関西国際空港から仁川国際空港(インチョン)まで行き、電車で宿泊地である明洞(ミョンドン)にたどり着いた。今回で2度目となる韓国だが、今回の旅のメインは韓国と北朝鮮の国境にある板門店(パンムジョン)という場所に行くためだ。ちなみに、空港に着いて入国審査の際にパスポートを返してくれたお姉さんに韓国語でありがとう!(カムサハムニダ!)と言おうとしてサランヘヨ!(愛しています!)と言いそうになって焦った。入国審査官に「愛しています!」ともしも言っていたらどうなったのだろうか・・・(笑)。こうして到着後、ホテルに荷物を置いて早速、明洞の街中をうろつく。ここは、ソウルの中心街ともいわれる街で、日本でいえば原宿のような場所。観光客も多く、行き交う人は若者が多いのでオヤジの居場所は無さそうだった。

P1010583_convert_20161125133018.jpg 明洞の街中は凄い人だ。

ソウルの中でもこの地域は観光客目当ての商売が多いため何でもかんでも値段が高め。美女大国の韓国だけあって道の両側には化粧品屋が多い。とあるアイスクリーム屋に人が群がっていたので並んでみたら韓国美女が薔薇の花の形のアイスクリームを盛っていた。思わず美女に釣られ極寒の中でアイスを食べる羽目になる。

P1010612_convert_20161125102914.jpg 魔性のアイスクリーム美女。

これ以上美女に釣られる前に例の如く飲み屋を探す。ここは、明洞でも有名なカンジャンケジャンが食える店。カンジャンケジャンとは、新鮮な生のワタリガニを漬け込み醤油ダレに漬けて熟成させた料理 なのだが初めて食べる。これは美味かった。しかし、値段もそれなりである。ビールは薄味でさほど美味しくはないが、マッコリと焼酎は美味かった。

P1120586_convert_20161125104030.jpg 結局はこれが目的なのかも。

翌日は早朝からこの旅のメインである板門店(パンムジョン)に向かう。板門店はJSA(ジョイント・セキュリティ・エリア)と呼ばれる場所で韓国軍と北朝鮮軍の共同警備区域である。まずは韓国軍の厳重な警備体制のあるエリアを通過する。バスの中に軍人が乗り込んできてパスポートをチェックする。本来なら写真を撮りたいところなのだがここ自体が特別作戦区域なのでカメラはNG。そこをパスして板門店に行くのだが、ガイドが笑顔でかなり怖いことを言うので緊張も高まる。左手の延々と鉄条網が連なる漢江(ハンガン)の河沿いの向こうにすでに北朝鮮が見える。

P1010630_convert_20161125105820.jpg こちらが北朝鮮。

ようやく板門店に到着した。これまで何度パスポートの提示を求められただろうか。パスポートをチェックされる度に更に緊張度が増してくる。まずはじめに会議場のような場所に通されレクチャーを受けるのだが、そこで一人ひとりに用紙が配られる。要するに、「命の保証はしませんよ!」という誓約書にサインさせられるのだ。ここでは髪型や服装、仕草や態度にも禁止事項が並ぶ。例えば北朝鮮の兵士に手を振ったり指を差してはいけない等。ガイドは「目線ひとつで何が起こるか分からない」から、韓国軍の兵士はサングラスをしているとのこと。ちなみに良かったのは禁止事項に「肥満」がなかったこと。それがあったら完全にOUTだ。まあ、書類に簡単にサインをしてしまったのだが、これで良いのだろうかと思ったのも事実。

P1010660_convert_20161125110754.jpg 韓国軍と北朝鮮軍の兵士がにらみ合っている。

これからこの左側の青い建物に入るわけだが、ここが軍事停戦委員会本会議場である。1945年の日本の敗戦により、朝鮮半島が米ソに分割占領された際の境界線は38度線だったが、冷戦を経て1948年に南北で個別の国家が誕生した。その状況を打破しようと北側が南に侵攻し朝鮮戦争が始まったのが1950年、それから3年後の1953年休戦協定が締結され、軍事分界線と呼ばれる休戦ラインが新たな分断線となった。この分断線を境に両側の2キロが非武装エリアDMZ(非武装中立地帯)である。しかし、ガイドの話によると、北朝鮮が休戦協定を結んだのは国連軍であり、韓国は協定に調印していないとのこと。その意識の違いは要するに、北側は休戦中、韓国側は未だに戦争中ということになる。しかし、休戦中にも関わらず、北側は地下トンネルを張り巡らせて韓国に侵攻しようとしていたらしい。後にそれがバレて何本もの地下トンネルが発見されている。発見されなければ・・・どうなったのか?バレずに北朝鮮の作戦が成功していたら?そしてこの様な工作は地下の何処かでまだ進行中かも知れない。それを思うと他人事とは思えない気分になった。

P1010642_convert_20161125112726.jpg 本会議場内の韓国の兵士。

本会議場内には韓国軍の兵士が数名立っていた。この兵士の左側が北朝鮮である。内部では北朝鮮側にも行ける。しかし、兵士の後方にある扉付近には近づくことは出来ない。とりあえず事実上、数歩ではあるが僕は北朝鮮に入国したことになる。僕は頭の片隅で日本人の拉致事件を思い出して複雑な気分で直ぐにそこを離れた。

P1010654_convert_20161125113257.jpg ほんとのギリギリです。

上の写真の地面の色が違うのが分かるだろうか。真ん中のコンクリートを境に韓国側は砂利、北朝鮮側は砂になっている。このコンクリートの向こうへ一歩踏み出せばもう命はない。僕はしみじみとその境界線を見つめた。これは想像ではなく現実だ。平和な国に育ちぬるま湯で育ったオヤジが衝撃をうけた瞬間だった。

P1010657_convert_20161125114500.jpg 凄い威圧感の北朝鮮の兵士と建物。

その後は、南北の捕虜達が自由になった時に北側か南側か選ばされた橋「帰らざる橋」を観ることになっていたのだが、最近になって北朝鮮がその一帯に地雷をばらまいたらしく近づくことは出来なかった。しかし、自由の橋は観ることが出来た。ここは、1953年、朝鮮戦争の休戦協定が結ばれた後、捕虜1万3000人余りが橋を渡って南に帰還する際、「自由万歳」と叫んだことから、「自由の橋」の名で呼ばれるようになったらしい。橋の架かる河は歌で有名なイムジン河であるが歌詞のようには水は清くはなかった。見えづらいが隣の橋脚だけの橋は旧日本軍が造った満州鉄道の残骸である。

P1010673_convert_20161125115316.jpg これが自由の橋

日本には終戦があった。しかし、この地の人々に終戦は未だ無い。このことを深く思い知らされた日だった。日本と韓国ではまったく状況が違うのだ。この様な下敷きの歴史を知らずにテレビの前で垂れ流される報道の断面だけを見て、なんだかんだと意見を述べていたことを反省しなければならない。この地の人々にとって戦争は過去のものではない。いまそこにある現実なのだ。朝鮮半島では戦争はまだ終わっていない。

P1010689_convert_20161125120014.jpg 自由の橋の傍にある祈りの場所。

翌日は昨日の重苦しい緊張から離れてソウル郊外の水原(スウォン)に向かった。ここの水原華城は世界遺産である。18世紀末に李氏朝鮮第22代国王・正祖(イサン)が、老論派の陰謀により横死した父思悼世子(サドセジャ)の墓を、楊州から水原の顕隆園(隆陵)に移して、その周囲に城壁や塔、楼閣や城門を築いて防護を固めたものが、水原華城。韓国ドラマで有名なイサンがお父さんのお墓を建てたのがこの水原だ。

P1010762_convert_20161125121156.jpg 水原を象徴する水門。

ガイドのキムさんは何でも知っている人だったので、韓国の歴史ドラマの話で盛り上がった。そして僕の好きなチャングムの誓いのイ・ヨンエが新しい歴史ドラマの主役になると教えてくれた。なんとギャラが1話で1000万越えらしいから60話ぐらいあるとしたら・・・凄い大スターである。それはともかく今回の旅は天気に恵まれた。気温こそマイナスだが、空は青く晴れ渡り、秋の紅葉も見事だった。

P1120616_convert_20161125121939.jpg 屋台のオモニと飲んだくれの詩人。

結局の所、夜になればこんな感じで屋台で飲んだくれていたわけだが、アジアのどこに行って何を食っても腹をこわしたことはない。海外の屋台は衛生面に問題があると言われているけれど、日本は何でもかんでも除菌したがる極度な除菌文化が蔓延しているような気もする。怖がっていたら旅は面白くないのである。屋台のおばちゃんとマッコリで乾杯し、得体の知れないご当地の食を戴くのが最高である。国同士に軋轢があっても庶民には無い。国家という重荷を背負った国民と個人の感情は決して同じではないのだ。明洞の繁華街では戦争で両足のない退役軍人が極寒の中台車に腹ばいになって物乞いをしていたが、小銭を入れる人々が多く目についた。僕もそっと小銭をいれた。そして彼は僕を見上げて礼を言った。

P1010861_convert_20161125123027.jpg 景福宮とデモのある広場。

最終日は時間までソウル近郊の史跡を廻った。ここは、景福宮という城で、朝鮮王朝の開祖李成桂は1392年に開城で王に即位し、その2年後の1394年に漢陽(漢城、現在のソウル)への遷都を決定。無学大師の風水に基づき漢江の北、北岳山の南にあたる「陽」の地が選ばれ、李成桂が開城で政務を執っている間から王宮の建設が始まった。鄭道伝によって「景福宮」と命名され、1395年から李氏朝鮮の正宮として使用された場所。それよりもこのメインの通りはニュースによく出てくる場所だから皆さんも見覚えがあるだろうと思う。今話題の朴槿恵(パク・クネ)大統領の退陣を求めるデモで人が押し寄せるあの場所である。この城門の前は真っ直ぐに伸びた広場になっており、当日もデモのテントやらがあちらこちらにあった。

P1120671_convert_20161125124511.jpg デモのテントと関係のないオヤジ。

短いソウルの旅ではあったが、この国の置かれた現状を思い知った旅でもあった。目的の板門店では認識を新たにし、、ソウルの繁華街や市場では活気と熱気を感じた。アジアを旅して感じるのはいつもこの熱気と活気に溢れた生きる力である。そしてこの人々の生きる力が魅力なのである。振り返って日本のことを考えてみたが、どうも生活が整理整頓されすぎているようにも感じた。それは、水原を案内してくれたガイドのキムさんとの会話の中で感じたことでもあるのだが、僕はキムさんにこんな質問をした「街中で社長!完璧なニセモノありますよ!と声をかけてくる人がいっぱいいるけど何故捕まらないのですか?」という質問だ。キムさんは、「本当は捕まえるべきなのでしょうが、そんなことをしたら監獄が足りなくなります!だからまあ、放っといているのでしょう」と語った。ニセモノを売ることを推奨もしないし、容認もしないけれど、貧富の格差が広がる韓国では、こんないい加減さが庶民にとっての唯一の慈悲なのかも知れないなどと思った。善行も悪行も渾然一体となって熱気を発するアジア。イメージとしては、日本は静かな美人で、韓国は気さくな美人と云ったところだろうか。まあ、好みはあるだろうけど、僕はアジアの気さくな美人が好みである。

P1010707_convert_20161125130604.jpg 詩人の夜の居場所。

未だに戦争の最中にある韓国という国、屋台の活気と愛想の良い人々、そして豚のホルモン焼きとマッコリで乾杯した屋台のオモニ。今日も何事も無かったように陽は昇り陽は沈む。その輝きが笑顔と疵のある風景を照らしている。ありがとうソウル!

P1010933_convert_20161125131236.jpg ソウルの夕日。

~GOOD BEY SEOUL~

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