今から7年ほど前に大阪に住んでいた時期がある。
その頃の僕の大晦日の過ごし方は少し変わっていた。
毎年、ある儀式を行う為に僕はひとり京都に出掛けた。

四条の橋の下の河原にあぐらをかいて座り込み、
ウイスキーの小瓶を片手に柿の種をつまんでいた。
神社に詣でるわけでもなく、祈るわけでもなかった。
ただそこに座り込んで川の流れを見つめて過ごした。
やがて、1年の終わりと始まりの象徴である除夜の鐘の音を聴く時間になる。

その当時の僕にとって大晦日は、
大歓声をあげて大騒ぎする日ではなかった。
過去と未来の出会うその日は、僕自身の境界の時間を過ごす大事な日だった。
昨日が今日になって、カレンダー上は新しい年になるのだが、
1月1日には昨日と何も変わらない生活と、自分自身を誰もが感じる。
いつまでたっても更新されない自分自身に僕は苛立っていた。

だから僕は大晦日をたった一人で過ごす。
自分自身を更新する為に、心の中のガラクタを掃除するのだ。
それは、僕の住んでいる汚いアパートを掃除することよりも困難な作業であった。
たった365日の間でさえ、どんなに自分が無駄なものを沢山抱えて過ごしてきたかがわかる。
それが、30年、40年となるとどうだろう。
背負い込んだ荷物があまりに多すぎて身動きが取れなくなる。
大事なものばかりが増えすぎて、それを失うことに無意味な恐怖感を抱くようになる。
その過剰な欲望を仮に「ガラクタ」と呼んでみる。
ガラクタに埋もれてしまった自分の本当の光を見つけ出す為に、
心の中を大掃除してみる。
すっかり弱りかけた自身の心に新しい空気を送り込んだら、
きっと、諦めかけていた自分の夢がまた見えてくるかもしれない。
毎年暮れていく月日の中で確実に増えていく皺は仕方が無いとしても、
永遠に老いることの無い新鮮な心を、人間は持つことが出来るはずだ。
思い切って「捨ててみる」ことで、手に入れることが出来るものがある。
人が幸福に過ごす為には、捨てる勇気も時には必要かもしれない。
欲の皮で突っ張ってしまった顔で、歪んだ笑顔を振りまいてはいないだろうか。
1年の終わりの日に、僕たちは自分の心も新しくしなければならない。
大晦日と除夜の鐘はきっかけにしか過ぎない。
弱い自分の背中を押してくれるその日を僕は大切にしている。

やがて、阪急の河原町駅から人々が八坂神社をめざして押し寄せてくる頃、
僕は高瀬川のほとりをふらふら歩きながら遠回りして、
空っぽの心でガラガラの電車に乗って帰路に着く。
新しい空気を身体にいっぱいに吸い込んで、
希望に満ちたゼロから出発する。


11時59分
今日が昨日になり
明日は今日になる
11時59分
終わらない昨日を引きずって
11時59分
始まらない今日を待っている
11時59分
じれったい1分を
僕たちは待っている
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真冬の四国を訪ねたことがあった。
羽田から飛行機で高知まで飛び、
現地でレンタカーを借りて四国最南端の足摺岬に向かった。

道路は交通量も少なく、たまに出くわす車はのんびり運転。
特に老人のドライバーが多いと感じた。
彼らは何の予告も無く右左折し、平気で道に飛び出してくる。
もちろん「とまれ」の標識などここでは無意味だ。
よく言えば大変おおらかな人々なのだろうが、
そのたびにハラハラさせられた思い出がある。
ここは、言わずと知れた四国八十八ヶ所の巡礼の地だけに、
道すがら多くのお遍路さんとすれ違った。
若い学生らしき人達が、
バックパッキングの延長のような身軽ないでたちで、
明るく楽しげに遍路道を歩いているとおもえば、
たった独り白装束で長いつま先上がりの坂道を修験者のように
無心に黙々と歩いている人もいる。
人の人生が様々であるように、
此処にもそれぞれの遍路道が存在している。
中でも足摺の札所に向かうこの道はかなり過酷な道程であり、
車で走る僕ですら、この道をとても長く感じるほどだった。
こうして僕は足摺に到着した。
足摺岬灯台へ通じる曲がりくねった崖沿いのこの林道は、
時折、広大な海を覗かせながら続き、
やがて眼前に天を突き刺すような白亜の灯台がその姿を現す。
晴れてはいるが、天空には冷たい空気が膨張して
その懐深くには雪を隠しているような雲がどこまでも続いていた。
この岬から遠く太平洋を眺めていると、
この地に漂う人々の祈りの空気が心に重く滲みこんで来るのを感じた。

足摺の札所の門前では熱心に念仏を唱える老人が立っていた。
老夫婦がまだ小学生とも見える子供をつれて
ひたすら長いこと手を合わせる姿が目に止まった。
いつしか僕はそれを黙って見つめながら、勝手な想像をめぐらしていた。
小学生の親にしてはその夫婦は年を取り過ぎているし、
親らしい人物は何処にも見当たらない。
多分、孫でも連れて巡礼に来ているのだろうと思った。
もしかすると親はもう死んでしまったのかもしれない。
八十八ヶ所を巡るのは頑健な人間にとっても容易なことではない。
きっと誰にも言えない事情があるのだろう。
ただ無心に祈るその老夫婦と子供を見ながら、
僕は人生の無常と人間の生きる尊厳を自分に問い直していた。

星も見えず
光もとどかない
深い森の中をおびえながら
海まで歩いて来た

砂塵の中で
乾いた心を引きずって
果てしもない砂漠に迷いながら
海まで歩いて来た

海は千の涙のしずく
こころゆくまで
泣いたらいいさ

思い切り泣いたら
海を渡ってあの虹の足元へ
宝物を探しに行こう
幼い頃から釣り好きだった僕は、
大人になってからも毎日のように川釣りに出掛けた。
実家のすぐ近くには日本三大急流の最上川が流れ、
自動車で20分も走れば、
山間に無数の美しい渓流があった。

渓流の釣りの解禁日には、
まだ夜が明けきらない薄明かりの下で、
春の雪解け水に腰まで浸かって無心で釣糸を垂らした。
普通は腰や胸まであるウエーダーと呼ばれる胴長靴を履いて川に入るのだが、
僕は普段着のままスニーカーで川に入る。
この行為は魚たちが住んでいる川と同化する為に、
僕が勝手にあみだした釣りの秘儀なのだが、
寒いとか、痛いとかを超えた過酷なものだった。
頭はアイスクリームの冷たさが脳天に突き刺さるあの感じが持続し、
下半身はもう何も感じない。
今から考えればあれは、釣ではなく修行に近い行為だった。
その修行のおかげで野生の感覚が磨かれたのかは知らないが、
10年もそんな事をやっていると、川の声を聴く事が出来るようになる。
無数の川を渡り歩き、山の奥深くまで何時間も釣り歩く。
孤独だが孤独ではない不思議な空間に心が満たされ、
言葉の無い長い対話の中で、
地球はほんの少しだけ秘密を教えてくれる。
下界で無数の悩みと疑問符を抱えて生きる僕に、
自然はいとも簡単に答えを出す。
日本人は古くから八百万の神を信じて大事にしてきた民族だし、
その神とはすなわち自然であり森羅万象の総称なのだ。
頭で理解するのではなく、
五感で物事を理解するとき、
その答えはいつもシンプルに心に届く。
忘れてはいけない大切なことだと思う。
数年前のことだったがある雑誌をめくっていたとき、
「最後の清流、四万十川」と言う見出しが目にとまった。
最後の清流だから、もう他には清流は無いと言うことなのだ。
僕は早速、四万十川に出掛けた。
今回は釣竿を持たずに「最後の清流」と対話する為だけに向かった。
美しい川だった。
四万十川に架かる沈下橋には手摺も何も無い。
その真ん中に立つと午後の太陽に照らされた自分の影が
美しい水面にゆらめいて、泳いでいるように見えた。
近くには、名物の鮎の塩焼きが売られていて、
匂いに誘われて暖簾をくぐった。
四万十川の天然鮎とただの鮎の2種類が売られていて、
値段に随分と差があったのを覚えている。
四万十川の鮎はエリート鮎であり、
最後の清流で捕れる最後の鮎なのだ。
なんとなく現実に引き戻されたような気になった。
凡人の僕はエリート鮎をどうしても食べる気になれなかった。

夕日に染まる
四万十川

さようなら

彼は言った

またね
とは
言わなかった

美しい川が
いつまでも美しくありますように
僕はそっと祈りの言葉を呟いて

砂漠の村に
帰って行く
伊豆の下田を旅していたときのこと。
駅前から観光客に人気のペリーロードへと向かう道沿いに、
宝福寺という寺を見つけた。
本堂の右手には大きくお吉記念館という看板が掲げられており、
お吉の墓もこの寺にある。
早朝ということもあって、
人影もまばらに静まり返った館内に入ると、
若々しい19歳のお吉さんの写真が、
庭から差し込んでくる陽光に浮かび上がっていた。

唐人お吉は、
開国の頃に日本総領事に任命されたタウンゼント・ハリスの
待妾(じしょう)「身分の高い人の身の回りの世話をする女性」
となったことから以降「唐人」と蔑まれ、
最後には河に身を投げ自殺するという波乱の人生を歩んだ女性である。
お吉の生涯は確かに悲劇であったが、
僕はその悲劇よりも、背景にある悲劇の方が気になった。
人間の中に潜む無邪気で冷酷な差別感や、
権力者が持つ理不尽な特権そのものが、
この世の悲しみの根源であるように思えて、
しみじみと可憐なお吉さんの写真に見入った。

「おまえはどうだ?」
不意に何処からともなくか細い声で僕に問う声が聴こえた。
僕は僕の中に確かに存在する差別と偏見の欠片を拾い集めて、
静かに目を伏せた。
お吉さんを殺したのは僕かもしれないという不安が
胸の奥に確かにあった。

不意に係りの女性が、
お吉さんのお墓へどうぞ。と、声を掛けてくれた。
美しい庭の向かい側にその墓はあった。
小さな墓と大きな墓が並んで建っていた。
大きなほうは後年どこかのスターが寄進したらしい。
この寺の住職が身寄りの無いお吉さんを善意で弔った小さな墓の方が、
お吉さんらしいと僕は勝手に思って、
「2つも墓はいらないよ」と、心の中で呟いた。
小さな墓がみすぼらしくて、大きな墓が立派なんていうことは無い。
問題はそんな風に感じてしまう僕たちの価値観だ。
それが、お吉さんを殺したのだ。
そして、今も変わらずに皆そのままだ。
その中には僕もいる。
今日も小さな世間の隅っこでは
偉い人と、偉くない人がふるいにかけられ、
持つ者と、持たざる者が、表面上だけつくろって生きている。
そこには平等と平和という金色の冠が飾られ、
声にならない蔑みの言葉が互いの無い唇から漏れている。
そして、誰もが「自分だけはそうではない」と、思っている。
自分の中の闇と向き合えば、
人間はもっとやさしくなれる筈だと思う。
ぬけるような青空の下で
僕はお吉さんの墓に手を合わせた。

僕のこの手は愛する人の手を握った手だ
僕のこの手は誰かを殴りつけた手だ

僕のこの手はいつか泥だらけの糞尿にまみれた手だ
僕のこの手は銭湯帰りの石鹸の香りのした手だ

僕のこの手は僕の手なのに
僕のこの手は反省しない

僕のこの手は

一粒の愛の種を蒔く為に

ほんの少し反省しなければならない。
僕の生まれた酒田市は山形と秋田の県境にある
日本海の眺めの美しい港町だ。
何も無い田舎の子供らしく、
小学校の授業が終われば行く先は神社と決まっていた。
カン蹴りや鬼ごっこをしながら夕方まで走り回るのが日課で、
誰もが全身すり傷だらけだった。
たまに紙芝居屋さんがカッチンカッチンと
拍子木を打ちながらそこにやって来るのだ。
するとたちまち、おじさんは子供たちに囲まれてしまう。
そして、おじさんはのんびりとした仕草で、
怪しげな箱から水飴やらイカの酢漬けやらを取り出す。
まあ、これが入場料の代わりになるのだが、
どれも10円位の値段だった。
いかがわしい代物であることは間違いないのだが、
駄菓子屋にも合成着色料まみれの菓子が山と積まれている時代だったので、
僕たちは喜んでそれを食べたものだ。

ある日いつものように紙芝居屋さんが来た。
しかし運悪く僕はそのときお金を持っていなかったのだ。
飴を買わない僕におじさんは気付いていたが、
僕の顔も見ずに「買わない子は見られないよ」と言って、
そそくさと紙芝居の黄金バットを始めた。
僕は平静をよそおいながら神社の方へ歩き去った。
縁の下にもぐりこんで蜘蛛の巣だらけになりながら、
紙芝居の見える場所へ潜んでこっそり覗き見をした。
クライマックスにさしかかったとき、
おじさんと目が合ってしまった。
すると、おじさんは「みんな、ちょっと向きを変えようね」といって、
おもむろに後ろを向いてしまった。
くやしさのあまり僕は縁の下で蜘蛛の巣だらけになりながら泣いた。
おまけに、埃と鼻水でドロドロになっていた。
次第に黄金バットのクライマックスと、
おじさんのダミ声が遠ざかっていくのを感じた。
僕はまるで犯罪者のような気分で
夕焼けの美しい町並みをとぼとぼと家に帰った。

そして、その日を境におじさんと僕の関係は崩壊した。
たった10円を持たない為に、世界は僕を村八分にしたのだった。
それまで、おじさんはとてもやさしい人だと思っていた僕には、
あの時のおじさんの冷たい目が忘れられない。
やさしさ=愛情から、
やさしさ=お金。と、いう場合もあることを知った日だった。
大人になる為には痛い思いをするものなのだ。
その痛みが、思いやりに変わる時に豊かな心が育つ。
現代の子供たちに足りないものがあるとすれば、
それは、紙芝居屋のおじさんの冷たい目と、現実の厳しさかもしれない。
大人になる為の痛みを知らずに育つと
他人の痛みを知らない大人になってしまう。
もっとも、温室育ちの現代っ子に必要なのは
過剰包装された現実味の無い情報と
醒めることの無い白昼夢かもしれない。
ちなみに、あまりにも痛みが多すぎると、
僕のようにひねくれ者になってしまいます。
悪しからず。

日も暮れかけた夏の夕暮れ時

涙が溢れた神社の縁の下

埃と鼻水にまみれた

飴を持たない

僕の小さな手よ

お前は不幸で

そして誰よりも幸せだ