チャイナドール

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北京に降り立つと外はマイナス2度の極寒だった。関西空港を飛び立ち、夜の闇に取り残されたような煙台空港を経由してここまで来た。飛行機は中国東方航空、決して快適なフライトとは言えないサービスを受け、多少意気消沈していた。

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ホテルに着いたのは22時頃、今の自分にはニコチンとアルコールが決定的に不足していた。トランクを放り投げ、足早に夜の街へと向かう。オレンジ色の街灯の下では、まるで炊き出しのような陰鬱な雰囲気で営業している露店がちらほら、そこにたむろする人は北京の学生。路上にはよく分からない商品が無造作に並べられ、売るとも、買うともない人の群れが白い息を吐いている。ようやく店を見つけて中にはいるが、システムも分からなければ、メニューも読めない。中国語は知らないし、稚拙な英語も通じない。写真を指さしてとりあえずホルモンとビールを注文する。灰皿が欲しいゼスチャーをしてやっと出てきたのは、ビールを注いでいるグラスと同じものだった。このグラスは時にはビールを飲むグラスになり、時には灰皿になるのだろう。初日から中国という国の何でもありを見せつけられた気分だった。

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朝になりホテルを出発。5車線も6車線もある北京の路上は高級自動車の群れで大渋滞している。ガイドの王さん話しによれば、自転車であふれかえっていた北京の風景は20年前のことだという。高速道路の両側にも高級マンションが建ち並んでいる。この辺りのマンションの相場は東京どころか、ニューヨークよりも高いらしい。ニュースなどで垣間見る中国の経済成長を目の当たりにした。昨夜目撃した夜の街にたむろする人たちの現実は闇夜とと共に消え去り、近代中国が姿を現した。

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現在の中国を例えるならそれは瓢箪だという。上と下、つまり富む者と貧しい者の極端な2極化。真ん中は細くてほとんどいない。要するに金持ちか、貧乏か、という構図だ。国家は共産主義なのに実態は資本主義のような形態なのだろうか、これもまた何でもありである。

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万里の長城は、晴天の中の極寒で強風であった。それについては説明など不要だろうが、少し書いておきたいことがある。この壮大なスケールの万里の長城は、観光客にとっては美しい世界遺産なのだが、中国人にとっては悲しみの象徴であるということ。この長城を建設するために中国全土から集められた労働者の人々がこの道の下に葬られているからだ。観光客が楽しげに写真を撮っている足元には無数の人骨が眠っていると聞けば、中国という国の王様の絶大な力と、その狂気に絶句するしかない。しかし万里の長城は沈黙したまま今日も悠久の時を刻んでいる。

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歴史という時間軸から、人間の一生という時間軸をみるとき、あまりにも儚い個人という存在を感じずにはいられない。僕自身の一生はどうなのだろうか、不意に人生の無意味さが頭をよぎった。そんなふうに考えながら歩いている僕の傍らでは、物売りのおばさんが激しくまくし立ててくる。いつしか、中国の片隅でたくましく生きる人々の声が長城に響き渡り、僕の憂鬱も北京の空へ解けていった。

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ホテルの前の路上では昨日と同じ物売りのおばさんが今日も朝から叫んでいる。ハンカチ!10枚千円!安い!20枚千円!安い!30枚千円!安い!どんどんと枚数が増えてゆく。おばさんは僕を見つけると親しげによってきてニコニコしながら傍から離れようとしない。僕は財布から千円札を取り出しておばさんに渡した。20枚のシルク?のハンカチと、箸が10本。また僕の悪い癖が出てしまったようだ。

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気を取り直して天安門広場へ向かう。空は晴れ渡っているが気温はやはりマイナス。外に出ればジャンパーが凍り付きそうなくらいに冷たい。長い地下道を通り抜けて階上に出ると視界が開けた。ここが天安門事件の舞台となった場所だ。多くの学生や市民の命が奪われた石畳の上を歩く。そこかしこにあるシミが当時流されたであろう人々の血の痕のように見えた。遙か彼方には紫禁城の城門が見える。5つ開いた通路の真ん中はその昔、皇帝しか通ることの出来ない道であったという。その真ん中の通路の上には今、中国共産党の指導者であった毛沢東の大きな写真が掲げられている。ここを訪れた人なら誰でも感じることかも知れないが、城門の上に毛沢東の写真が掲げられていることには、強い違和感を感じてしまう。清の最後の皇帝であった愛新覚羅溥儀は、ラストエンペラーとして世界に知られているが、彼が去った後の紫禁城に毛沢東の写真は似合わないような気がする。北京の街から受ける資本主義的自由経済のイメージは儚く崩壊し、結局ここは社会主義の国だよ。と言わんばかりの強烈な印象がその写真からにじみ出ている。

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ガイドの王さんの話によれば、ここでは政治的な話しは禁物らしい。そう言われて辺りを見回せば警察、公安、警備の人たちが沢山いる。実際はそれだけではなく、市民に紛れ込んだ秘密警察が大勢広場をうろついて目を光らせているというから、ここは中国の中でも非常にデリケートな場所であることが分かる。僕は事件のことを王さんに尋ねたかったのだが、そんな話を聞かされた後では黙るしかなかった。王政は滅びいまや中国共産党が紫禁城の王であるのだろう。ここでも何でもありの中国という国の姿を見たような気がした。

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紫禁城は冬というのに観光客でごった返している。ここから2時間歩くのだという。まともに見学すれば1週間はかかるらしいから、かいつまんで巡ることとなった。紫禁城は清が滅亡した後に故宮博物院という名前になったらしが、詳細を書いているときりがないので割愛する。しかしながら空前絶後のスケールであることは確かだ。

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僕はこの紫禁城で皇帝が歩いた階段に彫られた龍を見たかった。まあ、ミーハーな話しなのだが来年は辰年、僕は年男なので訪ねたかった訳である。中国で皇帝は龍の化身とされているから、ラストエンペラーが見下ろしたであろう紫禁城の上から下界を眺めれば、皇帝気分が味わえる。日本の片隅で生きる詩人にも、気分ぐらいは味わう権利があるだろう。

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移動する車の中で僕は王さんに尋ねた。広東省で起きた悦悦ちゃん見殺し事件が気になっていたからだ。「最近の中国では人心荒廃が進んでいると、日本の報道で知ったのだが実際はどうですか?」王さんは少し戸惑ったような顔をした。確かに、こんなことを当事者である中国人に聞く奴もいないだろう。しかし、彼女は静かに答えた。「それは、事実です。しかし、一部の人間です。確かに今の中国人は変わりつつある。何かが変です」と。その後彼女はこう付け加えた「中国人の正しい文化は、自分より強い人を尊敬し、強い人は弱い人を助ける文化なのだ」と。そして「この正しい文化がよく伝わっていないのです」とも言った。僕はその中に何処か真実を見たような気がした。当事者ながら、客観的に自国民を観察する目を持っている彼女の中に、中国人としてのプライドを垣間見た気がした。そして僕もこう付け加えた「日本で流れる中国のニュースでは悪い面しか報道されませんよ」と。彼女は笑いながら「それは中国がどんどん強くなるのが怖いのではないですか?」と答えた。僕はこんな質問をしながら自分の住んでいる日本を思った。何でもありの中国という国を目の当たりにして、何でもありの日本を思った。政治不信は国家への不信を招き、更に震災や原発問題を抱える日本。漂流する1億3千万の国民の今をぼんやりと考えていた。

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旅をすることで得られるものは、他人が伝えてくれる情報ではない。報道も国家の利益によって歪曲されている場合が多いだろう。国家と国民の温度差とはいったい何なのだろう。僕は短い北京の旅で、この中国という巨大な船の行き先を考えたが、それは混沌の中に永遠の謎として沈んでいくしない難問なのだと思い知った。そしてこの国の人民すらその行き先を知らないまま、必死に櫓をこいでいるように見えた。もしかしたら、国家でさえも行き先を知らないのかも知れない。

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僕は帰りの飛行機の中で王さんが言った言葉を思い返していた「中国人の正しい文化は、自分より強い人を尊敬し、強い人は弱い人を助ける文化なのだ」というあの言葉だ。あの時の彼女の目はガイドなどではなかった。まさに中国人としての誇りに満ちた眼差しであった。過去の歴史や国家間のわだかまりはそう簡単に解決できるものではないが、人間同士という視点から見れば、誰もが争いを好まず、平和に暮らしたいと願っているのだろう。急速に進む経済成長と激しい変化の中にある中国。そして僕は少しだけ反省した。彼女に質問ばかりしておきながら、日本人の正しい文化を説明していなかった。日本人の文化とは、「優しさと、思いやりの心」であると。いや、もしかしたら僕は、プライドを持ってそんなふうに答えることができなかったのかも知れない。彼女の誇りに満ちた言葉は、僕自身を戒める結果となった。もしも今度誰かに、日本の文化とは何かを問われたら、「優しさと、思いやりの心」だと、誇りを持ってそう答えたい。そして、「最近の日本人は何かが変だ」とも正直に答えねばなるまい。

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僕は中国の一部しか知らない、以前訪ねたのは上海、蘇州。今回は北京。ほんの僅かな旅でこの国を語ることはできないが、ひとつだけ言えることがある。それは、人間を考えるとき、決して十把一絡げで考えてはいけないということ。日本人でも中国人でも、また、その他の国であっても、善良な人間はいるし、悪意に満ちた人間もいる。しかし、僕たちの中にはすべてを省略して考えるような癖が何処かにある。国家とは個人の集合体なのに、何処の誰だから良いとか、何処の誰だから悪いとか、短絡的にレッテルを貼ってしまいがちになる。しかしそうではない。実際に出会うこと、話すことによって一方的な報道や交錯する情報の呪縛から解き放たれるのだ。人間をイメージで語ることの怖さや、思い込みによる誤解を僕たちは警戒しなければならない。それが人に対する礼儀なのだと改めて想った。チャイナドール。僕はこの旅の記録にこんなタイトルをつけた。それは何故か?僕たちの国を動かしているのは誰?そしてこの広大な中国を動かしているのは誰?そんな疑問が湧いてきたからだ。本来、主役であるはずの国民は、強大な権力によって操り人形のように動かされてはいまいか?自らの意志に反して勝手に踊らされてはいまいか??チャイナドール。この国に暮らす人民が自らの意志で歩き出すとき、この国は新しい生命を手に入れるに違いない。


人と人が向き合う力

世界の何処にも敵などいない

自らの心の中に敵がいるだけ

どの国で生まれ育ち

どの場所で暮らしていようとも

人の願いは変わらない

僕が平和を望むように

彼も平和を望んでいる

だから互いに向き合い話をしよう

互いに手を取り温もりを感じよう

国境も人種も名前も棄てて

人間同士で向き合おう


good bye 北京



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