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1「旅立ちの少女」

フォルスというひとりの男が、
人里離れた森の中の川のそばに住んでいました。
彼は川守でしたが、フォルスにその仕事をくれたご主人は亡くなり、
その家族も家も今は消え失せてしまいました。
それでもフォルスは長い間、森の中に住んでその言いつけを守ってきたのです。

もちろん森の中に住む動物たちとは仲良しです。
長年森に住んでいるお陰で、フォルスは動物たちと話すことが出来るのです。
だから少しも寂しくはありませんでした。

ある朝、いつものようにフォルスが川に水を汲みに行くと、
岸の大きな石の上にひとりの女の子が座っていました。
フォルスはびっくりして声をかけました。

「やあ!お嬢さん。どうやってここに来たんだい?」

「ネズミが案内してくれたのよ!」
見ると女の子の足下に一匹のネズミがいました。

「お前の仕業だな「ピピ」。このいたずら者が」

「かわいい名前ね」

「こいつは人間が嫌いなんだが、どうしてお前を連れて来たりしたのだろう?」

「私が頼んだのよ」

「お前が頼んだ?まあいい。それより家族が心配するぞ」

「私に家族はいないわ」

「ひとりぼっちで暮らしているのか?」

「街の小さな小屋に住んでいるの」

「そうか」

「そうよ。フォルスさん」

「どうして私の名を知っているんだい?」

「ピピが教えてくれたのよ」

「話せるのかい?」

「ええ。話せるわ。それに私、あなたを訪ねてきたのよ」

「何故?」

「夢を見たのよ。“森へ行って大男に会いなさい”って声が聞こえたわ。あなたは私の知りたいことを何でも知っている。だから教えてもらいなさいって」

「それで、何を知りたいんだい?」

「世界のいろんな事よ」

「そうかい。お前、名はなんというんだい?」

「イノス」

「じゃあおいで。イノセント」

フォルスはイノスを肩に乗せ川を渡ると、切り株に腰を下ろして言いました。
「これから毎日ここに来なさい。そうしたら世の中や人間の秘密を教えてあげよう。お前の知りたい世界の話を」

それ以来、イノスは毎日森へ出掛けては、フォルスの話を聴きました。

それから12週間経ったある日のことです。
フォルスはイノスを見つめて言いました。

「お前に“虹色の種”をやろう。お前は国じゅうの街を歩いて、この種を蒔きなさい。その種から生まれた木にはやがて沢山の実がなる。その実は、そこに住む人間の“足りないもの”を満たす実となるのだ。」

「足りないものを満たす実?」

「そうだ。さあ行きなさい」

「フォルス。あなたはどうするの?」

「私は川守だから、いままで通りここで動物たちと暮らすさ」

「もうこの川を渡る人なんていないわ」

「お前がいるじゃないか」

「国じゅうの街を旅したら又、ここに戻ってきてもいい?」

「ああいいとも」

イノスはフォルスに別れを告げて森を出て行きました。
片手にフォルスからもらった種の袋を持って街へ向かいました。
何かが“足りない”人々に出会う旅の始まりです。



2「見えない現実」

あるときイノスが「何も見ない街」を歩いていると
パン屋の前の路上でひとりの少年がいじめられていました。

イノスは近くを歩いている紳士に言いました。
「男の子がいじめられているから、助けてあげてください」

紳士はすました顔で答えました。
「私には何も見えない」

イノスは目をパチパチさせながら、更に聞きました。
「いじめられているのが、何故見えないの? 紳士さん」

紳士はすました顔で答えました。
「ここでは見たくないものは、見なくてよいのです」

イノスは言いました。
「何故? 見なくていいのですか? 紳士さん」

紳士はすまし顔で答えました。
「見れば無いものが現実になるからね。見なければ現実にはならないのだよ」

イノスは言いました。
「現実になるのが怖いの? 紳士さん」

紳士はすまし顔から、すこし不機嫌な顔になって答えました。
「現実とはやっかいなもの。現実には対応しなければならない。そんなことをしているよりも、今晩のおかずの事でも考えていた方が利口なのです」

イノスは少し大きな声で言いました。
「いじめられている男の子はどうするのですか?」

紳士はスーツに付いたほこりを手でパンパン叩いて答えました。
「私には見えない。見えないものは存在しないんだよ」

紳士はすまし顔で通りの角を曲がって行ってしまいました。

仕方がないのでイノスは子ども達の中に割って入りました。
少年達は少し驚いた顔でイノスを見ました。

そこでイノスはいじめっ子たちに質問しました。
「何故、その男の子をいじめるの?」

いじめっ子たちは答えました。
「こいつは“貧乏”なんだ」

「何故、“貧乏”だといじめるの?」

いじめっ子たちは、首をかしげながら答えました。
「わからないね。そんなこと」

イノスは次に、いじめられている男の子に聞きました。
「あなたは何故、いじめられているの?」

いじめられていた男の子も首をかしげながら答えました。
「どうしてなのだろう?」

そこでイノスは言いました。
「“貧乏だからいじめる”というのが理屈なら、それぞれに違う顔というだけでもいじめるということね。」

いじめっ子たちは答えました。
「それぞれに違う顔なのはあたりまえじゃないか」

「それなら、それぞれに貧乏だとか、お金持ちだとかがいることもあたりまえじゃない?」

いじめっ子たちは答えました。
「そりゃそうだ」

「それじゃあ。もういじめる理由はないわ」

いじめっ子の大将が答えました。
「そんなこと、大人は教えてくれなかったよ」

「何も見ないのね。現実になるのが厄介だから」

そして、いじめられていた少年といじめっ子たちは、
まるで何もなかったかのように、無邪気に笑いながら帰っていきました。

気がつくと2階の大きな出窓から大人達の話す声が聞こえてきました。
“教育問題”についての会議の話です。
「この街は平和だ。そしてこども達は健全だ! いじめもなにもない! 何も問題はないのだ。さあ、一杯やろうじゃないか」

イノスは出窓を見つめて言いました。
「見なければ現実にはならない。でも見なくても現実はある」

イノスはこの「何も見ない街」に、「見えないものが見える木」の種を蒔きました。



3「橋の上の少年」

あるときイノスが次の街へ行こうと、
大きな河に架かる橋の上を歩いていたときのことです。
橋の欄干に腰を下ろしてぼんやりと遠くを見つめている少年に出会いました。

「そんなところに座っていたら危ないわよ」
少年はゆっくりと振り返ると、イノスをぼんやりと見つめたまま何も話しませんでした。

「河に落ちたら大変だわ。何故そんなところに座っているのですか?」

「ああ、これからその大変なことになる予定なんだ」

「何の予定?」

「河に飛び込む予定のことさ」

「何故、河に飛び込むの? 悲しいことでもあったの?」

「さっきまでは悲しかったが、今はもう悲しくないよ」

「さっきまでは悲しかったのに、今は悲しくないんでしょう? それじゃあ飛び込まなくてもいいんじゃない?」

「さあね。死ぬ前って、みんなこんな気持ちになるんだね。きっと」

「自殺するのね」

「ああ。だからさっさと橋を渡ってくれよお嬢さん」

「自殺したらみんなが悲しむわ」

「どうだろう。誰も悲しまないさ。僕のことなんて誰も相手にしない。死んだって誰も気にしないよ」

「気にするわよ」

「人間なんて信じないね」

「それじゃあ、賭けをしない?」

「何の賭けだい? 今から河に飛び込むのに、何の賭けをするんだ?」

「この種を信じてみない? この種はあなたの夢が叶う種。芽が出てやがて大きな木になり、花が咲いて実をつけるわ。その実はあなたの夢を叶えてくれる実になるのよ」

「夢なんてないよ」

「いいえ、あるわ。夢をなくしたから死にたくなったんでしょ?」

「どうだろうな」

イノスは少年に種を一粒手渡すと言いました。
「死んでは駄目」

少年は種を受け取るとイノスを見つめたまま黙っていました。

「森に住む大男のフォルスが言ったの、“人生で見失ってしまった光は、人生の中で見つけ出すこと”死の中に光はないの。だからあなたは光を見つけ出すために生きるのよ」

「見つけられそうもないな」

「だから賭けをするのよ。その種は夢の叶う種よ。どんな実がなるか見たくない?」

「それが本当なら、見たいけどね」

「それなら、河に飛び込むのは止めて、家に帰った方がいいわ」

「考えてみるよ」

「それじゃあ、私は次の街へ行くわ。さようなら」

「僕が自殺しないと思うかい?」

「ええ。思うわ」

「何故そう思うんだい?」

「私はあなたを信じているもの。それから、しばらくそこで考えるなら、もうひとつ考えて欲しいのよ」

「なんだい?」

「あなたが河に飛び込んで自殺するのは、あなたに与えられた自由なんかじゃないのよ。あなたが死を選べば、多くの人が死ぬことになる。でも、あなたが生きれば多くの人も生きることになるのよ」

「なぜそうなるんだい?」

「その種は、あなたよ」

イノスは優しく微笑んで振り返ると次の街へと歩き出しました。
少年は欄干から、橋の上に戻ると、イノスの後ろ姿をいつまでも見つめていました。



4「老婆の嘆き」

あるときイノスが「誰も譲らない街」の汽車に乗っていたときのことです。
おばあさんがひとり、汽車に乗って来ました。
しかし、席はいっぱいです。誰もおばあさんに席を譲ってあげる人はいません。

そこでイノスは若い青年に言いました。
「“お年寄りに席を譲りましょう”と書いてあるのですが、何故あなたは席を譲ってあげないの?」

青年は迷惑そうな顔をして答えました。
「このおばあさんが歳をとったのは僕のせいじゃないからね」

イノスは言いました。
「あなたがそう考えるようになったのは、誰のせいなの?」

青年はため息をついて答えました。
「そんなこと、わからないよ」

仕方がないのでイノスはその青年の隣にいた立派な身なりの淑女に言いました。
「“お年寄りに席を譲りましょう”と書いてあるのですが、何故あなたも席を譲ってはげないの?」

淑女は少し鼻をそらして言いました。
「そのようなことは、わたくしとは無関係な世界のことですわ」

イノスは淑女に言いました。
「あなたがそう考えるようになったのは、誰のせいでしょうか?」

淑女はハンカチで口をおさえながら、周りをキョロキョロして、優雅に微笑みながら答えました。
「そのようなことは弁護士にご相談ください」

仕方がないのでイノスは淑女の隣の紳士に言いました。
「“お年寄りに席を譲りましょう”と書いてあるのですが、何故あなたは新聞紙を広げて気がつかないふりをするのですか?」

紳士は新聞を広げたまま、気がつかないふりをしていることがばれていることにも、
気がついていないふりをして何も答えません。そして更に新聞を大きく広げました。

そこでイノスは少し大きな声で紳士に言いました。
「その新聞には何が書いてあるのです?」

紳士はいま気がついたふりをして答えました。
「今日の株価が書いてあるんだよ。何よりも大切なことさ」

そこでイノスは言いました。
「あなたがそう考えるようになった原因を教えてください?」

紳士はまた新聞を広げて読みながら答えました。
「そんな事を考えても、一文にもならないのです」

そこでイノスはおばあさんに言いました。
「何故この方たちはそう考えるようになったのだろう?」

おばあさんは答えました。
「それは、私にも責任があるのです」

「おばあさんに責任が?」

「ええそうよ。大切なものを未来に手渡すことに失敗したからね」

「失敗って、何が失敗なの? おばあさん」

「何が失敗だったのかはわからないけど、とても残念な気分だよ。だからこうして文句も言わずに立っているんだよ、お嬢ちゃん」

「そう」
イノスはおばあさんから目をそらして寂しそうに答えました

おばあさんはイノスを見て優しく言いました。
「褒めるときに褒めないで、怒るときに怒らなかったせいかもしれないね。勇気のない私を許しておくれ」

「いいえおばあさん。おばあさんが謝ることはないわ。そして、多分誰も謝る必要なんかないのかもしれない。この街に住む沢山の人間が言葉ではなく、心で話が出来ますように」

そしてイノスは「大切なものが伝わる木」の種をおばあさんに手渡しました。

「どうぞこの街に、この種を蒔いてください」



5「奪い合う者たち」

今日のイノスは少し疲れていました。
橋の上で少年に出会い、「誰も譲らない街」でも多くの人に出会ったせいでしょうか。
いいえ。そうではありません。
イノスはこの遠い街に来るために、手持ちのお金を全部使い果たしてしまっていて、
そのお陰でお腹が空いてならなかったのです。
それだけではなく、この「奪い合う街」では、
ひっきりなしに相手を罵る声が石畳の道と茶色い家々の壁に響いていたからです。
醜い言葉は心を消耗させます。
そしてガラスの割れる音と誰かと誰かが殴り合う鈍い音も響いています。

やがてイノスは疲れきって、パン屋の前の路地の片隅に座り込んでしまいました。
もう一歩も動けません。
すると、虹色の種の入った袋が、ガサゴソと動き始めました。
そのガサゴソの主はピピでした。
フォルスの森へ案内してくれたあのネズミのピピです。
ピピは袋から出て、イノスの服の袖を上って肩にちょこんと座りました。

「まあ。ピピ。ずつと袋の中に隠れていたのね」
ピピは長いヒゲを揺らして頷きました。

「もうすっかり、お金を使い果たしてしまったわ。お腹もペコペコで一歩も動けない。どうしょうピピ?」
ピピは肩から反対側の袖を通って下りると、自慢げにヒゲを揺らしてイノスを見つめ、
それから後ろ足で立ち上がり歩き始めました。

「あははは。器用なネズミさんね。人間みたいに歩けるんだ」
イノスはその姿を見て少し微笑みました。

ピピはさらにヒゲを揺らしてとんぼ返りをして見せました。
それは見事に空中に輪を描いて回ります。
そんなことをしている間にどんどん街の人が集まってきました。
人々はみんな熱心にピピの芸に見入っています。

「面白いネズミだね。お嬢ちゃんのネズミかい?」

イノスが答えようとした瞬間、太くて不安な声が響きました。
「そいつは、俺のネズミさ。俺のネズミを観て楽しんだ奴は金を払いな! なにしろこの街じゃあ笑うことは何より珍しいんだ」

イノスはその男を見上げて言いました。
「ピピは誰のものでもないわ」

「そんなことあるもんか! どんなものでも誰かのものなんだ。誰のものでもないものなんてありしねぇぜ。お嬢ちゃんのものでもないんなら、そりゃあ、俺のものってこった!」

「あなたのものじゃないわ」

「さあ! 俺のネズミで楽しんだ奴は金を置いていきな! 命なんぞもらったところで何の役にもたちゃしねぇ!」
男が叫ぶと、集まった街の人々はお金を道に投げて去っていきました。

そして男は嬉しそうにお金を拾い集め言いました。
「この金は俺様のもんだ」

その時、一発の銃声が鳴り響きイノスは身をすくめて耳をふさぎました。
石畳に倒れた男の鈍い音がイノスの体に響きました。
目を開けると男はお金をばらまいたまま倒れています。

「その金は俺のもんさ」
見上げるとそこには銃を手にした別の男が立っていました。

「そのお金を持ってさっさと消えてよ」
イノスはガタガタと震えながら小さい声で言いました。

「そのネズミは俺のもんかい? お嬢さん」

「いいえ。誰のものでもないわ」
ピピは震えながらイノスの懐の中に隠れました。

「じゃあ、お嬢ちゃんは誰のものだい?」

「誰のものでもないわ」

「そうかい」
それだけ言うと男は金を拾い集めて歩き去りました。

次の瞬間イノスに駆け寄る足音が響きました。
それはパン屋の主人でした。

「大丈夫かいお嬢ちゃん」
イノスは思わずパン屋の主人に抱きついて大きな声で泣きました。

「随分と不思議なネズミを連れているんだね。一体何処から来たんだい?」

「フォルスの森からよ」

「そりゃあ遠い所からきたんだね。しかし何故こんな街に来たんだね。ここは“奪い合う街”お嬢ちゃんの来る所じゃない」

「この男の人死んでるの?」

「ああ。残念ながら死んでいるよ。でもね、この男も生きているときは沢山の命を奪ったんだ。しかし今回は自分の命が奪われた。やがてこの男の兄弟が殺した相手を殺しに来ることになるだろう」

「その奪い合いはいつ終わるの? おじさん」

「そうさな・・・」
パン屋の主人はそれだけ言うと店の中へ入って行き、沢山のパンを抱えて出てきました。

「さあ。このパンを持って行きなさい。これはわしが君にあげるんだ。全部君のものなんだよ」

「この沢山のパンを私が誰かに分けてあげたら奪い合いはなくなるのかしら」

「奪い合うんじゃなく、与え合うことが大切だと気がつけば、人間はもっと幸せになれるかもしれないね」

「おじさん。奪い合いの中で死んでいったこの男の人を葬ってください。奪い合う世界では全員が犠牲者なのかもしれないから」

「ああ。勿論だよ」

「もし、この男の人の兄弟が、殺した相手を探しに来たらこの種をあげてください」

「ほう。何の種なんだい?」

「この種は、“人を許すことを知る”種よ」

「そうかい。そりゃあいい」

「殺した相手を許せば、死んだこの男の人は死の中で永遠に生き続ける。そうでなければ何も変わらない」

パン屋の主人は遠い目をして答えた。
「許せるのだろうか・・・」

その時イノスの懐から顔を出したピピが長いヒゲを揺らして頷いた。

「おじさん。パンをありがとう」
イノスは泪を服の袖で拭って立ち上がった。“奪い合う街”に一瞬だけ訪れた、静かな夕暮れ時だった。



6「心のゴミ箱」

イノスは峠を越えて、次の街の見下ろせるなだらかな丘の上まで歩いてきました。
すると真っ直ぐに続く一本道の真ん中に大勢の人が集まって、
何やら騒いでいるのが見えるではありませんか。
イノスは少し足早に丘を下り、その人だかりの前までやって来て大きな声で尋ねました。

「いったい何の騒ぎですか?」

すると困り顔の街の若者が答えました。
「ゴミだよ! ゴミ!」

イノスが若者の指さす方向を見ると、そこには家ぐらいある巨大な物体がありました。

「これがゴミなの?」

「そうさ、ゴミだよ。ゴミの塊さ。しかもとんでもなく大きいんだ」

その物体はよく見るとあらゆるものを圧縮したように、
全てが押しつぶされひと塊になったようなゴミでした。

「何故そんなものが道ばたに置いてあるの?」
イノスは不思議そうに尋ねました。

「さあね。しるもんかい!朝になったら突然ここにあったらしいぜ、この道は街のはずれの泉へつながる道だ。これじゃあどうにも通れやしねぇ。困ったもんだ」

「本当だぜ、誰がこんな所に置きやがったんだ!」

イノスは何かを踏んづけてしまったのを感じて足元へ目をやった。
そこにあったのはバナナの皮だった。しかし、それだけではない。
この街の道や野原のあちらこちらには、ゴミがひしめきあっていた。
いままで興奮していて気がつかなかったが、そこいら中からひどい臭いも立ちこめている。

「なんて街かしら。ゴミだらけじゃない」
イノスは顔をしかめて周りの家々を見渡した。
しかしどの家もきちんと塀で囲われ、窓には美しいレースのカーテンが揺れている。
少し庭を覗いてみれば短く刈揃った芝生も青々と茂っている。
しかし、道や野原は、やはりゴミだらけだった。

「なんでこうなったのか知ってるぜ」
みるとそこにはボロボロの服を着た男が立っていた。
その声に人々は振り返り次の瞬間には顔をしかめた。
そしてやがて人々の目には軽蔑の表情が浮かんだ。

男は道につばを吐くと言った。
「そのゴミはなあ、全部お前らのもんさ!そのゴミはなあ、最初は猫ぐらいの大きさで道の真ん中に転がっていたんだ。それを目障りだと思った誰かさんが隣へ転がしたんで、犬ぐれぇの大きさになった。それが気にくわねぇその隣の旦那が、またそのゴミを隣に転がしたんで、どんどんと大きくなっちまったってのが、カラクリさ!」

人々はその男の話を鼻で笑ったが、誰もがその男の顔から目をそらして、
自分は関係ないという表情で空を見ていた。

イノスはその男に尋ねた。
「それで、こんなに大きくなっちゃったのね。そして、とうとう大きくなりすぎて誰も動かせなくなったんだ」

「さっき、全員で動かそうとしたんだが無理だったよ」
ヒゲの生えた大男がつぶやいた。

「私らのせいじゃないよ、お嬢ちゃん」
太った老婆が言い訳をした。

「これじゃあ、泉に水を汲みに行けないよ。毎日羊の世話をしているから、水がないと困るよ。なんとかしてよみんな」
丘で羊飼いをしている少年が弱々しくうなだれた。

人々は顔を見合わせては全員困った表情で黙り込んだ。
街の長老や学者も出てきて、なんとかゴミを動かそうとしたが無駄だった。
もう太陽は西の空へ沈もうとしていた。
そして夕焼けがゴミの街にはとても不釣り合いな美しい色を放っていた。

人々が座り込んで途方に暮れていると、
あのボロボロの服を着た男がズボンの埃を払いながら立ち上がり、
横目でイノスにウインクすると、上着の襟をつまんでもったいぶった口調で言った。

「俺に名案があるんだが!どうせお前らは聴きたくねぇよな。お前らにとっちゃ、俺自体がゴミみてぇなもんだしな!」
イノスは男の顔を見てクスクス笑って、男にウインクをした。
しかし、誰もそれを見ていなかった。

街の長老が口を開いた。
「よい考えがあるのなら、教えてはくれまいか」

男は更にもったいをつけて言った。
「長老がそう言うんなら仕方ねぇ。なに、簡単なことさ。ゴミをバラバラにしてそれぞれ持って帰りゃあいい」

真珠の首飾りを付けた女が言った。
「持って帰るって、家にかい?」

「ああそうさ。家にさ。元は全部それぞれの家から出たゴミなんだから、元にもどすだけさ!」

人々は全員顔を見合わせた。男の言う通りだったからだ。

ヒゲの生えた大男が言った。
「それがいい」

街の人々は家々から道具を持ち出して、ゴミを小分けにしはじめた。
とうに陽は沈み夜も遅くなった頃、ようやくゴミはバラバラになった。
それぞれが持ち寄ったゴミ箱や袋にゴミは分けられ、
人々はそれを持ちながら帰っていった。

それを見ていた男に、街の長老が声を掛けてきた。

「よく言ってくれた。これからは道のゴミも野原のゴミも全部かたづけるようにしよう。ありがとう」

「なに、おれはゴミのような生活をしてるんでねぇ、ゴミの気持ちがわかるのさ」
男は大声で笑った。それにつられてイノスも大声で笑った。

「住むところも、仕事もないのなら街の役場で働かないかね?」

「働くって、誰が?」

「お前さんさ」

男は上着の襟をつまんでもったいぶって言った。
「ああ、いいとも」

それから長老はイノスを優しく抱いて小さな声で言った。
「本当は君が教えてくれたんだろう?」

「いいえ。私にはゴミの気持ちなんか分からないもの、そんなはずないわ」
イノスは笑顔で答えた。

ボロボロの服を着た男はイノスを見てまたウインクをした。

「さあ、今夜はみんなでわしの家に泊まるがいい。温かいスープをばあさんが用意しているじゃろう」

イノスは大きなゴミのあった場所に駆け寄り、道の片隅に種を植えた。
それは、「たすけあう心が生まれる」木の種だった。



7「真実の愛」

「ピピ! 出ておいで。とても気持ちのいい所よ」
ピピはゴソゴソと虹色の種の入った袋から顔を出しました。
少し眩しそうな顔をして袋から出ると紐をつたって背中を登り、
イノスの肩にちょこんと座りました。
ゆったりと曲がりくねった川沿いの道には美しいポプラの木が並んでいます。
とてもよく晴れた気持ちのよい日でした。

前を見るとひとりの男がベンチにうなだれながら座っていました。
こんな気持ちのよい場所でうなだれているとは、何か理由がありそうです。

イノスはその男に声を掛けました。
「こんにちは」

男は浮かない表情をして顔をあげました。
「ああ。なんだい?」

「ここを通りかかったら、浮かない顔のあなたを見かけました。そんなにうなだれてどうしたのです?」

「どうかしたかと尋ねられれば、どうかしたともいえるし、どうもしないともいえるけど、どうもうまくいかないことがあってね」

「隣に座ってもいい?」

「いいよ」
イノスは男の隣に腰掛けました。

「理由を話してくれる?」

「話してもいいけど、誰かがどうにか出来るような悩みじゃないんだ。僕の恋人の話さ」

「それは、ますます聞きたいわ。恋人がどうかしたの?」

男は口を固く結んで、ポケットから小さな箱を出しました。
そしてそれを開けてイノスの目の前に差し出しました。
「まあ、綺麗な指輪。これはダイヤモンドね。ああ、そうか。これを恋人に渡して結婚を申し込む。そうよね」

男は箱の蓋をパタンと閉めていった。
「もうこれが3個目なんだよ」

「え? 3個もあげるの?」

「いや、そうじゃない。受け取ってくれないんだよ」

「それは何故?」

「さあ、それが分からないから悩んでいるんだ」

「そうなんだ」

「最初はアメジスト、2回目はサファイヤ、3回目はダイヤモンド。どれを買ってきても彼女は受け取らない。そして今日が4度目なんだけど、ダイヤ以上の宝石を見つけられなかったんだよ」

「これから彼女がここに来るのね?」

「そうだよ。じつはもう帰りたい気分なんだ」

「あなたはとてもお金持ちなのね」

「さあ、どうかな。まあ、そうなんだろうね。いままで手に入らなかったものなどなかったし、こんなに悩むのも初めてなんだ」

ピピも長いヒゲを揺らしながら男の話を聞いていました。
そしてピピはイノスの肩から男の膝に飛び降りました。

「あはは。かわいいネズミだね。君のネズミかい?」

「いいえ。ピピは誰のものでもないの。友達よ」

「そうか。友達か」
男がピピの頭を撫でると、ピピは男の腕にスルスルと登り、
ダイヤの入った箱を後ろ足で蹴飛ばしました。

「駄目よ!ピピ!」
箱は地面に落ちた拍子に蓋が開き、中からダイヤの指輪が転げ出てしまいました。

「いいんだよ」
男は寂しそうに転がったダイヤの指輪を見つめていいました。
「そうだ、君の名前を聞いていなかったね」

「イノスよ。そしてこれがネズミのピピよ」

「そうか。それじゃあイノス。ひとつ聞きたいことがあるんだが、君が結婚を申し込まれるとしたら、何が欲しい?」
イノスはしばらく黙って考えました。男はイノスを見つめたままその答えを待っています。

「そうね。何も贈り物はいらないわ」

「いらない?」

「ええ。大好きな人だけがいればいい」
男はポプラ並木の向こうにみえる静かな川の流れを見つめて、大きく深呼吸をしました。そして3度深呼吸をすると男の目からは大きな涙がこぼれ落ちました。

「僕は何か大事なものを忘れていたんだ」

「それが何かわかったのね?」

「ああ。わかったよ。ピピが教えてくれたんだ」

「ピピが?」

「ああ。君の友達がね」

イノスはピピを肩に乗せて立ち上がるといいました。
「これをどうぞ。この種を恋人と二人で育ててください」

「彼女は結婚してくれないよ」

「いいえ。今度は絶対に大丈夫。今日こそ彼女は宝石ではなく見えない何かを受け取ってくれるはずよ」

「見えない何かを? ああ、そうか。そうだね」
男は爽やかな表情で笑った。
ピピは肩の上で長いヒゲを大きく揺らして頷いていた。

「さようなら」

「ありがとうイノス。それに僕の友達でもあるピピ!」

イノスは大きく手を振ると、またポプラ並木の美しい川沿いの道を歩き出しました。
しばらく歩いて振り返ると、ひとつの影は二つとなって、やがてひとつになるのが見えました。

イノスが男に渡したのは「真実の愛」が実る木の種でした。



8「さすらう民」

イノスは川沿いの道を下り、海と大きな港のある街にたどり着きました。
街の通りには露店が並び行商人が賑やかに商売をしています。
イノスはその人混みを通り抜けて長い坂道を上っていくと、
やがて大きな記念碑のある広場にたどりつきました。
その広場には“小さなサーカス小屋”と書かれたみすぼらしい看板と、
オンボロのテントが張られていました。
しかし、今日は日曜日というのに、外の受付には誰もいません。

イノスはそっとテントの中をのぞき込んで声を掛けてみました。
「すみません。今日はお休みですか?」

すると薄暗いテントの中から、おじいさんらしき声が聞こえます。
「ああ、悪いね、休みなんだよ」

「あら、今日は日曜日ですよ。街にも人が沢山出ています。こんな日にはみんなサーカスが見たいんじゃないかしら」

「ああ、確かにそうなんだがね・・・。まあ、中にお入りお嬢ちゃん」
イノスは薄暗いテントの中に足を踏み入れました。

テントの中はやはり薄暗く、所々に空いた穴から差し込む柔らかな太陽の日差しが光の帯のように交差しているだけでした。
その光線に照らされた煙草の煙の先には老人が座っていました。
そしてその右隣には白髪の老婆が座り、
その老婆の更に右隣には水色の衣装を着た少女が座っています。
老人の左隣には刺繍のついたチョッキをきた青年がうなだれて座っています。
その更に左隣には青年のお嫁さんらしき美しい顔立ちの女性が、
ほころんだ長いスカートをはいて座っていました。

「こんにちは」
サーカス小屋の家族たちは疲れていました。

「ようこそ、お嬢ちゃん」
青年が顔を上げました。

「どうしたのですか?その顔のアザは」
イノスは青年の顔を見て驚きました。
青年の顔はアザだらけで、鼻から頬にかけては傷がありました。

「ああ、この顔かい。街の連中にやられたんだよ。いつものことだから気にしないでくれ」

「殴られたのね?」

「そうさ」

「なぜ、そんなひどいことをされたのです?」

そのとき女が言いました。
「私たちは“さすらう民”なのです。私たちはどこにも居場所がありません。だから、こうして旅をしながら芸を見せては国中を歩き回るのですよ」

「そうですか。私も“さすらう民”のことを誰かから聞いて知っています。あなたたちがそうなのですね。それと、殴られたことと何か関係があるのですか?」

老人は低い声で言いました。
「わしらは、人間じゃないらしい。街の人からすれば、どこにも居場所がなく、自分の土地さえ持てないワシらのような者は、人間じゃないらしいのさ」

「芸をする動物もみんな死んじゃったの」
少女は黒い大きな瞳で答えました。
その隣に座っていた老婆は、少女の背中を優しくさすりながら、何も答えませんでした。

女が言いました。
「この人は街でサーカス小屋の宣伝をしているときに殴られたのよ。寄って集ってひどく殴られた。芸をする動物もいないサーカスなんて詐欺だというのよ」

青年が言った。
「何処かへ行け!と怒鳴られたよ。その何処かが、俺たちにはないんだ。これからテントをたたんで次の街へ移動するところさ。そして次の街では次の街へ行け!と、また怒鳴られ殴られるだろう。それもこれも俺たちが“さすらう民”だからなんだよ、お嬢ちゃん」

イノスは黙ってみんなを見つめて考えていました。
その時、虹色の種の袋からピピが出てきました。ピピは袋から出ると地面におりました。

「ほう。ネズミかい」
老人は優しい目でピピを見ました。

ピピは長いヒゲを揺らしながら座の真ん中まで進み、
みんなの前でお得意の宙返りをしてみせました。

「凄いじゃないネズミさん!」
少女は黒い大きな瞳をますます大きくして言いました。

ピピはゆっくりと少女の前まで進んで、少女の膝の上にちょこんと座り、
長いヒゲを揺らしながら少女の顔を見上げました。

少女は微笑みながらピピの背中を撫でました。

「ピピよ。これは私の友達。ネズミのピピ」

白髪の老婆がはじめて口を開きました。
「ほほう。これはこれは賢いネズミだ。この子の笑った顔を久しぶりに見たよ。ありがとう。ピピ」
老婆もピピの背中を撫でてあげました。

イノスは言いました。
「家族で力を合わせればなんとかなります」
その瞬間少女の顔から笑みがきえました。

「私は家族じゃないのよ」

老人は少し大きな声で言いました。
「お前はまたそんなことを言い出すのかい。そんな風に言ってはならん。お前は家族じゃないか」

「私、小さい頃にサーカス小屋の前に捨てられていたのよ。だから、私だけほんの少し肌の色がみんなと違うの」

白髪の老婆はまた少女の背中を優しくさすりながら小さな声で語りかけていました。
「そんなことはないよ。私の娘」
少女は老婆に背中をさすられながら、大きな泪をこぼしました。

イノスは少女に言いました。
「私も同じよ。私は教会で育ったの。今はフォルスの森の近くの街にひとりで暮らしているわ。でも私は寂しくなんかない。世界中の人が私の家族だもの。肌の色が違っても、血が繋がっていなくても人は家族を持つことが出来る。そうじゃない?」

少女は黒い大きな瞳でイノスを見つめて、少し微笑みました。

イノスはみんなに言いました。
「私にはどうすることも出来ません。どうぞ、勇気を持って旅を続けてください。そしてこの種を行く先々の街に蒔いて下さい」
その種は「差別がなくなる」木の種でした。

青年が言いました。
「ありがとうイノス。この種を町中に蒔くよ。さあ、テントをたたんで出発しよう」

「それじゃあ、私も次の街へ出発します。さあ、おいでピピ」
しかし、ピピは少女の膝の上から降りようとしません。

「どうしたの?ピピ」
ピピは少女の膝の上で宙返りを1回すると、
長いヒゲを揺らしながらイノスを見つめました。
その時イノスは全てを察したように、みんなに言いました。
「みんな!今日からこのサーカス小屋には家族が増えたわよ」

老人が静かに言いました。
「いいのかいイノス。ピピはお前さんのものだろう?」

イノスは明るく答えました。
「いいえ。ピピは誰のものでもないわ。ピピをみればきっと街の人にも優しい気持ちが戻ってくる。ピピには不思議な力があるのよ。きっと全てがうまくいく」

その時、“さすらう民”の顔に優しい笑みがこぼれた。
穴の空いたテントの天井から差し込む光が、
まるで闇を照らす希望のように彼らに降り注いでいるようにみえた。

「さようならピピ。さようなら“勇気ある民“。また何処かで会うときには、あなたたちはきっとそう呼ばれることでしょう。

サーカス小屋の家族に見送られて、イノスはピピと別れた。
きっと、また会える。イノスの顔には清々しい笑顔が溢れていた。



9「戦争の準備」

小さなサーカス小屋で、さすらう民とネズミのピピに別れを告げたイノスは、
次の街へと向かっていました。
目の前の長くて真っ直ぐな道は何処までも続いています。
すると、不意に後ろから馬車の迫ってくる音が聞こえたので、
イノスは後ろを振り返りました。
イノスは道の端っこに立ってその馬車をやり過ごそうとしましたが、
馬車はイノスの目の前を通り過ぎたところで何故か止まりました。

すると馭者の老人がイノスに言いました。
「お嬢さん乗らないかい」

「乗らないわ。そんなお金ないもの」

馭者の老人は日に焼けたしわだらけの顔に笑みを浮かべて言いました。
「なあに、気にすることはない。おいらはついいましがた、お国のえらい役人様をお城までお送りした帰りなのさ。どうせ街へ帰るんだから乗って行きなよ、お嬢ちゃん」

「そうね。ありがたいけど歩いていくわ。のんびり歩くのが好きなのよ」

「へぇ。のんびりもいいが、国が大変な事になりかけているんだ。忠告するが、のんびり旅を楽しんでいる場合じゃないってことさ」

「大変なことって何?」

「知らんのかい? 先を急ぐんで説明している暇はねえんだ。早く乗んなよ、お嬢ちゃん。走りながら話そうじゃないか」

イノスは何か悪い予感を感じていましたが、
馭者の老人のいうように馬車に乗り込みました。
「古い馬車だが、最近はそのことで大忙しさ。それと郵便配達人もね。嬉しいんだか、悲しいんだか、分からんがね」

「おじいさん大変な事ってなに?」

「本当に知らない様子だね。戦争さ。戦争が起きるかも知れないんだ。そうなったらおいらも死ぬね。多分」

「えっ!どういうことなのか説明してくれる」

「この国の王様が隣の国に戦争を仕掛けるって話さ」

「王様が? なぜ、そんなことを」

「王様はまだ少年なんだ」

「私が知っている王様は少年じゃない。白くて長いおひげをはやした立派な方よ。それが少年ってどういうことなの」

「ああ、その王様は一昨日に死んだんだよ。そんなことも知らないのかい。王様の後継ぎは王子様ただひとり。王様になるには若すぎるんだが仕方がないのさ。しかし、戴冠式もお城の中でひっそりとやったらしいから、周りの大臣どもが何か悪だくみを考えたんだろうが、よりによって戦争とは歓迎できないね」

「若い王様のご命令じゃないってこと?」

馭者の老人は我に返り咳払いをして言った。
「ウォホン! まあ、それは知らんがね。単なる噂だよ。ワシがそんなことを言ったなんて、言わないでおくれよ、お嬢ちゃん」

「戦争になりそうなのは本当なのね」

「ああ、もちろん本当さ」

遠くに次の街がみえてきた頃、馭者の老人は急に無口になった。
やがて馬車は街の役所の前に到着した。

「幸運を祈るよ、お嬢ちゃん」
馭者の老人はつぎはぎだらけの帽子を振ってイノスに微笑みかけた。

「あなたもお元気で。乗せてくれてありがとう!」
馬車は何処へ行くともなく、通りの角を曲がって走り去って行った。
役所の前には男たちが、なにやら長い列をつくっていた。
その中には少年たちの顔も見える。

その中のひとりにイノスは話しかけてみた。
「みんな、何をしているのですか?」
ひげ面の男は張り紙を指さしたが、何も言わなかった。

そこには“兵士に志願する者には金貨10枚を与える。
待遇は3度の食事付きで、酒もふるまわれる。“と、書いてあった。

「冗談じゃないわ。何が金貨10枚よ! 何が食事とお酒よ! みんな、戦争に行っては駄目! みんな殺されるわ!」
その時、警官が数人イノスを取り囲んだ。

「お前! 何を言っているのか分かっているのか! 黙れ!」

しかし、イノスは続けた。
「戦争に行っては駄目! フォルスが言っていたわ。戦争には勝者も敗者もない。失うだけで何も得られないって! だから、戦争に行っては駄目! みんな! 私の話を・・・」

その瞬間目の前が真っ暗になって、イノスは地面に倒れた。
それ以降の記憶がまったくなかった。

気がつくとイノスは何処かの家のベッドの上に寝ていた。
頭の後ろが痛くて、少し吐き気がした。

「やれやれ、大丈夫かい? お嬢ちゃん」

ぼんやりとした目でイノスは言った。
「ここは、どこなの」

「何も心配いらないよ。ここは教会さ。お前が警官に殴られて倒れた時、たまたま私が通りかかった。いくら警官だろうとて、シスターを殴るわけにはいかないからね」

「助けてくれたのね、ありがとうシスター」

「シスターマロン。私の名前はシスターマロンだよ」

「私はイノス」

「おやまあ、イノセント。いい名だね」

「戦争が始まるのをやめさせなくては」

「ああ、もちろんそうだね。イノス」

「お願いです、シスターマロン。戦争を止める方法を教えてください。神様にお祈りすれば戦争を止められますか?」

シスターマロンは静かに言った。
「ああ、もちろんさ。でも、それだけじゃあ駄目なんだよイノス。張り紙を見たかい?」

「見ました」

「なんて書いてあったか覚えているかい。殴られる前に読んだだろう?」

「確か・・・“兵士に志願する者には金貨10枚を与える。
待遇は3度の食事付きで、酒もふるまわれる。“と書いてあったと思います。

「ああ、確かに書いてあったね。それ以外のことは書いてなかったかい?」

「覚えていません」

「そうかい。その横にはこんなふうに書いてあったはずだよ。“隣の国が我が国に災いをもたらす。災いをもたらす悪の国を滅ぼすことが正義であり、国中の全員がそれに賛成している”とね。」

「そうなんですか?」

「さて、どうだろうか。でもね、よく考えてごらんイノス。世の中には神様が決めた教えがあるんだよ。人を殺してはいけない。それは誰でも知っているだろう? 人を殺すための理由を探してはならないんだよ。そんなことは考えてもいけない。“災い”という言葉は人間の恐怖をあおって、頭の中に悪魔を創ってしまうんだよ。恐怖に恐怖する事は疑いを生む。疑いは悪魔によって想像たくましく巨大化してしまう。人間は信じ合うために生まれてきたのになんて悲しいことだろうね。“正義”というのも同じなんだよ。正義という旗の下で罪を犯す理由を探してはならない。正義に理屈なんかないのさ。正義に理由をつけた罪深い行いがなんと多いことだろうか。最後に戦争を止めるには欠かせない事を教えてあげよう。“全員”という言葉が出てくるね。全員とは“みんな”と、いうことだ。でも、本当は戦争がしたいのは、何処かの“誰かさん”なのさ。もちろん、多数決で決めるのは悪い事じゃないが、全員が間違っている。なんて事もないとは言えないだろう? 何かあったときにそれぞれが真剣に考えてこそ、正義は生まれるんだよ。あの張り紙に書いてあることを信じた人たちは、何処にもいない敵に怒り、何処にもない正義を理屈に、人を殺す理由を見いだしてしまったんだ。悲しいことだよ」

イノスはシスターマロンの話を黙って聞いていました。
「私、お城に行きます」

「行っておいで、イノセント」

「正しいことをするのに理由はいらない。そうでしょう? シスターマロン」

「その通りだよ。イノセント。私はここでお前の無事を祈ることとしよう。戦争を止める事が出来るようにお祈りするよ。それから私もお城に行こう。先に行っておくれイノス」

イノスは痛む頭を押さえながら、よろよろとベッドから立ち上がりました。
「おや。イノスその胸のペンダントはどうしたんだい?」

「これは私が生まれたときから身につけていた唯一の宝物です。実は私は教会で育てられたの、お父さんもお母さんもいない。今はひとりぼっちで旅をしているのよ。森の大男フォルスとネズミのピピが親友。でも世界中が家族と思えば寂しくなんかないわ」

「そうかい、イノス。神様が私とお前を引き合わせてくれたんだね。“万物の絆を結ぶ聖なる少女”さあ、お城へ行きなさい」
イノスはシスターマロンの目をしっかりと見つめると、黙って頷いて教会を出た。

街中があわただしく、誰もが不安そうな面持ちで足早に歩いている。
イノスが歩き出そうとしたとき、通りの向こう側にある食堂が偶然目に止まった。
よく見るとその傍らには馬車が繋いである。
「あ! あのおじいさんだわ!」

イノスは道を横切り、ドアを開けて食堂に入った。
そこではイノスをこの街まで乗せてくれた馭者の老人が食事をしていた。
イノスは老人に駆け寄り声を掛けた。
「おじいさん! 頼みがあるの!」

「やあ。お嬢ちゃん! 食事の最中なんだが、その頼みってやつを聞こうじゃないか」

「おねがい! 今から手紙を書くからそれを届けて欲しいのよ」

「何だよ。それは郵便配達人の仕事じゃないか」

「それじゃあ、間に合わないの、お願いよ」

馭者の老人は日に焼けた皺だらけの顔に笑みを浮かべて言いました。
「大好きなお嬢ちゃんのためにひと肌脱ごうじゃないか!」

「ありがとう! おじいさん!」

イノスは馭者の老人に抱きついて頬にキスをした。老人は声高らかに言った。
「“酒をもう一杯くれねえか! それから、かわいいこのお嬢ちゃんの手伝いと行こう!」

イノスは何枚も手紙を書いた。
そして書き終えると馭者の老人にそれを渡し、しっかりと目を見て頷いた。
それから馭者の老人は青年のように目を輝かせ、
丘の向こうへ馬車と共に砂煙を上げて消えて行った。
イノスは食堂を出ると大きな深呼吸をひとつして空を見上げ、次に遠い彼方を見つめた。相変わらず、街の役所には男たちが列んでいたが、それでもイノスは振り返らずに、
お城のある街へと歩き出した。



10「王のいない城」

山を越え河を渡り、イノスは歩き続けました。
そしてようやくお城のある街へとたどり着きました。
お城へ向かう石の階段を志願兵たちが長い隊列をつくって歩いています。
その顔は戦争へ行く者たちの悲壮な面持ちではなく、
まるで芝居でも観に行くようなのんびりとした顔にみえました。
その隊列が長くて茶色い城壁に開いた大きな門の中に吸い込まれるのに紛れて、
イノスは内部へ潜り込みました。
城壁の内側は広大な広場になっていて、遠くには立派なお城が見えます。
兵士たちはあちらこちらでそれぞれに戦争の準備をしています。

「おい!そこで何をしている!」
門番の声にイノスは振り返りました。

「王様に会いたいの」

「馬鹿なことを言うな!王様は誰にも会わん!とっとと帰るんだお嬢ちゃん」

「そうはいかないわ。王様に合わせて頂戴!」

門番が笛を吹くとたちまち衛兵たちが走り寄ってきて、
銃を抱えた男たちにイノスは取り囲まれてしまいました。
衛兵の隊長らしき坊主頭の男がイノスを見つめて言いました。
「こいつを牢へ」

イノスは隊長の顔を黙って見つめましたが、泣くことも叫ぶこともしませんでした。
そして男たちに取り囲まれたまま地下室の牢へと連れて行かれてしまいました。
地下室の牢は湿っていてカビの臭いがしました。
ロウソク一本しかない暗がりでイノスはペンダントを握りしめ祈りました。
「どうか、この国をお救い下さい」

どれくらい時間が過ぎたのか、あれから何日過ぎたのか、イノスには分かりませんでした。こうしている間にも戦争が始まってしまうかも知れないのです。
しかしイノスは無力でした。ただ祈ることしかできない自分を悲しく思いました。

しかしその時、牢の中に沢山の足音が聞こえてきました。
ざわめきと話し声はだんだんとイノスのいる牢へと近づいてきます。
イノスは鉄の扉にしがみついて暗い廊下を見つめました。
沢山のロウソクの明かりで牢は明るくなり、沢山の衛兵を連れた隊長が現れました。

「ここを出るんだ、お嬢さん」

「私をどうする気なの」
その声に導かれるように隊長の傍らから誰かが前に歩み出てきました。

「出ておいでイノス。何も心配はいらないよ」
その声はシスターマロンでした。

「シスターマロン!私を助けに来てくれたのね」
イノスは鍵の開いた鉄の扉から飛び出すとシスターマロンに抱きつきました。

「多分こんな事になるだろうと、急いでここに来たんだよ。辛い思いをさせたね。許しておくれ」

イノスはシスターマロンに肩を抱かれながら、暗い地下室から外に出ました。
空は良く晴れ上がり日差しが眩しいくらいです。坊主頭の隊長が言いました。
「イノス、お前が抱かれているそのお方を誰か知っているか?この国の教会で最高の位を授けられたシスターであるぞ」

「そうだったのね。シスターマロン!」

「ああ。でもね、そんなことはどうでもいい話なんだよイノス。それはね、人が決めたことなんだ。神様から見ればみんな平等なんだよ。お前になら分かるだろう?」
イノスはシスターマロンの顔をみて小さく頷きました。

不意に場内にラッパの音が響き渡り、
宮殿から金色の甲冑を身にまとった衛兵を従えた立派な身なりの男が出てきました。
その男は身なりこそ金色に着飾ってはいるものの、その目には闇の冷たさが漂っています。その男は大臣でした。そして更に大臣を取り囲むように、
優雅な衣装を身にまとったいやらしい目つきの男たちがぞろぞろと出てきました。
するともう一方の宮殿の扉からも大臣が出てきました。
銀色の色あせた服を着て、甲冑も着ていない衛兵を連れていました。
そして、その男を取り囲む従者は一人もいませんでしたが、
その目には深い悲しみと慈しみをたたえていました。

ラッパが盛大に鳴り響いた。
「金の大臣のおなりである」
その声と同時にそこにいた全ての人がひれ伏しました。
しかし、イノスとシスターマロンはただ黙って大臣を見つめていました。

もう一度ラッパが力なく鳴らされた。
「銀の大臣もおなりである」
もう一人の大臣が金の大臣の3歩下がった場所に歩み出ました。
しかし、そこにいた誰もひれ伏すことはありませんでした。

金の大臣は厳かに口を開きました。
「これは、これは、シスターマロン。お久しぶりにお顔を拝見したが、この度は何のご用だね。田舎の教会に隠居なされたと聞いたが、まだまだご健在の様子。何よりだ」

「金の大臣になられて、さぞかしご満足でしょうね。私はあなたが衛兵だった頃から知っていますから」

金の大臣は咳払いをひとつして眉間にしわを寄せた。
「それで、ご用件は何かな?シスター」

「王様にお目にかかりたいのです」

「ほほう。何を言い出すかと思えば、そんな大それた事を。あきれますぞ、シスター」

「何卒、お目通りを願いたいのです」

「それは出来ん。この国の法律はご存じであろう。王が望まなければ誰も王に会うことは出来ないのだ」

その時、城門で門番が笛を大きく吹いた。ひとりの門番が金の大臣の前に歩み出て言った。
「城門の前に沢山の民が集まり中に入ろうとしています。城壁の外は人であふれかえり、中に入れろと騒いでおるのです!」

それを聞いた金の大臣の従者が、そっと耳打ちする仕草をみせた。
“これから戦争という時に、厄介なことは出来ません。民には戦争に行ってもらわねばならない。沢山仕事をさせなくてはならないので、ここは民を場内へ入れてはどうでしょう”金の大臣は従者に頷くと言った。

「そうか、入れなさい!」

7つある全ての城門が開放され、民が場内へと入ってきた。
シスターマロンはイノスに言った。
「あなたが呼んだのね」

イノスは静かに、そして何かを決心したように頷いた。



11「橋の上の少年との再会」

民が大勢場内に入ってくる。その先頭には森の大男フォルスがいた。
イノスはフォルスを見つけると大きな声で手を振った。
フォルスは両手を振ってイノスに答えた。
志願兵たちも全員、兵舎から外に出てきて不思議そうに宮殿の様子を見守っている。

イノスは大きな声で金の大臣に言った。
「王様に会わせてください!」

金の大臣はにやりと笑って声高らかに言った。
「この者は私に、王様に会わせろと無理難題を申す! 王様が望まぬ限り会わせるわけにはいかないのだ! それが新しい法律なのだが、困ったものだ。民の前で法に背くことは出来ない!」

民は口々に“王様にお目通りを”と声をあげた。
しかし、それが法だと言われれば黙るしかなかった。

金の大臣は続けて言った。
「ここで民に残念な報告をしなければならない。王様は精神のご病気なのだ!」

大勢の民にどよめきが起きた。

「その原因は隣の国だ! 隣の国が我が国に攻撃を仕掛けようとしておる! ここで正義のために戦わなければ、お前たちも全員死に絶えるのだ! この国も滅ぶであろう! お前たちは知らないであろうが、いまの王様は王子であった頃からこの国の行く末に深く悩んでおられた。そしてある日突然に行方知れずになられたのだ。衛兵がやっとの事で見つけ出し、今は宮殿で静養しておられる。先の王様も隣の国の陰謀に悩まれ、衰弱してお亡くなりになられたのだ。新しく王になられた王子様を、我々の手で守るためにはもはや戦争しかないのだ!」

シスターマロンは金の大臣を見据えていった。
「それは本当の事だろうね。誰も王様に会えないのじゃ戦争を望んでいらっしゃるかどうか分からない。そして、その隣の国の陰謀とやらも本当かどうか分からないね。さあ、沢山の民が真実を知りたがっているのだから、王様にお目通りを!」

「法に背けとは、シスターの言葉とも思えんな!」

「そうかい。それなら“守護の家族”の者だったらどうだね?」

その言葉を聞いた金の大臣の顔から血の気が引いて行くのが、
遠くからでも見て取れるほどであった。
金の大臣だけではなく、その従者も衛兵たちも動揺した。

金の大臣は悪夢を振り払うように更に声を上げた。
「“守護の家族”だと? 代々この国の王族を導き守護してきたその家系は死に絶えたではないか! 森の中にはその家の残骸もみあたらん。頭のおかしい大男が川守をしているそうだがね。一体何を言い出すんだシスターマロンともあろう御方が」

シスターマロンは、
イノスの手を引いて真っ赤な絨毯の敷いてある大理石の階段を上り始めた。
衛兵が2人を取り押さえようとしたとき、銀の大臣が叫んだ。

「その2人に触れてはならん!」

衛兵はその声に退いた。
金の大臣は銀の大臣をにらみつけたが、民の大勢見守る中では寛容な振りをしていた。

シスターマロンは金の大臣の前に立って言った。
「金の大臣よ。この娘が誰か知っているかい?」

「知るわけがない」

「それじゃあ、この娘のペンダントの紋章を知っているかい?」
金の大臣はイノスの胸のペンダントを見た。

「どこから、こんな物を持ってきた!」
金の大臣はわなわなと震えだした。

イノスは訳も分からず動揺した声で言った。
「“守護の家族”って誰のこと・・・?」

それを見ていた銀の大臣がイノスとシスターマロンの前に歩み出てひざまずいた。
そして立ち上がり民の前に出ると言った。

「“守護の家族”が復活なされた! この少女こそが、私が待ち続けた大地の絆を結ぶ者である!」

大勢の民と志願兵たちから大歓声と拍手が巻き起こった。

シスターマロンは金の大臣に向かって強く言った。
「さあ、王様にお目通りを!」

金の大臣はその場に座り込んでしまい、
従者はそわそわと騒ぎはじめた。金の甲冑を着た衛兵はみんな黙って壁に列んだ。

「王様はここにいるわ!」

遠くから少女の声が聞こえた。
さっきまでイノスが閉じこめられていた地下室の牢の入り口から、
水色の服を着た少女に手を引かれた少年が出てきた。
その後ろには刺繍のついたチョッキを着た青年が、2人を守るように付き添っていた。
大勢の民の間を抜けて3人は宮殿の前に出てきた。
そして真っ赤な絨毯の敷かれてある大理石の階段を上り始めた。
イノスはその顔をみて思い出した。
“小さなサーカス小屋”で出会ったあの少女と青年です。
そしてボロボロの服を着た少年がしっかりとした足取りで階段を上がってきます。
その少年が王の玉座の前に立ったときそこにいた全ての者がひれ伏しました。
まだ少年の王様は、玉座に腰を掛け静かに口を開きました。

「僕は地下牢に幽閉されていた。だれが命令したのか?」

「痛い!」
突然金の大臣が叫び声を上げたので、全員が振り返りました。

「まあ! ピピ! おいで!」
そこにいたのはネズミのピピでした。
ピピは真っ赤な絨毯の上を走ってイノスの肩までするするっと上ると、ちょこんと座ってイノスの頬をなめました。

「悪い奴を噛んだのね。会いたかったわピピ!」

「神に変わって罰を与えてくれたんだね。賢いネズミだね。イノスの親友のピピとはお前さんのことだね」
シスターマロンはピピの頭を撫でてあげました。
ピピは長いヒゲを揺らしながらお得意の宙返りをしてみせました。

王様は言いました。
「そのネズミが僕を見つけてくれたんだよ。そしてサーカス小屋の2人が鍵を開けてくれたんだ。そうでなければ僕はあのまま殺されてしまっていたかも知れない。ありがとうみんな」

イノスは大きく深呼吸をすると王様に言いました。
「王様。戦争などおやめ下さい。戦争には勝者も敗者もいません。みんなが悲しい思いをするだけなのです」

「僕はそんなことになっていることすら知らなかった。戦争など絶対にしてはいけない」

「全ては金の大臣がしくんだ事なのでは? ご覧下さいあの優雅な衣装をまとった従者たちを。それに引き替え銀の大臣はどうでしょう。民にも劣る古い衣装を着て民と苦難を共にしているではありませんか。衛兵は武器も持たず誰の命も奪うことはない」

「改めて見ればそのようだ。それにしても君は誰だい?」

その時シスターマロンが口を挟んだ。
「“守護の家族”の者です。“守護の家族”は森の中に住み、代々この国の王族を導き守護してきた者です。しかし数十年前に誰かの陰謀によって全員が殺されてしまいました。それ以来、国は乱れ、民の心も荒んでしまいみんなが大切な事を忘れてしまったのです。“守護の家族”が死に絶えた後、私はある噂を耳に致しました。陰謀を知った“守護の家族”は、王様をお守りする血が絶えてしまうことを恐れて、生まれたばかりの女の子を密かに街の教会へ預けたという話です。私はその女の子を必死で探しましたが見つかりませんでした。命を守るためにその子は教会の地下の部屋で育てられました。そしてそのような運命を背負い生まれてきたことは本人にさえ知らされませんでした。しかしその血はいつか覚醒し、この国を救うと信じられていたのです。私は後にその話を亡くなった先の王様から聞いたのです。それがイノスなのです」

「僕も“守護の家族”のことは父から聞いていました。しかし父からは絶対に誰にも話してはいけないと厳しく言われていたのです。僕も宮殿の中に悪巧みを考えている者がいるのを知っていましたがそれが誰か、ということまでは分かりませんでした。僕も密かに城を抜け出しその少女を捜しましたが、何処にいるのかまったく分かりませんでした。父の病が悪化し、そう長く生きられないことも僕を絶望させました。いつまで待っても救いの手は差し伸べられなかったのです。僕は希望をなくし自ら命を絶つことも考えました。そして橋の欄干に座りぼんやり河を眺めていたのです。その時に通りかかった少女の顔を僕はいまはっきりと思い出しました。それは君だ。イノス!」

イノスは大きく頷いて、あの橋の上で出会った少年の事を思い出しました。
「あなただったのね! 思い出したわ! 確かにあなただわ!」

「“人生で見失ってしまった光は、人生の中で見つけ出すこと”君は確かあのときそう言ったね。“あなたが死を選べば、多くの人が死ぬことになる。でも、あなたが生きれば多くの人も生きることになる”とも言った。君に出会えたから僕は生きていられたんだよ。こんな所でそれを知るなんて信じられない」

「あ。私、随分と偉そうな事を言ったのね。王子様に。それにしても私は誰なの・・・。」
イノスはしっかりと胸のペンダントを握りしめました。



12「希望の大地」

「やあ。随分とたくましくなったね!」
振り返るとそこには森の大男フォルスが立っていました。

「フォルス! ただいま!」
イノスはフォルスに飛びついて頬にキスをしました。

「あなたは私の事を初めから知っていたの?」

「本当はネズミのピピは森の見張り番なんだよ。そのピピがお前を連れてきたのだから初めはビックリしたさ。岩の上に座っていたお前の胸元に輝くそのペンダントを見て俺は全てを理解した。俺はあの森で川守をしていた訳じゃない。お前が来るのをずっと待っていたんだイノス。そして今、俺はもっと重大な事を思い出した!」

「何を思いだしたの?」

「旦那様とその家族を殺した奴の顔を思い出したんだ。いや、“守護の家族”を殺した奴だ! 俺はあのときさんざん殴られ気を失いかけていた。とどめに誰かが打った弾は俺の急所をはずれたが、奴らはそのまま去っていった。でも、俺はしっかりと見た黒い馬の馬上の顔を。それはあいつだ!」
フォルスは金の大臣を指さして言った。

イノスの顔から血の気が引いた。
そしてイノスは静かに、そして震える拳を握りしめていった。
「あなたが私から家族を奪ったのね・・・。」

まだ少年の王は言った。
「金の大臣を取り押さえよ!」

金の大臣とその従者は衛兵に取り押さえられた。
金の大臣は天空を見つめ、そして次にがっくりと頭を垂れた。
従者たちの優雅な衣装も、いまは儚い夢のように色あせて見えた。

衛兵の隊長が言った。
「この者たちをいかがなさいますか? いっそ首をはねて死刑にしてしまいましょうか?」

イノスはいつもにない大きな声で叫び、天空を見つめて涙を流した。
そして、怒りと、憤りと、憎しみをこらえて言った。
「たとえ、それが真実だとしても・・・私は・・・殺さない!」

銀の大臣が静かに言った。
「殺してはならん。この者たちは生きて自分の罪を償うのじゃ。
いいか! この国ではどんな場合でも殺す理屈を探してはならん。
それが新しい法律だ!」

民からは喝采が巻き起こった。そしてシスターマロンは厳かに言った。
「汝、殺すなかれ。この者たちは私の教会で修道僧として一生涯、神と国と人に仕える仕事をしていただこう!」

場内は歓喜と大きな喝采に満たされた。

「ありがとうシスターマロン。そして銀の大臣よ。お前だけが宮殿の中で唯一の忠義の家臣であったようだ。今日からは僕に色んな事を教えてくれないか」

銀の大臣は言った。
「それでは、わたくしは銀の服も脱いで新しい衣装に着替えましょう。民の着ているものと同じ服に着替え、民の手本になるような仕事を致します」

「頼んだぞ銀の大臣よ」
銀の大臣は深々と頭を下げ、自信と威厳に満ちた面持ちで向き直り、まだ少年の王の傍らに立った。

王は立ち上がるとイノスに向かって言った。
「城門の前の小さな木が見えるかいイノス」

「ああ。見えるわ」
そこには小さな木が一本だけ植えてあった。

「あの木は君からもらった“夢の叶う種”から育った木だよ。その木はまだ小さいが、やがて大きな希望の実がなるだろう。君があの日、僕に言ったことは本当だったんだね」

「ええ。あの木はあなたよ! ごめんなさい。あの木は王様ご自身なのです」
イノスはひざまずいて頭を垂れ、まだ少年の王に礼を尽くした。

「イノスは“守護の家族”の末裔。これからの国のために僕を支えてくれるのだろう?」

イノスは王様の目を見てしっかりと答えた。
「私は、民の元へと帰ります」

まだ少年の王様は少し寂しそうに言った。
「あの時、橋の上に座っていた僕のような人を救うんだね」

イノスは王様に微笑んで深々と頭を下げた。
そして向き直って真っ赤な絨毯の敷いてある大理石の階段を下り始めた。
大勢の民の中に分け入り、イノスは喝采を浴びていた。
よく見ると民たちは小さな苗木を手に持っていた。
みんながイノスに声を掛けた。
いじめっ子の少年も、いじめられっ子だった少年の顔も見えた。
何も見ないふりをしていた紳士も子ども達の手を握っていた。
汽車の中で座れなかったおばあさんの車いすを押していたのは、
席を譲らなかった青年だった。
その両脇には真珠の首飾りを捨ててしまった淑女と、
新聞の株価情報を読まなくなった紳士が付き添っていた。
パン屋のおじさんの顔も見える。
ゴミの街で出会ったホームレスの男は立派なスーツに着替え、
街の長老と羊飼いの少年と大勢の街の人とともに笑顔で手を振っていた。
ゆったりと曲がりくねった川沿いの道の、
美しいポプラの木の傍らのベンチでうなだれていた男は、
美しい娘と手を取り合ってイノスに声を掛けた。
誰もがみんな小さな苗木を大事そうに抱えている。

イノスの肩では、ネズミのピピが長いヒゲを揺らしてお得意の宙返りをしている。
その右隣には森の大男フォルスが、そしてその左隣にはシスターマロンが寄り添っている。その後につづいてサーカス小屋の水色の服を着た少女と、
刺繍のついたチョッキを着た青年が手を繋いで歩いている。
その直ぐ後ろには“さすらう民”の家族が歩いていた。
ふと、どこからともなく誰かが大きな声で叫んだ。
「あの、サーカス小屋の少女と青年を見ろ! 地下の牢から王様を救い出した“勇気ある民”の一家が通るぞ!」
その声に民たちは賞賛の声と喝采で答えた。イノスは後ろを振り返ると、
水色の服を着た少女に小さくウインクしてみせた。
そしてかつて“さすらう民”と呼ばれた一族の名は永遠に地上から消え去った。

城門をくぐりイノスと民たちは外に出た。イノスは民の方へ向き直ると大きな声で言った。

「さあ! この大地にその苗木を植えましょう! その苗木は“虹色の種”七色のしあわせと希望が花を咲かせる幸せの実る木!」

大勢の民は一斉に駆け出すと手にしていた苗木を大地に植えた。
たちまち大地は大きな希望で満たされた。

ふと道に目をやると一台の馬車がとまっていた。
馭者の老人がしわだらけの顔をますますしわだらけにして笑顔で帽子を振った。

「ありがとうおじいさん!」
イノスは馭者の老人に駆け寄ると抱きついて、頬に3度キスをした。

「イノス! 馬車には乗らねえんだよな、やっぱり」

イノスは爽やかな笑顔で答えた。
「私、のんびり歩くのが好きなのよ」

「あははは。そいつはいいや。もう何も急ぐことはない」

まだ少年の王様は宮殿から、その様子を微笑みながら見ていた。
遠くから見るその様は、実りの秋に金色の実をつける麦の穂が風に揺れているのに似ていた。






~Fin~
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