯罪者のような情けない表情を浮かべながら、秘書給与詐欺事件がばれた政治家のように無口になった。そんな時でさえ詩人はその光景を凝視する。かつて食べ物であった彼らの中に滅びの美学と変わり果てた姿に人生の無常を感じたりするのであった。 
 勿論、その当時には詩なんか書いてはいなかったが、心の中にはいつも言葉が渦巻いているのを感じていた。
 人間の心の中も引っくり返してみればミイラ化した夢やドロドロになった現実が転がりだすかも知れないので、くれぐれも身辺は清潔に。上着の内ポケットの中のホステスの名刺はちゃんと処分しておかないといけない。女房に机を引っくり返されてもいいように。(僕は独身なので心配なし)

感情が文字になるとき

 詩に限らず短歌でも俳句でも日記でもいいから、感情を言葉にすると不思議なことが心の中で起きる。 
 いい知れぬ不思議な安堵感だ。読者の方で文章を書いたりする趣味のある人には理解できるかもしれないが、なんとなく安心する。
 僕に関していえば、なぜ自分が詩を書くようになったのかに起因する問題かもしれない。
 それぞれの心の中にコップが一個あるとする。一億二千万人がそれぞれの違った境遇や環境の中で生活しているので、素晴らしく幸福な生活の人もいれば、地獄絵図のような不幸に見舞われる人も出てくる。コップの容量はそれぞれ違うが、幸でも不幸でも感情が高まると、コップから感情が溢れ出す。要するに自分の器量では持ちきれなくなるのである。持ちきれなくなった精神は人間を、良い意味でも、悪い意味でも「狂人」に変えてしまう。幸せ過ぎて、度を越え破滅してゆく人間も大勢いるし、不幸すぎて犯罪や自殺にはしる人もいる。その乱れた心のバランスを何でとるのかはそれぞれ違う。それが僕の場合、詩だったのだ。
 簡単に言えば詩人を目指した訳ではないのだ。言い換えれば「そんな風にしか生きられない結果」が詩人だったのだろうと思う。精神病になって自殺する代わりに紙の上に自分の心を置いているに過ぎない。僕が感じる不思議な安堵感は、また一日生き延びられそうな、密かな期待感を持たせてくれる安定剤なのだ。
 詩や短歌や俳句を書く人たちが高尚な趣味を持っているなどと僕は思わない。でも書かずにはいられない人たちが存在するのは確かなことだ。その言葉の根底にはそれぞれの思いが深い河のように流れている。自分の中の矛盾に向き合おうとする正直な人間は挫折もするし、そんな自分自身が嫌になったりもする。しかし、矛盾だらけの人間は豊かな心を持っているともいえるのではないだろうか。今まで自分の中のコップの水が、一度もいっぱいになったことの無い人が読者の方の中にいるとしたら、ぼくはその人の為に般若心経を唱えてあげたいナ。

永遠の青春?

 僕は普段、釣り以外の時は昼まで寝ているのだが、(夜中まで詩を書いたり酒を飲んだりの生活)その日の朝は電話で叩き起こされた。どうせ、コピー機のセールスだろうと、不機嫌に電話に出た。「吉野です」という。まだ寝ぼけている僕は、吉野?と聞き返した。「吉野弘です」名前を聞いて受話器を落としそうになった。日本を代表する詩人のひとり、吉野弘先生だった。「今日は朝から君の詩集を読んでいるんだよ、素晴らしいね」などとおっしゃって、そのまま先生は、やや興奮気味で三十分間も戦争の話や肺結核で死にかけた話、そして最後に、毎度大量に送られてくる本の話をなさった。
「最近の大人の書く詩の多くには、諦めがみえる。悟りきったことばかりで読む気にもならないんだよ」と言って残念がられた。
 七十九歳になられる先生のお言葉には、永遠に老いることのない青春の若々しさと希望が、今も満ち溢れている。
 僕の場合は、頭の中身は少年のまま、身体だけ四十代になってしまった少年オヤジといったところかな。奈良のあちらこちらを歩いては、青春という名の箱の中に残った希望を探しているのかもしれない。よろしかったら一緒に散歩に出掛けましょう。

青春が終わるのは、
自分がそれを捨てるからである。
生きるとは、
永遠の青春を抱えて歩くことである。





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それぞれの散歩道

 「散歩道」というタイトルで読者の方から詩の投稿を頂いたので、途中の文を抜いて、少しだけ紹介してみよう。
 「かけっこした坂道/泥んこになった田んぼ/肝だめしをした猫屋敷/落書きしたトンネル/遠回りして通った好きなあの子の家」
 この詩は小学生の頃に通った道での、様々な出来事を綴った詩だ。いまその道を、大人になった彼女が犬を連れて散歩道している。懐かしい通学路が、自分だけの大切な散歩道になった。という内容の詩だ。何気ない日常のひとコマにこそ、詩の母体がある。改めてそう感じさせたくれた詩でした。皆さんもどんどん投稿して下さい。
 
 ところで、僕がよく行く散歩道のひとつに、生駒山の宝山寺がある。下界を見下ろす雄大な景色を眺めながら、ぼんやりと風に吹かれながら過ごす。
 それから、駐車場の横の静かな休憩所で、海苔弁当を食べるのが趣味。幕の内でもなく、焼肉でもなく、何故かいつも海苔弁当と決まっている。それも「おかあちゃんべんとう」の海苔弁当でなくてはならない。何故かと言うと、唐揚げが一個「おまけ」で付いているからだ。しかし、蓋を開ける前にはいつも不安になる。いつか、唐揚げが入っていない弁当を、開けてしまう日が来るのではないか。そう思うと不安だ。「おまけ」という心理は、人間にとって永遠の魅力なのである。グリコの「おまけ」が、いつしか本体のキャラメルをおまけにしてしまったように・・・。
 そんな例は世間でもよくある事で、好きになった彼氏が、たまたまお金持ちの場合。お金持ちであることは「おまけ」にしか過ぎないが、だんだんと月日が経つにつれ、彼氏の方がおまけになってしまっていたりする。(う~ん。これは笑えない・・・。)
こんなことを書き始めるとキリが無いので、もう止めにする。とにかく宝山寺の休憩所で弁当を食べて いる(一応、お参りもしていますよ)怪しい男がいたら、それは僕です。
 皆さん、くれぐれも真似はしないようにお願いします。

法隆寺の蝉

 冬のある日、僕は一人で法隆寺の東大門の下に座っていた。そして、この夏に出会った一匹の蝉のことを思い出していた。思えばあれから僕はずっとそのことを考えていたのだった。
 その日は夏の盛りで、物凄く暑い日だった。お決まりのコースをひとまわりして、夢殿へ向かって歩いていた。東大門をくぐり抜けようとしたとき、一匹の死んだ蝉を見つけた。柱の足元に天を仰いで転がっている。その一方では仲間たちが、短い一生を惜しむように盛んに鳴いている。時間も季節も静止してしまったかのような夏の午後に孤独な死の場面が印象的だった。
 「もし、七十年の人生が、七日間で過ぎてしまうとしたら?」
 彼はふと、そんな無言の問いかけを僕に投げる。僕は黙ったまま彼を見つめていた。汗が頭皮の上を川のように流れ、しょっぱい涙になって顎から落ちる。それは、やがて陽に照らされて蒸発し、風になって吹きすぎる。ほんのささやかな出会いが、僕に多くのことを教え、そして時に戒めてくれる。
 僕は立ち上がると歩き出して空を見上げた。隣には美しい五重の塔がそびえているが目に入らない。お寺巡りの好きな僕が本当に見たいものはなんだろうか?奈良には沢山の世界遺産があるが、果たしてそれか?それともいま、この足元に転がる一匹の死んだ蝉に宿る仏の言葉か。
 再び訪れた冬の法隆寺に蝉の声は無い。しかしこの大地の下で静粛の時を過ごす偉大なる生命を僕は感じる。そしてあの夏の日に、ふと現れて教えを説いた、仏の言葉を今も考え続けている。

線路のそばにいた蝶

 お昼に自転車で買い物に出掛けた日。いつもの踏み切りで、いつものように止められる。そしていつものように遮断機が、無作法な音を鳴らして下りて来る。その横の線路沿いには、よくある薄緑色の金網が、遠くどこまでも続いている。
 僕が暫くそこで通過待ちをしていると、一匹の蝶が眼の前を通り過ぎて行った。蝶は金網の網目の間を通り抜けて、行ったり来たりして遊んでいた。そんな光景をぼんやりと見ているうちに、ある映像が頭の中に浮かんだ。
 それは、テレビの特集番組で見た映像だった。韓国と北朝鮮の国境を隔てる、北緯三十八度線。幾重にも折り重なる鉄条網を隔てて、お互いの兵士が睨み合いを続ける映像。次に、家族や友人と離れ離れになってしまった人々が、嘆き悲しむ場面を見たのだった。
 こんなに良く晴れた、青空の美しい日なのに、突然、線路の傍らにて、人間の愚かしさと、無力さを改めて思い知らされたのだった。眼の前の金網の間をひらりと飛びまわる一匹の蝶が、僕たち人間の本当のあるべき姿を教えてくれている。そんな気がした。
 僕たちは、碁盤の目のように線引きされた世界の中で、誰かの手によって打たれた白と黒の石のようだ。見えない線に隔てられて、いつの間にか互いの言葉さえ、理解できなくなってしまっているのかもしれない。
 猛烈なスピードで眼の前を走り去ってゆく電車の傍らで、僕の心の目はあの三十八度線の恐ろしい鉄条網の間を、するりと通り抜けて飛んでゆく蝶を見ていた。そして、するりと通り抜けて行けない僕たち人間が、いつか蝶になれる日の為に祈った。
 何の代わり映えも無い日常の暮らしの中に、沢山の邂逅があることを僕は知っている。でも、見ようとしなければ、1+1はいつも2でしかない。しかしひとたび心を世界に向けて解放すれば、沈黙の中に、人間は千の言葉を聞くことが出来る。
 詩人とはある意味、通訳みたいなものだ。しかし、僕は英語が話せない!ここだけの話し、むかし駅前留学のN○Ⅴ○に資料をもらいに行ったのだが、怖くなって逃げてきた過去がある。今から考えればキャラクターのピンクのウサギが、欲しかっただけだったのかも知れない・・・。でも、特技がある。言葉の無い言葉を翻訳し、通訳することだ。しかし悲しいことにその特技は、履歴書に書くことは出来ない。


語られたことは
大事です
しかし
語られなかったことも
同じように
大事です
春という現実
春という幻想
長い夢を見ているように
沈黙の春という衣が
風になびいている


異国の少女ジェイミー

 生駒市在住の雲是臣さん(七十五歳)という、凄いお名前の方から投稿を頂きましたので、皆さんに紹介します。
 生駒市では国際交流の一環として、中高校生を対象に海外との交流が盛んに行なわれているらしく、雲さんのお孫さんも、オーストラリアのロックハンプトン市への交流団に参加したそうです。
 その際にお世話になったジェイミーちゃんという女の子を、今度は雲さんの孫娘さん一家がホストファミリーとして迎え入れ、思い出深い日々を過ごされたらしく、その際の思い出を短歌にして送って下さいました。
「日本を知ってか知らずか玄間にきちんと靴を揃えるジェイミー」
「ジェイミーを横に座らせ仏壇に線香手向けてりん二つ打つ」
「気配りが所作に現わるジェイミーに日本の忘れた躾を思う」
 この歌の中には、日本人が忘れかけている日本文化の美しい日常の情景が、随所に表されていると思います。
 僕も幼い頃には履物を揃えるよう、祖母や祖父に厳しく言われたものです。ちなみに庄内弁では祖母は「ばばちゃん」祖父は「じじちゃん」または「ばっちゃん、じっちゃん」などと言いますが、そんな事はまあいいです。現代では、親も子も一家全員で靴の脱ぎっ放しという現象が多発し、おまけに、それを犬が骨の代わりに噛み散らかしたりして、玄関が悲しい状態になっているお宅も多いのではないでしょうか。自分の靴を揃えるという行為は、ただ単に見た目が良いから。と言うだけの事ではなく、自分の身を守ってくれる物に対して敬意をはらい、感謝の気持ちを形にするということです。
 仏壇に手を合わせるという行為も、同じく、生かされていることを謙虚に受けとめる、日本人の精神文化の現れなのです。
 僕の知り合いの大学生などは、日本はダサいから、外国で仕事がしたい。などと言い、完全に外国かぶれしていて日本や日本人の良い所を見ようともしません。二十数年前の自分を見るおもいです。その当時の僕は、髪の毛を染め、ローリングストーンズを聞き、アメリカ万歳!ロックンロール最高!などといいながら、ラッキーストライクを吸い、ジャックダニエルを飲んでいたのでした。そんな若者が、今では正月にお寺で般若心経を写経して、「う~ん。心が落ち着く」などとぬかしているのだから、まあ、そんな事は心配しなくても良いのかも知れません。
 雲さん、お手紙ありがとう御座いました。出会いとは素晴らしいものですね。ジェイミーちゃんとの別れの情景を表現した短歌も良かったです。
「年齢も国が違うも別れには拭えど拭えど乾かぬ涙」
遠い国に、もうひとりのお孫さんが出来ましたね。素敵なお話でした。
 僕は短歌を書いた事がないんですが、
お手紙のお礼に、下手くそながら書いてみました。どうでしょう?
「海越えて年齢越えて出逢いたる一期一会の国境の蝶」山吹草太。お粗末!
 皆さんからのお手紙をお待ちしています。素敵な思い出を送って下さい。

春の戯れ

桜の花の上で
二羽の雀が遊んでいる

雀が笑えば桜が落ちる
雀が歌えば桜が落ちる

今にも散りそうな花びらを
今より早く散らすのは
無邪気で儚い春の戯れ

僕の足元にも
沢山の花びらが散っている
それは無邪気さが傷つけた
誰かの優しさ

人は自分の罪を知って
はじめて他人の愛を知る

戻れぬ過去の
春を知る

山吹草太「5つのパンと2匹の魚」より


 奈良に来て、初めての春を迎えた。
春といえば、やはり山菜採り。そんな事を連想するのは僕だけ?身体に染み付いた狩猟本能は中々消せませんな。
 田舎にいた頃は、釣竿を片手に、山奥の渓流で山女や岩魚を釣り、帰りはリュックサックに山のように山菜を収穫して来るのが日課だった。タケノコ・ふきのとう・ウド・タラの芽など、山に行けば何でも採れた。勿論、その夜は友人を呼んで酒を飲みながら、焼いた川魚と大好物のタラの芽の天ぷらを頂く。山菜には春のパワーが凝縮されており、栄養が有り過ぎる為、食いすぎると鼻血が出たりして大変なことになる。それなのに友人は、平気で天ぷらを三皿も平らげてしまう。「旨い!旨い!」と完全に春の魔力にやられており、最後はいつも想像通りの悲惨な結末になるのだった。田舎では色々な物がタダで手に入る。これもまだ時期には早いが、日本海側の庄内浜では、夏に岩牡蠣が獲れる。こちらもやはり山菜と同じで、食べ過ぎると鼻血ブーになる。あさり、ハマグリ、ウニ、サザエ、アワビ、何でもタダで食える。本来は獲ってはイケナイのだが、子供が海水浴がてら少々失敬しても、地元ならではの暗黙の了解で何も問題にはならない。たまに密漁者が逮捕されるが、こちらの方は悪質で商売が目的である。
 自然の沢山ある奈良にせっかく住んでいるのだから、今年は奈良の四季折々の美味を堪能したいと期待を膨らませている。読者の方で、詩人を是非招待したい!という奇特な方がおられましたらご連絡下さい。その際は、地酒などもご用意して頂けるような、そんな渋い演出も大歓迎いたします。吉野の桜を見ながら・・・。なんて素晴らしい所なんでしょう、奈良は!(勝手に妄想モード)本気で行きますので、ご連絡下さい。キーワードは酒と釣りと美味い物です。三十分以内に出発出来るように、いつもスタンバイしてお待ちしております。
夏の風は音もなく吹き過ぎる
そして後には思い出だけが
波のように引いては寄せるだけ
永遠の波打ち際で
僕は誰かを待っている


 読者の皆さんからのお手紙、本当にありがとう御座います。今回は奈良市在住の玲子さんからです。色々と誉めていただいたのですが、自分でまた書くのも恥ずかしいのでそれは書きませんが、詩が同封されていましたので、掲載が遅くなりましたがご紹介いたします。
「空」
「雪が降り出したネ・・・」とあなたが受話器の向こうで静かに言う。/私は窓を開け、手のひらに落ちた雪を愛しく想う。/「今朝は、風がキツイみたいだネ・・・」/私に、風邪をひかぬよう、まるで子供に注意するかのようにあなたが言う。/「今、月がきれいに見えるよ。ホラ、満月だ。」/でも、きっとあなたの心の方が澄んでいてきれいよ・・・。/「これから、ひと雨ごとに暖かくなるんだね。花見に行きたいネ・・・」/果たせるかどうか、わからない約束を電話でかわす私たち。/どうか、あなたが早く元気になりますように。そうして、一緒に同じ空を見、風を感じられる日が来ますように。/今、目の前にスッとかかった虹を見て、そう強く願った。
 玲子さんの大切な友人がご病気で入院しているらしく、その友人を想いながら書いたそうです。お互いを思い合うお二人の心が見えるような詩です。共に見上げた同じ夜空の満月は闇夜を照らす希望です。月のない暗黒の空があなたの希望を覆い隠してしまう時にも、遥か彼方の夜空にはいつも「希望」があります。どうぞ勇気を持って頑張って下さい。

夏のゆくえ

真夏の太陽に照らされた
下界の午後は静かです

熱く焼けた石たちも
陽炎の向こうに憧れるほど

けれど動くことも出来ず
少年の僕は一人たたずみ
サンダルの下に草を感じながら
足元を走る澄んだ水に
この世の時の流れる様を
ぼんやり眺めてた

高い空に吸い込まれて
僕の魂は
空気に溶けていきました

頭上の雲の切れ間から
雲雀たちの鳴く声が
消えそうな記憶の片隅に
響いてたあの日

風はひゅんと吹き過ぎて
旅人のように戻らない

きっと戻ってこないだろう
きっと戻ってこない夏

泣きべそ顔の少年と
吹き過ぎたあの風と
走り去ったあの夏の僕も
山吹草太「5つのパンと2匹の魚」より


悪ガキのすすめ

 奈良に来てから2度目の夏が来た。去年の夏の思い出のひとコマは、高山の野池で地元の子供に混じって魚釣りに興じたことだ。子供たちに「おっちゃん」と呼ばれてしまい、もう「おにいちゃん」ではない自分を自覚しながら、その日は多少うなだれ気味で釣り糸を垂れていた。
 「おっちゃん!釣れたら頂戴。食うねん」と彼らが言うので、冗談だと思いながらも早速釣れた魚を渡す。すると彼らはその辺から小枝やワラを集めだして、おもむろに点火。半ズボンのポケットに忍ばせた百円ライターを自慢げに見せる。ここで大人は注意するべきなのだが、悪ガキの先輩としては昔の自分を見る思いがして、どうも言い出せない。そのうちにイイ臭いがしてくる。何か悪い予感がしたのだが的中してしまう。
 「おっちゃん!焼けたで!」と、お声がかかる。近づいてみると黒コゲの魚にカブリつく子供たち。「おっちゃん食うか?」と、彼らの視線は僕に注がれる。みんなで食べればいいよ。などと大人の余裕をかましたのだが、「気持ちが悪くて食えない」とは最後まで言えなかった。
 考えてみれば、生き物を殺し、調理して食う。それは普通の事の様だが「殺す」はいつも誰かがやる。僕たちはスーパーなどで、パック詰めされた肉やら魚やらを買うのが日常だ。言ってしまえは、ポテトチップスも魚も、感覚的にはただの商品としてしか目に入らないのだ。このことは真面目な話し、少々怖い感覚だ。食べる為に生き物の命を奪うという事実を知らないで過ごすと、命の大切さを知らずに育つ。昔、近所で飼っていた豚を毎日見に行った。ある日おじさんが、明日は豚をツブすんだよと言った。ツブすとは殺すということだと知ってショックを受けた。肉屋にお使いに行く度に、あの豚の顔が頭に浮かんだ。ごめんね、と言いながらそれでもトンカツを食べる自分に、なんとなく後ろめたさを感じたものだ。
 生命の消えゆく瞬間の切なさは、アタマからではなく皮膚から感情に入ってくる。カエルの尻に爆竹を詰め込んだり、黙って持ち出した小刀で指に怪我をしたり、そんなことをしているうちに感情が育ってくる。命の大切さや痛みを学ぶには、多少の悪さも必要なのかもしれない。高山のこの子供たちは、幼い日に過ごしたこの一瞬の夏に、かけがえのない多くの事を学ぶことだろう。
 これは蛇足だが、様々な体験や感覚を磨いて来なかった人間は将来こうなってしまう可能性が高いので注意。僕の妹の友人などは「カレーって作れるの?」などという質問を平気でしてくる。インスタントカレーで育った子供には、カレーはレトルトパックに入っているという感覚しかない。それはそれで害はないのだが、こんな人もいる。電気ポットをガスコンロにかけてドロドロにしてしまう主婦とか、お米をとぐのに洗剤を入れてしまう大学生とか、信じられないことが次々起きる。洗顔フォームを歯ブラシに付けて歯を磨いた僕も単なるアホだし、家庭訪問に来た先生に、麦茶と蕎麦つゆを間違えて出した弟は更にアホということになるのだが、前者と後者では間違いの種類が違う様な気がする。読者の皆さんはどう思います?





都会は石の墓場です。
人間の住むところでは有りません。
ロダン


パリで想う奈良とNara

 パリのホテルの部屋に何気なく置かれていた冊子。傍らにはスコッチ、口にはタバコをくわえながら、読めもしないページを開いてみた。何処かで見た風景、何処かで見た建物。それは東大寺の写真だった。ページ上で僕が理解出来る文字はたった一言「Nara」だった。Naraか、奈良ね。意味も無い独り言。十時間以上のフライトで肉体には力が無かった。やがて氷をたっぷりと入れたシーバス・リーガルの水割りが血液のように体の中に浸透してくる頃、月夜に照らされたマロニエの梢に風が吹きすぎるのを眺めながら、僕は異国の地で世界中の人達の瞳に映るであろう「Nara」を想像していた。それは、僕たち日本人には見ることの出来ないもうひとつの「奈良」なのかも知れない。

旅行と旅の時差

 「旅行」と「旅」の違いはなんだろうか?などと勝手に仮説をたててみた。
そこで東京にいる友人などに奈良をどう思うか?と、聞いてみたらこうだ。
「京都へ行って時間があれば奈良にも寄りたい」などとおっしゃる。失礼な話しだが、まあ僕と同じ小市民の意見なので気にしてもしょうがない。(正直に書いていますので、読者の方は笑って許して)
 奈良生まれの奈良育ちの何処かの社長さんも苦笑いしながら話す。
「奈良は交通の便も良くないし、もっとなんかやり方を考えないと駄目だね。奈良に来ることは来るんだけど、宿泊せずに通り過ぎる観光客が多いような気がするんだけどね」と分析なさっておられた。
「奈良も京都みたいになればいいな」などと過激な事を笑顔で話す中学生は、ある意味素直でかわいいとも言える。
 僕が考えるに、感覚的な問題なのだが、
点から点への「旅行」をしたいと考える方たちにとって、奈良は確かにベストな位置にはない。しかし「点と点」を結ぶ「線」のような「旅」を目的に場所を探すとなると、日本国内でも思い当たるような場所は少ないのではないだろうか。奈良の世界遺産を「点」で追っても「奈良」は見えてこない。奈良を観光したことのある友人に、奈良はどうだった?と聞いてみると、「奈良の大仏様はデカいね」もしくは、
「鹿が普通にいるんだね」である。だいたい答えはこの2種類が多い。まさに「点」の旅行であり「点」の思い出しかないのだ。
 このことには現代人の時間の感覚と価値観が大きく影響していると思う。高速移動が常となり、身体だけは移動できたが、心はまだ百キロ彼方の自宅周辺をウロウロしていたりするのだ。よく考えれば普段の生活だってそうだ。ありとあらゆる物が溢れかえり、使い方も解らない電化製品にタコ足配線。その内に自分が誰かもわからなくなり、「癒し系」などと大見出しで書かれた本を購入する羽目になる。短縮・小型化・多機能。何もかもが軽薄短小になり、そんな価値観が神のごとく世間の道の真ん中に鎮座しているのである。
 「そのうち奈良へ行くから案内してくれ」と東京に住む知り合いからよく言われるのだが、大阪に泊まるから半日だけ案内しろ、などという話になってくると、大仏様と鹿の絵葉書を送りつけてやりたくなる。記憶だけならそれで充分なのかもしれない。その半面、本当の意味で奈良に向き合い、奈良を楽しもうとする方々に、この土地は沢山の事を教えてくれることも事実。しかしそれは等身大の時間を費やすということでもある。
 東大寺の伽藍を吹き渡る風に銀河の匂いを感じ、大仏様の唇に大いなる慈悲の心を見ることが出来たなら、奈良は初めて自身の奈良になる。奈良公園の鹿たちがせんべいを食べている傍らの森では、ビニール袋を食べて死んだ鹿が転がっている。それぞれ訪れた土地で、何か大切なものを感じることが、「旅」であり、それは人生そのものなのだ。どうぞ、奈良というこの空間にあなたの時間を費やしてみてください。と、ご提案などしたい。

奈良を愛する人

 毎回よくお手紙を頂く。それを読みながら感じることは、奈良に住む人々がいかに奈良を愛しているかということだ。ナラントは季刊誌なので、お手紙を頂いてからご紹介するまで季節が替わってしまうが、ご了承下さいね。
 奈良市在住のペンネーム桂(かつら)さんが送ってくださった手紙には、その奈良を愛する心がよく見える。
 初夏の興福寺を訪れた時の風景。周囲の桜の木がすっかり葉になってしまった事や、3羽のツバメが低空飛行しながら楽しそうに遊んでいる姿。柵を飛び越えてゆく鹿に心躍らせ、カップルの乗った人力車に幸福の輪を見つける。
「ふりむけば万緑の中鹿おどる」ご自分の住む土地を愛する方の目線とは、実に温かいものだと感じました。お手紙ありがとうございました。
 最後に関係の無い話ですが、十津川温泉に行きたいのですが、誰か詩人をご招待して下さい。などと、振って終了ね。